九品人の落書帖

写真をまじえ、身の回りで見聞きしたことを、つれづれなるままに!

忍びざるの心

2022年06月12日 | 日記

 孟子は性善説の儒家だった。

 「人にはみな、人に忍びざるの心あり」とした。

                    

 小児が井戸に落ちたら、人はみな、これを助けるであろう。

 それは、小児の両親と交際があるからでもなく、人々に褒められたいからでもなく、

 見殺しにしたという悪評を怖れるからでもない。

 人の不幸を見過ごすことのできない惻隠の心があるから。

 一国を統治する王も、人に忍びざるの心をもって、忍びざるの政治を行われれば、

 天下を治めること、掌上にめぐらすべし、と説いた。

                    

 現下のウクライナ情勢を見るとき、孟子の言葉が浮かんだ。

 ロシアは占領したウクライナの南部地域で、ロシアのパスポートを支給し始めた。

 明らかな国際法違反で、占領地の既成事実化である。

 こんな暴挙が罷り通れば、国際社会で弱小国は主権国家として成り立たない。

                     

 シンガポールでの『アジア安保会議』に、ウクライナのゼレンスキーがオンライン参加。

 「大きな魚が小さい魚を食べ、小さい魚がエビを食べる」と言う、

 シンガポールの故リー・クァンユー元首相の言葉を引用して、国際法保護を訴えた。

 他方で、ロシアのプーチンは、18世紀、ピョートル大帝の北方戦争にふれ、

 スゥエーデンに勝ったことを「奪ったのではなく、奪還して強国にした」とし、

 帝政ロシアの復活が任務だとする。

                    

 国際社会は、ウクライナに対し、物心両面での一層の支援が要請される。

 

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葬儀屋の執念?

2022年06月09日 | 日記

 今や、スマホが無ければ、夜も日も明けない時代となった。

 電話の歴史を振り返ると、数年前まではケータイ。

 更に遡ると、携帯型移動電話、黒電話、磁石式電話器となる。

 磁石式電話器の時代は、まず交換台を呼び出し、交換嬢へ相手番号を告げ、

 接続コードを相手ジャックへ差し込んでもらって通話する。

 この交換嬢による手動式交換から自動式交換となるのは、ある葬儀屋の執念だった。

                    

 所はアメリカでの話し。

 ある葬儀屋に恋人がいて、彼女は電話交換嬢であった。

 その二人が、ある事で破局を迎えた。

 それ以降、交換嬢は葬儀屋への通話申し込みがくると、元カレへは一切つながず、

 別の葬儀屋へつないだのである。

 こうして、元カレの葬儀屋は商売あがったりとなった。

                    

 このことで、葬儀屋は交換嬢の手をえない電話方式の開発に没頭した。

 そして、あのステップ・バイ・ステップ方式の自動交換機の開発に成功。

 その後の自動交換方式は、クロスバー式、電子式へと発展した。

 あの懐かしいダイヤル式黒電話が、日本中の家庭に普及したのも、

 これらの自動式交換機の発達と、期を一にする同時代であった。

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発言撤回

2022年06月08日 | 日記

 日銀の黒田総裁が発言を撤回した。

 「国民は物価上昇を許容している」と発言し、

 SNS上で【#値上げは許容していません】と炎上。

 国会でも追及され「発言は適切でなかったので撤回します」となった。

                    

 黒田発言の根拠は、東大教授のスーパーにおけるアンケートの結果からとか。

 そのアンケートとは「あなたは値段が上ったら、お店を変えますか?」という設問。

 回答として「他の店で買う」と「引き続き同じ店で買う」を選択させるもの。

 アンケート結果は、「引き続き同じ店で買う」が過半数(60%ほど)を占めた。

 従って、人々は値上げを許容しているという次第となった。

                    

 そもそも、東大教授のアンケートが、どこか子供騙しのような設問でもある。

 私達はスーパーで買う時、現下のコロナ禍と円高で値上げは仕方ないと諦めている。

 だとすれば、馴染の同じ店で買うのは当然のことで、特別な購買行動でもない。

 しかも、その円高の要因は、黒田総裁のゼロ金利政策がもたらしたもの。

 自ら物価上昇の片棒を担いでおいて、国民は値上げを許容しているとは、とんでもない。

 そんな黒田総裁だから、安倍元総理をして「日銀は政府の子会社」と言わしめている。

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プーチンのウクライナ侵攻から百日目。

2022年06月07日 | 日記

 去る2月24日、プーチンが突然仕掛けたウクライナ侵攻から、早や百日目。

 当初は、1週間もすれば、ウクライナが降伏し、ロシア帝国に編入の予定だった?

 だが、そのプーチンの目論見は、今や完全に崩れてしまった。

 きょうも、テレビのワイドショウからウクライナ情勢である。

                    

 ここへきて、プーチンは戦場の報道を、ロシア国内向けには完全に規制しているとか。

 ロシア軍の戦果が上らず、国民に戦いの真相が知れると、厭戦気分が出て来るのを恐れて?

