クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

森村誠一氏の“原風景”の熊谷は? ―作家の秘密道具(30)―

2011年07月04日 | ブンガク部屋
熊谷市立資料館で、
森村誠一氏のミニ展示が開催されている。
ミニなので、大々的に展示されているわけではない。

かつて、同館で開催されていた森村誠一展はいまでも印象的に記憶に残っている。
作家の生原稿を見たのはそのときが初めてだったと思う。
単に原稿用紙に文字が書かれているだけだが、
いまにも熱気が漂ってきそうなくらい迫力あるものだった。

このミニ展示会は生原稿はなく、作品が展示されている。
なぜ熊谷で展示されているのかというと、
氏はこの地出身の作家だからだ。
作品の多くにも「熊谷」が登場する。

氏の心の中には郷里はずっと生き続けているのだろう。
『作家とは何か』(角川oneテーマ21)の中で次のように述べている。

 どんな作家もその生まれ育った土地や、時代や、環境の影響を受けざるを得ない。
 一見受けていないような作家でも受けている。

 私の作品風土として、交友関係と共に大きなウェイトを占めているものは風景である。
朝な夕な親しんだ郷里の風景は、作品の原風景となる。

氏の作品の根幹には、郷里熊谷があるのだろう。
荒川が流れ、熊谷直実を輩出し、終戦日の前日に空襲を受けた町……
春になれば荒川の土手沿いは桜に彩られ、
夏はうちわ祭りや花火で賑わう。

羽生生まれのぼくも、熊谷にはだいぶ親しんできた。
人生初めての「映画館」も、実は熊谷だったのだ。
合併してだいぶ大きな街になったが、
熊谷の熱さは変わらない。

森村誠一氏も熱い作家である。
さいたま文学館での氏の講演に足を運んだことがあるのだが、
かつての熊谷での展示のときに、会うことのできる機会があったのだ。
しかし、その日は平日だったため、
資料館に行くことができなかった。
いま思うと、無理をしてでも行けばよかったと思う。

今年も夏がやってくる。
熊谷の熱さの中には、
20代に残したささやかな後悔がいまでも心をざわつかせる……


熊谷市立郷土資料館(埼玉県熊谷市)

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3 コメント

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はじめまして (MICHIKO)
2011-07-04 22:38:42
こんにちは。羽生生まれ羽生育ち羽生在住のMICHIKOと申します。
素晴らしいブログ、楽しみに読ませていただいております。
私の父方は代々羽生で、祖父(明治41年生まれ)の祖父までが戸籍に残っております。祖父の実家は須影でした。いろいろあって今はあんまり縁がありませんが。そんなわけで、私も高鳥さんのような歴史的な深い探求とまではいきませんが、自分が生まれた前後くらいの羽生には興味があります。

一番幼いS駅の記憶…舌が腫れてしまい、羽生駅からS駅まで一駅(当時)母親と乗って、そこからY耳鼻咽喉科まで通っていたこと。2歳くらいだったでしょうか。なぜか駅のベンチとかはうっすら記憶にあるのですが、病院まで道とか病院内は全く記憶がありません。Y病院、いつのまにか耳鼻咽喉科はなくなってしまったんですね。

とか、こういう超個人的なつまんないことに興味があります。Tりせんの出入り口のところにおえかき帳が売っててたまに買ってもらったなとか、あとM原通りにあった銭湯とか、昔の警察署の裏の柔道場?みたいなのは一体なんだったの?とか。もちろんそのへんにあった映画にも通ってました!いつつぶれたんでしたっけ・・・

私は(旧)羽生小(旧)羽生中、一高出身です。素晴らしい後輩(後輩というのも何か失礼なようですが)のブログと出会えて幸せです。これからもがんばってください。まだ全部記事を読み終えてないのですが、全部読みますね!あと図書館の書物も・・・・

長くなりまして申し訳ありませんでした。



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MICHIKOさんへ (クニ)
2011-07-05 08:40:01
初めまして。
コメントありがとうございます。
おじいさまの実家が須影なうえ、ぼくの先輩でいらっしゃるということ。
幼い頃の記憶も楽しく耳を傾けさせていただきました。
記憶というのは不思議で、なぜそこだけ覚えているんだろうというものが多いですよね。

「Tりせん」や「M原通りにあった銭湯」、映画館はすでになく、
知らない者にとっては今後貴重な証言になっていきます。
羽生の町場に住んでいる方は、町の移り変わりに関心が高い印象があります。
それだけ、田舎といわれている町でも移り変わりが激しいからでしょうか。

ぼく自身、小学校のルールを破って自転車を走らせ、
そこで見た町場の風景は懐かしく記憶しています。
改装する前のキンカ堂や本町通りの豆腐屋さん、
一高近くにあった本屋さんや、ビックリマンチョコが大量に売っていたとりせんなどなど……

歴史的な視点で見ても、羽生は面白いところです。
今後、この町の歴史や文化が元気の源になっていくのではないでしょうか。
そうであっても、そうでなかっとしても、
郷土の誇りは大切に語り継いでいきたいです。

日々つまらない記事を書き続け、
気が付けば自分でも読み返すのが大変なほどの量になってきました。
お時間のあるときにでも遊びに来て下さいね。
羽生生まれ羽生育ちとして盛り上げていきましょう
返信する
Unknown (はに丸)
2017-07-24 00:21:43
一高とは 羽生第一高校のことですか、従兄が国語の教員してました。

森村誠一は 731部隊のことを書いたので中国の反日運動の原因を作りました。
彼の売名行為で日本人が迷惑を受けました。だから嫌いな作家です。
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