クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生の“内手橋”近くに出城があった? ―内手―

2024年06月04日 | 城・館の部屋
羽生市内に“内手橋”という橋が架かっている。
埼玉用水に架かる橋で、羽生市小須賀地内となる。

“内手”は城郭用語に数えられる。
「打出」「内出」とも表記され、群馬県内の城館跡にも見られる。

ということは、ここに城館があったのだろうか?
埼玉県の調査では、内手は城館として比定している。
冨田勝治氏も羽生城の支城として、境界を守る出城という見解を示した。

そう、出城。
内手は出城の別称であり、山﨑一氏は一揆の勢力下にあった地方に多いと述べた。
堅固な城館というより、武装化した屋敷のようなイメージだろうか。
ただ、郭を設ければ城郭である。
城絵図もなく考古学的成果もないため、構造や縄張りは不明である。

ところで、埼玉用水に架かる内手橋は、戦国時代から存在するものではないだろう。
その前身はあったかもしれないが、
現在の橋は埼玉用水路として整備されたときに建造された。
昭和42年12月のことである。

左岸に「内手橋」とあり、右岸に「うちではし」と表記されている。
城館に心を寄せる者なら、その文字を目にしただけで足が止まるかもしれない。
橋は漢字表記が入口で、ひらがな表記が出口だという。
この内手橋を虎口に見立てれば、用水を堀として、木戸門や横矢掛かりを思い描きたいところだが、
それはやりすぎというものだろう。


内手橋から埼玉用水路を望む
コメント
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