1957
「四千万歩の男」(1)~(5)
伊能忠敬
2018年は伊能忠敬没後200年。忠敬生誕の地千葉県香取市ではいろいろな催しがなされたそうです。
この物語は昭和52年1月1日から昭和58年8月13日にかけ300回にわたり週刊現代に掲載され、その後平成2年に単行本として出版されました。
週刊誌の話を聞いたころから機会があれば一度読んでみたいと思っていた本です。
日本全国を歩きつくし、忠敬の歩いた距離は35000キロ。
忠敬は距離を測る方法の一つに歩数を使っていました。忠敬の歩測 2歩で1間 (約1.8メートル)で計算すれば 35000キロは約『4千万歩』との計算になります。
ただ物語は第十次まで続く測量行程のうち第一次蝦夷地測量の後、第二次の始まり伊豆半島を終えたところで筆をおいています。この調子で忠敬の全ての足跡「四千万歩」をたどっていると、全行程を記し終える頃には筆者の年齢は優に100歳を超えてしまうからとの理由です。
物語は忠敬の記した測量日誌に基づいた史実とフィクションを織り交じえて展開します。
忠敬の測量に対する熱意、測量の方法、測量器具の取扱いとともにその周辺の人たち、江戸時代の武家社会の内情、庶民の生活、蝦夷地におけるアイヌの人たち、蝦夷地に侵出してきたロシアの話など興味深く読ませてもらいました。
ところで、この本を読むとき登場人物の相関図をメモしながら読み始めたのですが、最初の数十ページでこれはとんでもないことになった、登場人物のなんと多いこと。途中でやめようかとも思ったのですが、試しに最後まで書き出してみました。すると総登場人物は1285人に上ります。総ページ数が1893ページですので、ほぼ1ページ半ごとに一人の人物が新規に登場していることになります。
(ただし、同一人物でも幼名、通称等、呼び名が異なるものは、別掲しカウントしています)
【忠敬の別称】
三治郎 幼名
三郎右衛門 通称
勘解由 隠居名
推歩先生 あだ名
東河 号
「四千万歩の男」(1)~(5)
伊能忠敬
2018年は伊能忠敬没後200年。忠敬生誕の地千葉県香取市ではいろいろな催しがなされたそうです。
この物語は昭和52年1月1日から昭和58年8月13日にかけ300回にわたり週刊現代に掲載され、その後平成2年に単行本として出版されました。
週刊誌の話を聞いたころから機会があれば一度読んでみたいと思っていた本です。
日本全国を歩きつくし、忠敬の歩いた距離は35000キロ。
忠敬は距離を測る方法の一つに歩数を使っていました。忠敬の歩測 2歩で1間 (約1.8メートル)で計算すれば 35000キロは約『4千万歩』との計算になります。
ただ物語は第十次まで続く測量行程のうち第一次蝦夷地測量の後、第二次の始まり伊豆半島を終えたところで筆をおいています。この調子で忠敬の全ての足跡「四千万歩」をたどっていると、全行程を記し終える頃には筆者の年齢は優に100歳を超えてしまうからとの理由です。
物語は忠敬の記した測量日誌に基づいた史実とフィクションを織り交じえて展開します。
忠敬の測量に対する熱意、測量の方法、測量器具の取扱いとともにその周辺の人たち、江戸時代の武家社会の内情、庶民の生活、蝦夷地におけるアイヌの人たち、蝦夷地に侵出してきたロシアの話など興味深く読ませてもらいました。
ところで、この本を読むとき登場人物の相関図をメモしながら読み始めたのですが、最初の数十ページでこれはとんでもないことになった、登場人物のなんと多いこと。途中でやめようかとも思ったのですが、試しに最後まで書き出してみました。すると総登場人物は1285人に上ります。総ページ数が1893ページですので、ほぼ1ページ半ごとに一人の人物が新規に登場していることになります。
(ただし、同一人物でも幼名、通称等、呼び名が異なるものは、別掲しカウントしています)
【忠敬の別称】
三治郎 幼名
三郎右衛門 通称
勘解由 隠居名
推歩先生 あだ名
東河 号