 一方のウクライナは、戦意高揚で徹底抗戦の構えである。

 ゼレンスキーも東部の戦地へ出向き、前線で戦う将兵らを激励しているとか。

 欧米からの武器支援の追加もあり、ロシア側に占拠された地域の奪還さえ進めている。

 プーチンの病気説がとび出した。

 プーチンはシェルター住まいで、人は近づけないから、あくまでもウワサである。

 彼は、癌の治療を受けていて、それも、喉頭癌、すい臓癌、結腸癌だとか。

 一方で、ロシア軍に関しても統括総司令官ドボルニコフが解任されたとか、

 軍の内部から、大統領府が十分に機能していないとか

 批判的な意見が増えてきているという。

 更に、中級~下級将校に死傷者が多いことや、兵の士気が低い等など、

 ロシア軍の一部に反乱との情報もあるようだ。

                    

 いずれにしても、この戦争の早い終りを願うばかりである。                 

 

 

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大丈夫!?

2022年06月06日 | 日記

 最近、「大丈夫」という言葉の使い方が変わってきたように思われる。

 その実例を挙げてみたい。

                    

 例①、大学のゼミで、学生がレポートを提出するとき、担当の教授に対し、

  「大丈夫ですか?」と使う。

  おそらく、これで単位が貰えるかという意味らしいが、教授はキョトン。

 例②、裁判所で裁判長から「起訴事実を認めますか」と問われ、

 被告人が「大丈夫です」と答える。これも、どこか奇妙な感じだ。

                    

 国語辞典で【大丈夫】を引くと、

 危なげないこと、確かなこと。副詞的に使うとある。

 一般の言葉のやり取りは、主語と動詞で相手に伝えるもの。

 それらを省いて、単に副詞的に話すから、聞く方はまごつくのである。

 だが、言葉の使われ方は時代と共に変遷するから、

 前述のような「大丈夫」の使われ方は、時代を先取りしているのかも?

                    

 余談だが、私の母は認知症で普通の会話は、ままならぬ状態であった。

 何か話しかけても、返す言葉は決まって「大丈夫ない」の一点張り。

 しかし、いま振り返ると、この「大丈夫ない」と喋るときだけ、

 母は正常に戻っていたのではないか、と思われる。

 私も、いつかボケるかもしれない。

 その時は「大丈夫ない」の一点張りでゆくつもり。

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カゴの鳥

2022年06月05日 | 日記

 九官鳥やオウムが、よく人の声を真似て喋るのは、誰もが知っている。

 以前、何かで読んだエッセーに次のような話しが、あった。

                    

 ある高名な大学教授がいた。

 その教授の元へは、受験生の父兄から入試に関する賄賂や依頼が、よくきた。

 高潔な君子の教授であったから、当然のこと断わっていた。

 が、ある日、教授の元へ『カゴの鳥』が届けられた。

                    

 教授は愛鳥家だったから、書斎で飼うことにした。

 すると、『カゴの鳥』は「オネガイシマス」、「オネガイシマス」と喋り始めた。

 教授の在宅中は、いつも「オネガイシマス」、「オネガイシマス」と聞かされることに。

 その甲斐あってか、どうかは不明だが、

 翌春の大学入試合格者リストに『カゴの鳥』の送り主の子息な名前があったそうな。

                    

 この話から、私はプーチンの戦争を連想した。

 今や、ロシア軍のウクライナ侵攻を止めれるのは、プーチンただ一人。

 世界中の愛鳥家らは、こぞって『カゴの鳥』に「センソウヤメロ」と覚え込ませ、

 クレムリンの大統領府執務室へ届けるのは、どうか?

 ロシアに対する経済制裁より効果的かも知れない。

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パブロ・ピカソ

2022年06月04日 | 日記

 ピカソの絵画の実物を拝観したことは無いが、彼の作品は幾つか知っている。

 中でも、「ゲルニカ」は特に有名である。

 昨晩、テレビを点けると、その「ゲルニカ」を取り上げていた。

 ロシアのウクライナ侵攻とも重なり、つい、引き込まれて最後まで観た。

【ゲルニカ】

 スペインの独裁者フランコ将軍が、ドイツのヒトラーに頼んでゲルニカ地方を空爆。

 その時の現地ゲルニカの惨状を描いたものとされる。

 恐怖と困惑する人々や動物が、手足がバラバラだったり、目や鼻の位置がイビツだったり、

 それが奇妙な構成で、白黒の抽象画として描かれている。

 私には、プーチンのロシア帝国拡大を目指す無謀な攻撃で、

 ウクライナのブチャの虐殺やマリウポリの廃墟と化した市街などと重なって観えた。

                    

