大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

二宮尊徳伝(1)

2014年09月30日 | 労働者福祉
いよいよ今日から「語り部育成ゼミ」がスタートしました。
ゼミ生の一員としてワクワクしながら参加させていただきました。
私自身の予習作業として“先人の教えに学ぶ”の中から「二宮尊徳」を学んでいます。
先日課外授業で学んだ賀川豊彦先生も素晴らしいけれど、二宮尊徳のほうが私の体質には合うような気がします。
今日の高橋講師の講義を聞きながらその思いを強く感じました。

二宮尊徳といえば、薪を背負いながら本を読む金次郎像で有名ですが、なぜか最近ではその像も見られなくなってしまいました。
どこかで軍国主義の汚名を衣せられたせいかもしれません。
残念なことですから、ぜひその汚名も挽回させなければと思います。

金次郎は1787年7月23日、小田原の裕福な農家の長男として生まれました。
父母ともたいへんな篤志家で、困った人から何かを頼まれると嫌だとは言えないお人好しだったそうです。
父親は百姓に似合わない無類の勉強家で、幼い金次郎に手習いを教えました。
何不自由なく暮らしていたが、暴風雨で堤防が決壊し、田畑を流されてから生活が一変します。
体の弱かった父親は、復旧作業の無理がたたって寝込んでしまい、金次郎は父親の代わりに堤防の改修作業に出たり、近所の家の手伝いや子守をして家計を助けます。
金次郎5歳の時でした。

金次郎14歳の時、父親が亡くなります。
一家の貧乏のどん底の時であり、その体験は金次郎に貧乏の辛さ、惨めさを骨の髄まで染みこませました。
母親と死別したのが16歳の時。
2人の弟は母方の親戚に引き取られ、金次郎は隣に住む伯父さんの家で暮らすこととなります。
居候の金次郎にとっては居心地の悪い生活でした。
夜になって行灯の明かりで読書していると「百姓には学問はいらない。だいいち油がもったいない」と叱られます。

金次郎はそれにも負けず、伯父宅の油を使えないのなら、自分の油を作ろうと工夫しました。
友人からひと握りの菜種をもらい、近くの川土手にそれを植えます。
やがて育ってきた油菜を取り、油屋で油に交換して、夜の読書を続けました。
また同じ頃、近所の人が田植えの時に使い残した捨て苗を拾い、それを家の近くの水溜りに植え付けて、1俵余りの米を収穫したりもしました。

このふたつの出来事は金次郎にとって大きな発見でした。
天地自然の恵みと厳しさ、その中で生きる人間のあり方、人間が幸せに生きていくために人間は自然とどうかかわるべきか、人間同士はどうあるべきか、これがその後の金次郎の生涯を通してのテーマとなっていきます。

金次郎は「報徳仕法」という独特の理論と方法によって30数年間にわたって、600を超える村々を窮乏から救済し復興させました。
その理論と方法は、経営学でもあり哲学でもあり、現代にも通用する指導理念です。