クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

会の川の最上流部にて

2024年06月07日 | 利根川・荒川の部屋
令和6年5月26日開催の「タイムスリップまち歩き」で訪ねた会の川の最上流部。
会の川はかつて利根川の本流だったが、現在は川幅も狭く、穏やかな流れになっている。

「本流」と言っても、水勢は時代によって異なっていたらしい。
文禄3年(1594)の締切時には、すでに「派川」と言ってもよく、
言い伝えられるほどの難工事ではなかったとみられる。

人柱伝説、西福寺へ発給された文書、締切神社、利根川東遷……。
会の川上流部における歴史的素材は賑やかだ。

ところで、小学校の社会科の授業で、地元を勉強するのは小学3、4年生のときだった。
「はにゅう」や「埼玉県」といった教科書を使った。
いわゆる副読本である。

当時、僕は「社会」は苦手な科目だった。
産業や治水に関心は薄く、テストの点数もいまいち。
教科書を目にするだけでストレスを感じるほどだった。

ところが、会の川の締め切りをきっかけに地域史に興味を持つと、
「はにゅう」と「埼玉県」がやたら面白く読めたのを覚えている。
会の川が利根川の本流だったことも書かれているし、東遷のことにも触れられていた。

大人になるとわかるものがある。
大人になると興味を覚えるものがある。
張られた伏線のように、「はにゅう」と「埼玉県」で習った情報は、
大人になって知識になった。

例え無関心でも、情報として知っているだけで、あとで将来につながる手紙のような縁を含む。
だから、情報として触れるだけでも大切だと思う。
この体験を通して実感したことでもある。

20代はじめ、自転車を走らせて会の川を上った。
18歳の春、自転車で利根川の果てを見に行った。
みんなつながっている。
起点は緩やかで、水は少なく、頼りない。
でも、やがて多くの川と合わさって大きな流れになる。
人生もまた、それと似たようなものかもしれない。


埼玉県羽生市