感謝と祈りといやし

熊本アンテオケ教会の神様の栄光の表れを神様に栄光を帰しながら書いていきます

月曜祈祷会にて@父の問題

2018年12月01日 | 脱出の道

 私の実父は76歳です。以前の証し後、退院しました。入院中はまともでしたが今や毎日の連続飲酒に喫煙と、常時酔っぱらっています。そんな父に腹が立ち、母と一緒に怒ったり嘆いたり、ギャーギャー言う日々でした。

しかし聖書には「あなたの父と母を敬え」、「父や母をののしるものは死刑に処せられる」と書かれています。

 母は未信者ですが、私はクリスチャンです。聖書には「すべての事について感謝しなさい」とあるので、父の事を感謝する事にしました。「いつも酔っぱらってる事を感謝します」、「アルコールで頭の回転も相当鈍いです。感謝します。父を憐れんで下さい」などなど・・。しかし、感謝をするたび腹が立ち、イライラして闇の中を堂々巡りになります。

荷が重いと感じたので方法を変えました。毎週の月曜祈祷会に参加し、その度ごとに父の事を皆さんと共にお祈りする事にしたのです(※この祈祷会は、個人の祈りのリクエストを皆で祈ります)。

各々のお祈りを聞いてると、いろんな気づきがあり、私も父に対して(ちょっと)ひどかったな~と一息ついたりと、イライラが軽くなり、まず私がいやされていきました。父も、祈った翌日はちょっぴりまともに?なってるように見えます。父にキレる母をなだめたりできるようになりました(いつもではありませんが)。

 今思えば最初は「情けない」と、父に対して思い上がりと傲慢な思いで感謝の祈りをし、祈祷会でも同様でした。しかし最近は「父も年を取ったんだ。昔と違って当たり前。ギャーギャーいうのはやめよう」という悔改めと、「父の今後の人生に、神が与えようとしていることはなんだろう」に変化してきました。薄皮をはぐようなペースで、闇から光(希望)へと移り始めています。

教会の祈祷会がなければ、私の祈りは自然消滅し、そして何も変わらなかった事でしょう。神と、教会(の皆様)に感謝します。

hiromi


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