7月21日、スペースシャトル「アトランティス」が地球に帰還し、
30年間にわたるアメリカのスペースシャトル計画は完全に終了しました。
1969年、初めて人類が月面に降り立った時の興奮を憶えていない私にとっては、
1981年のスペースシャトルの有人初帰還が、宇宙開発史における鮮烈な記憶です。
それまでの使い捨ての宇宙船ではなく、
何度も地球と宇宙を行き来できる有翼往還機の実用化は、
これから誰もが気軽に宇宙に行けるSF漫画のような時代の到来を感じさせ、
テレビで生中継されるシャトルの初帰還に胸をわくわくさせたものです。
「まるで平和の象徴である白い鳩のように、
いま、スペースシャトル「コロンビア号」が地上に舞い降りようとしています。」
そう中継したアナウンサーの言葉が、いまも記憶に残っています。
当然、技術開発は更に進み、打ち上げ時に必要な補助ロケットも不要となって、
水平離着陸の有翼宇宙往還機が、これからの時代の主流になるものと思っていました。
21世紀には、普通の人でも旅客機に乗るように宇宙に行ける時代が来ると。
しかし、残念ながらそうはなりませんでした。
有翼宇宙往還機の開発と運用には、あまりにも莫大な費用がかかりすぎるためだそうです。
機体の翼は、大気圏内を飛行するためだけにあります。
大気のない宇宙空間では、その大きな主翼も垂直尾翼も、何の役にもたちません。
一方で翼があるということは、それだけ事故や故障の確率が高くなります。
そして安全のための研究開発費や整備費用には、莫大なお金がかかります。
つまり、大気圏内でしか使わないものをつけておくのは、
事故や故障が起きる確率を高くするだけだし、
そのためにお金をかけるのは不経済であるという理由です。
また、無人で打ち上げることが可能な物資のために、
人間と同等の安全対策費をかけることは、合理的ではないと判断されたようです。
実際、2003年に大気圏へ再突入したコロンビアが空中分解した事故は、
打ち上げ時にロケットから剥落した断熱材が、翼にあたって損傷させたことが原因でした。
翼のない使い捨てロケットなら発生しなかった事故でした。
宇宙開発では、ソビエトが一番乗りで宇宙へ人類を送り出し、
アメリカが月面着陸でこれを巻き返し、さらにスペースシャトルで主導権を握ると思われましたが、
当面はロシアの有人ロケットソユーズに主役の座を譲る形となりました。
スペースシャトル計画が終了し、
アメリカは次の有人宇宙船の開発を従来のカプセル型に決めました。
民間企業でもスペースプレーンの構想もあるようですが、実用化の目処は立っていません。
宇宙空港からスペースプレーンに搭乗した人々が宇宙観光に飛び立ってゆく。
スペースシャトルの退役によって、そんな夢のある未来がまた遠のいた気がします。
ちなみに、スペースシャトル「アトランティス」が最後の帰還を果たした7月21日は、
奇しくも42年前、人類が初めて月に降り立った記念すべきその日でした。