クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

8月2日の藤

2024年06月21日 | 歴史さんぽ部屋
加須市内で記念樹を見かけた。
1996年8月2日、加須ロータリークラブが創立25周年として、
公園内に藤の木を植えたらしい。
ちょうど春の季節で、藤の花が満開に咲いていた。

2024年は1996年と同じ暦という。
今年の8月2日は金曜日だから、
1996年も週末に位置していたことになる。

その年は高校生最後の夏休みだった。
だから家と図書館を行き来していたわけだが、
ときどき閉館後に利根川へ足を延ばした。
図書館には知っている同級生の顔が何人かあって、机に向かっていた。

過ぎていく日々の中、言葉を交わしたいのに話しかけられない人がいた。
どんな日常を過ごし、卒業後はどんな未来を思い描いているのか。
ついこの間まで、何の気兼ねもなく言葉を交わしていたのに。
あの日を境とするまで、いろんなことを話していたのに、近くて一番遠い人がいた。
人と人とのつながりの曖昧さと不安定さ、どうにもならない現実の苦しさを感じた。

一方で、思いも寄らないきっかけで出会う人もいた。
全く知らなかった世界がそこから広がった。
すぐ横にある苦しさの一方で、日々のテンションは高かった。
朝は「ひらけ!ポンキッキ」でコニーちゃんとジャンケンをして、
日曜の夜には大河ドラマ「秀吉」にワクワクした。
渇くような読書熱にうなされて、書店で何冊もの本を買い込んだ。

眩しい太陽と土砂降りの雨がいつも同居しているようなもので、
心の中はモヤモヤしていた。
何かを伝えたいのにそれを表現できず、息苦しさにあえいだ。

自然とペンを執った。
ときどきギターも弾いたが、文章を書くことの方が性に合っていた。
伝えたいこと、語りたいことがあった。
もし、拭えない苦しさがなければ、文章を書くことなどなかったと思う。

本に居場所を求めていたら、自分が居場所になればいいのではないか。
そう思ったのはいつだっただろう。
不安定な人と人とのつながりに傷つくくらいなら、本のような立ち位置でありたいと。
必要なときに手に取り、役目を終えればまた離れていく。
壊れていったものたちを思うと、そんな立ち位置が一番受け入れられる気がした。

満開に咲く藤を見上げながら、1996年の夏を思った。
金曜日だった8月2日、自分がどう過ごしていたのか、むろん覚えているはずもない。
いつも通り図書館へ行って、帰りに利根川へ足を延ばしたのか。
特別でもない代わり、ありふれた数字というわけでもなかった。
見上げた夏空に、見付けられない言葉を探したのかもしれない。

小耳に挟んだところによると、8月2日の藤は曖昧な位置にいるという。
存続が危ぶまれているのだとか。
不安定で未來が定まらない。
望んでも壊れてしまう居場所がある。
1996年と同じ暦の中、8月2日の藤は今年も夏至を迎えた。