 ピカソはフランコ将軍の独裁を嫌い、故国スペインを捨て生涯を米国で過ごした。

 「ゲルニカ」もピカソの意向で、ニューヨークにとどまった。

 「ゲルニカ」がスペインのマドリードへ戻ったのは、

 フランコ将軍が死んで、スペインが民主化されてからであった。

 

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英女王のプラチナ・ジュエリーによせて

2022年06月03日 | 日記

 きょうのTVワイドショウは、エリザベス女王の即位70周年の話題で持切り。

 国中が、お祭り騒ぎで盛り上がっている。

 期間中、1億2000万杯のビールが飲まれるそうな。

 人口あたりに換算すれば、ひとり2杯となるからスゴイ量だ。

 エリザベス女王と言えば、

 数十年前、夫妻で日本を訪問された時の話題を思い出す。

 鳥羽の真珠島へも行かれたが、あの有名ブランドの御木本パールの本拠地である。

 保健所の指示で、全従業員の健康診断と検便が行われた。

 接待役の御木本会長夫妻も、その例外ではなかった。

                    

 御木本夫妻は、手作りのクッキーと紅茶でおもてなしをすることになったが、

 これも又、大変だった。

 出来上がったクッキーは、すぐ消毒済みの棚へ、ナイフやフォークは煮沸された。

 真珠島のあと、女王夫妻は鳥羽国際ホテルで夜を過ごされたが、

 消毒済みの調理人らは24時間の外出禁止と缶詰め状態であった。

                    

 さすがに、フィリップ殿下は女子従業員たちを見やって、

 「彼女たちも煮沸された?( Were  they  boiled  ? 」とジョークを飛ばされたとか。

 とにかく、神州清潔な日本流のおもてなしであった。

 これらが宮内庁の役人の指示か否かは、不明のままであった。

 

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さんりんぼう

2022年06月02日 | 日記

 新聞折込みに混じって、ホームスケジュールというカレンダーが届く。

 月初めの新聞販売所からのサービス品である。

 私は、これを壁に貼り、月間の予定などを書いて利用させて貰っている。

 6月のカレンダーには、

 時節を表す「芒種」や「入梅」、「夏至」に交じって「三隣亡」というのがあった。

 直感的に「さんりんぼう」だと判じた。

 今では、あまり使わないが、昔は、よく使った言葉でもある。

 何か不運なことや、悪いことがあると「今日は、さんりんぼうだ」と使ったもの。

                    

 手元の事典で「三隣亡」を引いたみた。

 暦の吉凶についての俗信の一つ、とある。

 月によって変わるが6月は、午(うま)の日が、これに当たる。

 この日ばかりは、建築を忌むものとされた。

 これに反して家を建てたりすると、火事が起きて、

 隣近所を亡(ほろぼす)することになるから「三隣亡」とされた。

                    

 なお、6月の午(うま)の日は、3日、6日、18日、30日とある。

 恥ずかしながら「さんりんぼう」の漢字表記が「三隣亡」とは初耳だった。

 昔から使っている言葉で、その意味や由縁を知らない事は多い。 

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風向き定まり無し

2022年06月01日 | 日記

 きょう、6月1日は気象記念日。

 1884年(明治17年)我が国の天気予報第1号が発表されたという。

 全国一般 風向き定まり無し 天気変わり易し 雨天勝ち

 今日からすれば、実に大雑把な天気予報だった。

                    

 原文 Variable  winds,  changeable,  some  rain. の和訳である。

 文明開化で明治新政府は、気象もお抱え外国人の指導を仰いだ。

 当時の日本人は、気象学に精通する者が皆無だから止むを得ない。

                    

 私は、むかし初めて就職した職場で、気象観測をやらされた経験がある。

 気象には全くの素人だったから、職場の先輩の指導やテキストの独学で当たった。

 3時間ごとに、風向、風速、温度、湿度、雲の型、雲量、雨量、気圧などなど。

 そして、観測データを数字に置き換え電文にして気象台へ送る仕事だった。

                    

 丁稚、見習いのような仕事の始まりだったから、観測ミスも多かった。

 特に、気圧と雨量に関してである。

 当時の気圧計は、水銀の膨張を針先の触れる位置で測るのだが、

 強い低気圧時では、水銀の膨張が激しく上下に変動し、針先の位置を決めかね計測に苦労した。

 単位はヘクトパスカルではなくミリバールだった。

 台風襲来時には、気象台からミリバールの数値について照会が来たりした。

                    

 雨量に関しても、いい加減な計測をした覚えがある。

 当時の雨量計は、手作業でビンに溜まった雨水を計測フラスコへ移して測るのだが、

 うっかり雨水を地面へこぼしたりし、こぼれた分量を察して適当に加算したりした。

                    

 今の気象観測は、ほぼ自動化されているから、このような計測ミスは生じない。

 気象記念日と聞いて、自分の若い頃の反省を込めて書いた。

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