騎西城の支城として“油井城”という城があった。
上杉謙信が騎西城に猛攻をかけたとき、
油井城もまた標的となる。
騎西城に比べて、油井城は小さな砦に等しい。
そこを守っていたのは“猪股小平六則綱”という者である。
油井城は猪股氏の居城であり、
イメージとしては屋敷を武装化したものだったのだろう。
したがって、上杉軍に攻められればひとたまりもない。
油井城に詰めていた者は奮戦したものの、
すぐに追い詰められていく。
そこで本城に緊急を知らせるため、
あらかじめ設けられていた鐘を打ち鳴らした。
ところが、騎西城も合戦の真っただ中である。
上杉軍の猛攻によって救援どころではない。
油井城は空しくも陥落した。
鐘を打ち鳴らしたことから、
油井城は“鐘つき山”とも呼ばれる。
その鐘は城を取り囲む沼に沈められたと伝えられている。
現在、その址地には遊水池が広がっている。
ただ、足を運んでもそこを城跡とは思わないかもしれない。
江戸期に成立した『新編武蔵風土記稿』にも、
「今は山もなく、陸田となりて、城跡のさまは見えず」とある。
ただ、同書によると、
「矢ノ根」や「鉄砲の玉」が土の中から出てきたことがあるらしい。
“鐘”もどこかに眠っているのだろうか。
油井城址(埼玉県加須市)
上杉謙信が騎西城に猛攻をかけたとき、
油井城もまた標的となる。
騎西城に比べて、油井城は小さな砦に等しい。
そこを守っていたのは“猪股小平六則綱”という者である。
油井城は猪股氏の居城であり、
イメージとしては屋敷を武装化したものだったのだろう。
したがって、上杉軍に攻められればひとたまりもない。
油井城に詰めていた者は奮戦したものの、
すぐに追い詰められていく。
そこで本城に緊急を知らせるため、
あらかじめ設けられていた鐘を打ち鳴らした。
ところが、騎西城も合戦の真っただ中である。
上杉軍の猛攻によって救援どころではない。
油井城は空しくも陥落した。
鐘を打ち鳴らしたことから、
油井城は“鐘つき山”とも呼ばれる。
その鐘は城を取り囲む沼に沈められたと伝えられている。
現在、その址地には遊水池が広がっている。
ただ、足を運んでもそこを城跡とは思わないかもしれない。
江戸期に成立した『新編武蔵風土記稿』にも、
「今は山もなく、陸田となりて、城跡のさまは見えず」とある。
ただ、同書によると、
「矢ノ根」や「鉄砲の玉」が土の中から出てきたことがあるらしい。
“鐘”もどこかに眠っているのだろうか。
油井城址(埼玉県加須市)
ここはかれこれ2回程訪れておりますが、堀らしき地形があったような事を記憶しております。
「油井城」が城の実名であれば「鐘撞山」は雅名という事になりましょうか。
でも「鐘撞山」は落城時の話を元に名づけられた名前なので、その名称で呼ぶのもいささかおかしいような気がしたりします。
近年、歴史にちなんだ小字や小名がどんどん失われていく中でも、歴史を伝える地名は実際に使われなくなっても残していって欲しいものです。
毎日ブログの更新お疲れ様です。
鐘撞山は確かに後世の呼び名ですね。
立ち寄ることはないのですが、横目で見ることが多い城です。
でもそこが城だと知らなければ、普通に見過ごしてしまう場所ですね。
地名は言葉の化石ではないでしょうか。
その由来を見ると、納得してしまうものばかりです。
地名も合理化の波を受けていますが、後世に伝えていきたいですね。