令和6年5月26日開催の「タイムスリップまち歩き」で訪ねた会の川の最上流部。
会の川はかつて利根川の本流だったが、現在は川幅も狭く、穏やかな流れになっている。
「本流」と言っても、水勢は時代によって異なっていたらしい。
文禄3年(1594)の締切時には、すでに「派川」と言ってもよく、
言い伝えられるほどの難工事ではなかったとみられる。
人柱伝説、西福寺へ発給された文書、締切神社、利根川東遷……。
会の川上流部における歴史的素材は賑やかだ。
ところで、小学校の社会科の授業で、地元を勉強するのは小学3、4年生のときだった。
「はにゅう」や「埼玉県」といった教科書を使った。
いわゆる副読本である。
当時、僕は「社会」は苦手な科目だった。
産業や治水に関心は薄く、テストの点数もいまいち。
教科書を目にするだけでストレスを感じるほどだった。
ところが、会の川の締め切りをきっかけに地域史に興味を持つと、
「はにゅう」と「埼玉県」がやたら面白く読めたのを覚えている。
会の川が利根川の本流だったことも書かれているし、東遷のことにも触れられていた。
大人になるとわかるものがある。
大人になると興味を覚えるものがある。
張られた伏線のように、「はにゅう」と「埼玉県」で習った情報は、
大人になって知識になった。
例え無関心でも、情報として知っているだけで、あとで将来につながる手紙のような縁を含む。
だから、情報として触れるだけでも大切だと思う。
この体験を通して実感したことでもある。
20代はじめ、自転車を走らせて会の川を上った。
18歳の春、自転車で利根川の果てを見に行った。
みんなつながっている。
起点は緩やかで、水は少なく、頼りない。
でも、やがて多くの川と合わさって大きな流れになる。
人生もまた、それと似たようなものかもしれない。
埼玉県羽生市
会の川はかつて利根川の本流だったが、現在は川幅も狭く、穏やかな流れになっている。
「本流」と言っても、水勢は時代によって異なっていたらしい。
文禄3年(1594)の締切時には、すでに「派川」と言ってもよく、
言い伝えられるほどの難工事ではなかったとみられる。
人柱伝説、西福寺へ発給された文書、締切神社、利根川東遷……。
会の川上流部における歴史的素材は賑やかだ。
ところで、小学校の社会科の授業で、地元を勉強するのは小学3、4年生のときだった。
「はにゅう」や「埼玉県」といった教科書を使った。
いわゆる副読本である。
当時、僕は「社会」は苦手な科目だった。
産業や治水に関心は薄く、テストの点数もいまいち。
教科書を目にするだけでストレスを感じるほどだった。
ところが、会の川の締め切りをきっかけに地域史に興味を持つと、
「はにゅう」と「埼玉県」がやたら面白く読めたのを覚えている。
会の川が利根川の本流だったことも書かれているし、東遷のことにも触れられていた。
大人になるとわかるものがある。
大人になると興味を覚えるものがある。
張られた伏線のように、「はにゅう」と「埼玉県」で習った情報は、
大人になって知識になった。
例え無関心でも、情報として知っているだけで、あとで将来につながる手紙のような縁を含む。
だから、情報として触れるだけでも大切だと思う。
この体験を通して実感したことでもある。
20代はじめ、自転車を走らせて会の川を上った。
18歳の春、自転車で利根川の果てを見に行った。
みんなつながっている。
起点は緩やかで、水は少なく、頼りない。
でも、やがて多くの川と合わさって大きな流れになる。
人生もまた、それと似たようなものかもしれない。
埼玉県羽生市