クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

席向かいの小説準備家

2020年08月02日 | ブンガク部屋
手に取ること自体、本からの声を無意識に受け取っているのかもしれません。
そこで目に留まったのは、チクチクと胸に痛いコトノハ。

 我々研究者にとって、まともに研究できるのは二〇~三〇年くらいしかない、この間、大きな研究テーマを追求するのは、一~三程度しかできないであろう。そのなかでの小さなテーマだけをとってみても最低二~三年を要すると考えれば、生涯に真剣に取り組める小テーマでさえしょせん多くはないのである。(中略)ボルテージの最も高いうちにまとめるべきであって、もう少し勉強してからということで延ばしていったら、結局そのままになってしまう場合が多い。
(矢田俊文記「「研究すること」と「活字にすること」」より。『矢田俊文著作集第四集 公立大学論(下)平成の大学改革の現場実践録』社原書房収録)

鉄は熱い内に打てとはよく言ったものです。
そのときにしか書けないもの、
そのときでしか伝えられないものは確かにあります。

あとでじっくり腰を据えてやればいいと思っても、
いつの間にか熱は冷めてしまうもの。
あれほど全身で求めていたのに、その情熱は手の平をすりぬけ、二度と摑まえることができない。
そんな経験は多々あります。
「一期一会」は人との出会いに限らず、自身の胸の内に湧き起こる感情にも言えることです。

ところで、自分を棚に上げてふと思い出すのは、かつて僕の近くにいた小説準備家です。
彼は小説を書くための準備をしている人でした。
「彼」と呼ぶには失礼にあたるほど年が離れていましたが、とても若く見えたのを覚えています。

真面目な人で、1つの文芸作品を繰り返して読んでいました。
自分の血肉になるほど読み込まなければ「読書」とは言えない。
席向かいでそう言っていたのを聞いたことがあります。
繊細な人で、胸の内に抱えるものがあり、その人にとって文学は心の拠りどころだったかもしれません。

そんな彼に僕の作品を読んでもらえないかお願いしたことがあります。
「誰かの感想をもらうといいよ」と別の人からアドバイスがあったので、
思い切って彼に声をかけたのです。

すると、予期せぬ言葉が返ってきました。
「あなたの作品は読むに値しない。だって評価を受けていないじゃないか」。

当時、僕は煮詰まった状態でした。
何をやっても結果が出ず、行き詰まり、閉塞感を強く感じていた頃です。
そういうときは、選ぶものもおおよそイレギュラーです。
通常であれば選ばないものを選び、声をかけないひとに声をかけてしまうものです。

そのときもそうだったと思います。
普通に考えれば、僕の作品を読んでもらうことはその人にとって負担の何ものでもありません。
そのことに思い至らなかったのですから、当然のしっぺ返しでした。

そんな彼は小説家の卵でした。
小説を書こうとしていました。
一つの作品を熟読するのは、創作の勉強のためでもあったのです。
その作品の感想や評価を文章にし、仲間内で発表。
勉強熱心な彼をみんなが感心し、評価もしていました。

が、彼の書いた小説はいつになっても目にすることはありませんでした。
感想文以外にも書いていた文章があります。
それは彼の身辺を綴ったもので、構成はなく、肉付けされた登場人物もなく、
あえてそのように意図して書かれたわけではないことは明らかでした。
それを「作品」と呼ぶには疑問でしたし、彼もそう言っていたわけではありません。

そのまま歳月が流れていきました。
変わらないのは勉強に対する熱意です。
小説の準備。
その力の入れようは誰よりも勝っていたと思います。

ロラン・バルトの『小説の準備』という書物があります。
僕はそのタイトルを目にするたび、ふと彼の顔が思い浮かぶのです。
彼の小説の準備に対する情熱を形にすれば、同様のタイトルの「作品」が完成するのかもしれません。

実は、彼はすでに何作もの小説を書いていたのではないか。
そう思うことはあります。
たまたま僕の目に入ることがなかっただけのことで、書き上げた小説があった。
それを仲間内で回し読みしていた……。

その真相はわかりません。
いまとなっては僕の日常から遠い人です。
彼の勉強熱心さと「読むに値しない」と返って来たコトノハ。
彼は「読むに値」する文章を書いたのかどうか、どちらにせよ心の琴線に触れないものです。

準備は必要です。
問題なのはいつスタートを切るかです。
見切り発車する人もいれば、三島由紀夫のように緻密に構想を練って書き出す人もいます。
どのタイプに属するのか、それもやってみなければわからないことでしょう。
矢田俊文氏は、研究においても同様の問題があることを述べています。

 一つのテーマに取り組んだとしても、いつまとめにはいるかが問題である。まだまだ読まなければならない文献がある、必要な資料が十分に集まっていない、一生懸命考えてもうまくまとまらない、などの現実にいつも直面する。テーマに真剣に取り組めば取り組むほど、また、自分に対して謙虚であればそれだけ、途中でまとめることに躊躇してしまう。
(前掲書)

僕個人としては、骨格ができ次第スタートする方です。
どんなに準備をしても、実際に動き出せば、予期せぬものが必ず出てくるものです。
走りながら必要に応じて「準備」をする。
そしてまた走り出す。

骨格さえしっかりしていれば、道に迷うことはありません。
思わぬ着地点が見えても、軌道修正は可能です。
逆に、骨格がないと方向性を見失い、泥沼にはまり、リタイアを余儀なくされることがあります。
例えばテスト勉強にしても、教科書を読み込むインプットに時間をかけても、
問題集を解くアウトプットをしなければ、
何がどう問われるのかわからず結果を出せないのと似ているのではないでしょうか。

