年末年始で物入りだからでしょうか、大昔の笑い話を思い出したので書いてみます。
クリスチャンになりたての20年前、周りは「什一献金は当然すべきもの。理由?聖書にそうしろと書いてあります」という人ばかりでした。
※什一献金(じゅういちけんきん)とは、自分の総収入の十分の一を、神のものとして教会に捧げる献金の事です。
例えば、当時の牧師と喧嘩して教会を出た後も、匿名で教会に献金する方がいたりと筋金入りでした。
(その方いわく「牧師にじゃなくて神への捧げものだから。それはそれ、これはこれ」)。
おかげで良い影響を受け、什一献金に対する抵抗感や惜しむ心は、現在も特にありません。
しかし一度だけ、「今月の什一はしない!」と思ったことがあります。
理由は覚えていませんが、私は本気で神に立腹した事があります。そしてどんなに怒っているかを神にアピールしたいと考え、その手段として什一献金を使いこむ事にしました(笑)。
服を買おうか、おいしい物を食べようか・・・と、楽しいイベントを考えつつも
「でもこれは、私の自由にしていいお金じゃない」と、内心おだやかではありませんでした。
でも腹立つし、やっぱり使おう!と、取り分けておいた什一献金の袋を探しました、が「まさか失くした?」という位、全く出てきません。
あちこち探すうちに、徐々に冷静になり・・「やっぱり神のものに手を出すのは良くない。イエス様ごめんなさい。使い込むのはやめます。」と、悔い改めの祈りをした所、半日もしないうちに、初めに捜した「いつもの置き場所」からあっさり出てきて驚きました。
「什一は神のもの(マラキ書3:8-10)」と聖書にあるので、怒りにまかせて使い込む(盗む)という罪を犯さないように。そんな事をすれば悪魔が喜ぶでしょうから、それを阻止して下さったと受け取りました。
そして今思うと、神は心を見られると聖書に書いてあるので、別に怒りをアピールしなくてもバレバレだったわけで・・・。今思えば幼いというか、初々しいというか恥ずかしいというか、かわいい話です。
ユニークな方法で働いてくださった、主をほめたたえます(笑)。
hiromi
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