クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

1990年代の『それでも作家に……』をそれでも読む?

2020年04月27日 | ブンガク部屋
外出自粛のため、むかし読んだ本を再読している人も多いと思います。
年齢を重ねると、読み方もだいぶ変わるものです。
むかし読んだ本を繙くことは、かつての自分と再会することと似ているかもしれません。

18歳のときに出会い、ぶっとんだ本があります。
それは1993年に刊行された『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(太田出版)。
41歳になったいまも、この本には強烈な吸引力を感じます。

文芸批評家のスガ秀実氏と渡部直己氏の共著です。
僕は1997年にこれを手に取ったのですが、ぶっ飛びました。
「読書」という概念が、180度ひっくり返ったのも同然だったからです。

漫然と読んでいてはダメ。
趣味の読書ではダメ。
それまで、書店や図書館で面白そうな本を選ぶという読書だったのですが、
それを全否定された気分でした。

どの本を、いかに読むか。
本書はこの一言に尽きると思います。
技術論としても読めるのですが、
つまるところ、物を書きたいのであれば本を読め、というのが基調となっています。
そして、「本」を読むにも知識がいるし、技術も必要である、ということです。

本書に、『構造と力』(浅田彰著)が読めるか否かで作家を分ける、という節があるように、
哲学・思想の書が比較的多く登場します。
例えば、わずか半ページに、
ヌーヴォーロマン、ヌーヴェルクリティック、ロラン・バルト『S/Z』、ジャック・デリダの『グラマトロジー』『エクリチュールと差異』、ジル・ドゥルーズ『差異と反復』、ヘーゲルといった用語・名称が出てくるほどです。

世界が揺らぎました。
自分はいままで何を読んできたのだろう、と真剣に悩んでしまったものです。

18歳にはあまりに刺激が強く、自身の井の中の蛙ぶりに羞恥心を覚えました。
それまでの漫然とした読書をやめ、「どんな本を、いかに読むか」という視点で本選びを始めたことは言うまでもありません。
ましてや物を書く側に回りたかったのですから、
本書と出会って以来、「趣味は読書」とは口にできなくなりましたし、
「暇」の慨念も霧散しました。

『それでも作家に……』は1993年の刊行で、もはや「古典」と言えます。
当時ベストセラーになったので読んだ人も多いでしょう。
いまもときどき古書店で見かけますし、続編や新編も刊行されました。
それまで類のなかった本であり、
「作家」という存在がいまとは違う意味を持っていたからなのでしょう。

とはいえ、いろいろな意味で名の知られた文芸批評家が出した本なので、
「とてもいやぁ~な気持ち」になった箇所も少なくありません。
でも、その「毒」とも言える部分も含めて、強烈なインパクトがありました。

著者の内、スガ秀実氏は小林よしのり氏と論争を繰り広げたことでも知られています。
僕は妙にスガ氏に吸引力を覚え、これまでその著書を手に取ってきました。
ただ、スガ氏のファンと言い切れないのは、その著書がいずれも難解であり、
どれだけ自分が理解しているか自信がないからです。
1冊を読むのに、その前提として何十冊もの本を読んでいなければならない、
という類なのです。

でも、『「帝国」の文学』(以文社・2001年)が刊行されたときは、
池袋のジュンク堂書店で開催されたサイン会に足を運びました。
『革命的な、あまりに革命的な』(作品社・2003年)の刊行時も、
同店で開催されたスガ氏のトークイベントに参加しましたが、難解でついていけなかったのを覚えています。

難解ながらも、『「帝国」の文学』や『日本近代文学の〈誕生〉』(太田出版・1995年)は、
ときどき仕事に絡めて読み返しています。
田山花袋という作家を見る上で、前者は重要な指摘をしています。
なお、いささか異色なのは、『大衆教育社会批判序説』(秀明出版会・1998年)です。
この著書の中に、「東京でも、H市くんだりまで行って……」という一文がありますが、
「H市」は『田舎教師』の舞台・羽生市ではないかと勝手に思っています(第1章Ⅵ節)。

そんなスガ氏の著書の中で初めて読んだ『それでも作家に……』は、
41歳になったいまも吸引力を持っています。
むろん古さはありますが、読み応えは十分です。
歴史書の側面もあるからでしょう。
「いやぁ~な気持ち」にさせられるのは、
批評家ならではの技かもしれません。

とはいえ、さすがに本書の内容を真に受けるほど繊細ではなくなりました。
時代も変わりましたし、価値観も多種多様になっています。
教養はあって重いものではありませんが、
そこに引きずられる必要はないと、いまは思っています。
世界の広さを(自分なりに)知った上で、
心の琴線に触れる本を読むのが一番でしょう。

『それでも作家に……』のコンセプトは、
本をどう読むか=どう小説を書くか、なので、
どちらかといえば、作家になりたい人向けというより、
批評家や人文系編集者向けの本のように思います。

もちろん「作家」になりたい、わけではない人も読めます。
学術誌に載るような論文ではなく、文芸批評家ならではの読み方に触れられます。
そこに登場する書籍を片っ端から読破したくなるかもしれません。
ちなみに、本書に載っている「必読小説50選」が膨らんだのが、
2002年に太田出版から刊行された『必読書150』なのでしょう。
合わせて読むと、世界の広がりを感じます。

そして、その世界の幅を知ると、
自分の終わりが来るまでにどれだけの本が読めるのだろうと思ってしまいます。
何の本をいかに読むか。
年齢が上がると、「何の本を…」という言葉に重みが増します。

18歳はもはや遠く、漠然と時間があったように思えたあの感覚は不可解です。
あの頃は「未来」が遠くに見えました。
でも、いまとなっては過去が遠い場所。
帰ることのできない遠さに愕然とします。
あの頃と想いは変わらないはずなのに。
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