クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

ノーベル文学賞作家が羽生に泊まった? ―はにゅう萌え(3)―

2011年07月03日 | はにゅう萌え
ノーベル文学賞作家”川端康成”も羽生に来ていて、
“羽生館”で一泊している。
作家“横光利一”と“片岡鉄平”と一緒だった。

何をしに来たのかのかと言うと、
『田舎教師』巡りである。
片岡鉄平が言い出しっぺで、
川端と横光が同伴した。

意外というか、『田舎教師』を読んだことがあるのは片岡だけだった。
羽生を舞台にした田山花袋の小説で、
刊行されたのは明治42年。
川端らが訪れたのは昭和13年である。

『田舎教師』巡りをした彼らの写真は何枚か残っている。
その写真を撮影したのは川端のため、
本人は写っていない。

羽生館での写真には、
羽生警察署の刑事と、
『田舎教師』の登場人物「荻生さん」のモデルとなった“荻原喜三郎”が写っている。
そのほか、発戸に立つ片岡と横光や、
古河市の中田の風景が記録されている。

羽生館は現在も残っている。
『田舎教師』にも「梅沢旅館」として一行だけ登場する。
プラザ通り(本町通り)に面していて、
前を通り過ぎるとつい視線が行ってしまう。

というのも、ここは高校時代の部活のOG会の会場だったところで、
個人的に思い入れがある。
高校を卒業したばかりの春休みに初めて足を運び、
二階の広間でグラスを重ねた。
そしてその帰りに、公衆電話で財布を置き忘れたことも記憶に一花添えている。

年に一度の同窓会の場というせいだろうか。
羽生館は会いたい人に会える場というニュアンスがぼくの中にはある。
滅多に顔を合わせない人と、一年でたった一度だけ会える場所。
まるで七夕のようだが、
そんな施設が一つくらいあってもいいだろう。

ちなみに、 川端たちが『田舎教師』巡りをしたことは、
片岡鉄平が随筆に書いている。
タイトルは「文学的紀行」。
昭和13年6月号の「文學界」に掲載され、
同15年12月には相模書房から単行本として刊行された。
この書に羽生館は、

 その夜は羽生館で泊った。私たちは久しぶりに夜おそくまでまじめな話と、
冗談を云ひ合った。

と書かれている。
何気なく通り過ぎてしまう建物かもしれないが、
文学者たちの軌跡が残っている。
あるいは、この場所を使った人たちの記憶も……


プラザ通り(埼玉県羽生市)

※最初の画像は羽生館(同上)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« “志多見”(しだみ)の地名の... | トップ | 森村誠一氏の“原風景”の熊谷... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

はにゅう萌え」カテゴリの最新記事