大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

賀川豊彦伝(13)

2015年02月25日 | 労働者福祉
自由にして民主的な労働運動とはなんでしょうか。
その理念に「4つの民主主義」があります。
そのひとつが「組合民主主義」です。
一言で言えば、組合員による組合員のための活動です。
その根本を忘れると、役員による役員のための活動になってしまいます。
そんな姿を見たのか賀川豊彦も時折怒りの声をあげています。
今日は神奈川のマホロバ・マインズ三浦に来ました。
そこに集う仲間たちと、そんな青臭い議論を交わしながらワクワクしました。

さて「賀川豊彦伝」のつづきです。

情熱を持ってすべての個人の尊厳のために活動する賀川にとって、協同組合の民主的構造は心を動かさずにはいられませんでした。
一人一票制は、組合内では個人が同等の権限で意思決定に関わることを、そして貧富や出資金の度合いに関係がないことを意味しています。
最も貧しい者も、最も富んだ者と等しい発言力を持っています。
各組合員の購入額の割合に基づいて、利益を還付するというアイディアもありました。
個人が組合からの利益を貯め込むことはできず、利益は組合を所有し、それを利用する人々の間で分配されます。
このようなビジネスの方法は、個人に力を与え、社会の富を大衆に分配するという賀川の社会改革の夢に対応するものでした。
労働組合は民主的な管理、つまり「労働の人間化」のための手段を提供しました。
同様に協同組合は、労働者の、労働者による、労働者のためのビジネスを提供します。
協同組合が、抑制なき資本主義と、資本主義を倒そうとする暴力革命との狭間にある「中道」なのだと、賀川が繰り返し強調したのはこうした理由からです。
中道としての協同組合を主張することは、賀川にとって極めて重大な仕事でした。

協同組合は理想と行動がぶつかり合うユニークな場でした。
なぜなら相互援助、経済的民主主義、社会的平等がこの事業の中に構造化されているからです。
14世紀にまでさかのぼる協同的営みの初期の形態は「講」として知られる一種の信用組織でした。
より現代的な信用組合形態の「報徳社」は農村改革者の二宮尊徳の手によって1843年に開発されていました。
ロッチデールの先駆者たちが協同組合の小売店を設立したのとほぼ同じ時代です。
ときには賀川は日本の協同組合にも手厳しい評価を下しました。
「日本の協同組合は役立たずである。
なぜなら、その指導者たちが完全に役立たずだからである。
デンマークの人々は多くのことを教えている。
協同組合が成功するのはその中心に精神があるからだ」と。
彼の宗教的、哲学的動機の探求と人々の信念の欠如に対する焦燥感からくる言葉だったのでしょう。
1933年、協同組合経営者のための「日本協同組合学校」を設立します。
十分な管理運営能力の獲得を手助けするためです。
賀川豊彦45歳の時でした。

(つづく)