ボルテージが高まったら、ある程度見切り発車でもいいのかもしれません。
心が熱い内が、人生で最もそれに惹かれているときなのでしょう。
何歳になったら始める。
時間に余裕ができたらやる。
何かとそう口にしがちですが、実際にその時が来ても、関心が持続しているとは限らないのですから。
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6 コメント

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Unknown (イワセもん)
2020-08-05 21:22:48
ご無沙汰しています、イワセもんです。
私も岩瀬と先祖を調べ始めて十年位になります、いろいろな方から力になって貰い、本を書けとか言われるけど全くの素人で文章を創るのは難しく気が重いです。
資料や記録全く無く、物証や言い伝えを基に過去の風習や土地の呼び名、現在の苗字の由縁など考え続け、ここに来て鎌倉時代推定の古常滑の大型の壺が存在する事が判明しています。
家紋の由来はクニの部屋で勉強させて頂きましたし医王寺の事、沢山の事を勉強させて頂きました。
私的な考えでは上野源氏 世良田氏一門 南北朝の動乱 行方不明となって現医王寺に土着した江田行義と推測しています。
この様に考えると、後の徳川将軍家との関係性が繋がって来ますし羽生城主木戸氏とも繋がります。
この推測が世の中に出せるか判りません、まだまだ先は見えません。
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Unknown ()
2020-08-06 16:22:18
ゼミを過去形で語るなかれ。お言葉胸にしみました。
一行、一ますに命の種を紡いで植えている方に、なんと
無神経なことを言ったと。確かあの頃作品を持って来ていた方がいました。その時の一シーンおもいだしたりします。小説を書く。過去もなく未来もない。今を生きる。きびしい生き方なんですね。失礼お詫びします
返信する
イワセもんさんへ (クニ)
2020-08-07 00:17:38
こんばんは。
資料や記録がない中で調べていくのは本当に大変ですよね。
さまざまなアプローチの仕方はありますが、推論に推論を重ねつつ、矛盾に頭を悩ませ、また組み立てていく……
それを文章に起こすのは並大抵の労力ではありません。
僕は行き詰ると吐き気を催すほどつらいです。

でも、書きながら新たに気付くことが多々あることも事実です。
資料を読み下したり、現代語に訳したりするだけでも、読むだけでは気付かなかったところに目が留まります。
たぶん、インプットとアウトプットでは脳の使う場所が違うのでしょうね。

「文章に起こす」と言ってもさまざまです。
学術論文、小説、随筆、エッセイ、詩など手法はそれぞれで、ご自身の表現のしやすいジャンルを選ぶといいかもしれません。
拙ブログは立ち上げてから十年を超えましたが、長くやっていると前に書いた記事に自信がなくなってきます。
拙ブログの記事を鵜呑みにはせず、あくまでもご参考にしていただけたらと思います。
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虹さんへ (クニ)
2020-08-07 00:34:24
この記事に登場する「彼」は、モデルがいるような架空の人物のようなといった感じです。したがって、「彼」はゼミの方ではありません。
とはいえ、モデルがいるとすれば虹さんもご存知の方かと思います。

ゼミのことについて触れれば、あそこには命の結晶とも言える「作品」を持ってくる方が多くいましたね。
中には、ときどきその作品がテキストになりました。
いまでも捨てずに持っています。
読み返すこともあります。
いまなお熱の塊のようなものを感じて、あの頃の季節から刺激をもらうことは一度や二度ではありません。

「失礼」もなにも、虹さんには拙作を読んでいただき、勇気づけられるお言葉をいただきました。
「六法」を読むお子さんがまだ幼く、大変お忙しいときに拙いものを読んでいただき本当にありがとうございました。
改めて御礼申し上げます。
いまさらですが、あの頃に書いていたものは歴史をさほど題材にはしておらず、思い返すと恥ずかしいですね。
とはいえ、僕なりに熱を込めて書き上げたことや、いただいたコメントの一つ一つが勉強になり、血肉となっています。
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コメント感謝です (イワセもん)
2020-09-07 20:52:31
執筆経験の無い者としては、文章表現は非常に難解で複雑すぎるのですね。
古常滑の壺を所有している方は、自伝の出版経験が有り私に勧めてくるのです。
貴重な昔話を聞かせて貰ったり気持ちに応えたいのはやまやまですが、コメント程度でも四苦八苦なんです。
専門の方に壺の年代鑑定をお願いしたり、変な視点の裏付け、岩松寺、医王寺、紅い山門と本堂あれは廃仏毀釈で本当にお寺が残ったの?
妄想の暴走が止まらなくなってます。
本はどんどん遠ざかって往きそうです。
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イワセもんさんへ (クニ)
2020-09-07 23:08:33
文章表現は確かに難解です。
かつて、相手にわかるように書けと言われたことがあります。
「わかりやすく」というのは案外くせ者で、歴史を知る人なら「上杉謙信」と言えばわかりますが、知らない人には説明しなければなりません。
それによって文章表現も変わってきますし、構成も合わせて組み立てなければならず、ある程度の技術が必要になってきます。
世の中にはたくさんの「文章読本」が出ていますが、論より慣れの気がします。
どんな世界でも形にするというのはとても難しいことですね。
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