こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

供養塔の基礎が完成しましたよ。

2014年07月17日 | 仏教



さて、密厳供養塔(納骨所)のベース部分が完成しましたよ。
あとは、中央供養塔(シンボルタワー)とブロック(棟)別の納骨室が設置されるのを待つのみです。予定より2ヶ月も遅れていますが、妥協を許さない職人が寄り集まりますと、時間は要するものですね。(~_~;)
でも、100年~200年以上維持できるような墓地づくり❗️がひとつのコンセプトなんで、当然といえば当然。
楽しみです。
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お寺の石灯籠は、密厳浄土の輝きを表す大切な意味を持ち合わせています

2014年07月08日 | 仏教



お寺の北門に(山門はありませんが・・・)美しい石灯籠が建立されました。
とてもきれいな肌をした石材でつくられています。
基礎工事の段階から、耐震構造もほどこした安心の石灯籠。
LEDの照明器具も備えています。
お寺の石灯籠は、密厳浄土の輝きを表す大切な意味を持ち合わせています。
寺院行事の夜には、煌々と灯ることになると思います。当初、太陽光による発電を検討してもらいましたが、
まだまだ手が出ません。((^_^;)、しばらくは、引き込み線から通電します。
ご縁がおとずれるまで、少々お待ち下さい。

ともあれ、山寺の入り口として、すてきな目印になりました。合掌
 

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五智の光明にやさしく抱かれながら

2014年07月06日 | 仏教

 御母堂さまの人生最後を荘厳にお送りし、菩提得脱を至心にお祈りしましょう。
 

さて、おばあちゃんの遺影の上にはご本尊大日如来さまが祀られています。
その如来さまの御手から五色の糸がツーッとこちらまでのびているのが判りますでしょうか?
この五本の糸は、おばあちゃんの手にしっかりとつながっています。

この糸は、如来のお導きによってこれから密厳浄土へと向かわれるおばあちゃんの拠り所となるものです。

五色の糸は、「五智の光明」を表現しています。仏様、すなわち五智の光明にやさしく抱かれながら、
安らかな境地へと向かっていただきたいと思います。

また、仏様と故人をつなぐこの糸には、いにしえからの習俗習慣も表現してあります。
私たちは例外なくお母さんの母胎の中でヘソの緒につながって成長し、時がおとずれると産声とともに
外界へと生まれ出でて人として歩んでいきますが、人生のお役割を終えた後も、このプロセスと同じように、
大いなる命の根源である大日如来とヘソの緒すなわちこの五色の糸でしっかりと結ばれます。
そして、最終的には、出棺とともにこのヘソの緒は切られて、仏としての新しいお魂のあり方が始まるわけです。

そんないくつかの大切な意味を包含しているのが、この五色糸です。

みなさま、今宵は御母堂様とすごす最後の夜です。たくさんの思い出をひとつひとつ偲びながら、
大切に大切にお過ごし下さいますよう、お願いします。
それが、母堂様の菩提得脱へとつながる道であると存じます。

それと、もう一つおすすめですが、こちらに写仏をするための用紙を何枚か用意してきました。
お母様は戌年生まれでいらっしゃるので、「阿弥陀如来」さまの写仏用紙を準備してあります。
今宵お通夜の時間を利用して、お孫さんやひ孫さん方などご一緒に、
心を込めた写仏をなさってみたらいかがでしょうか。できあがった写仏用紙は、明日のお葬儀にお供えして、
おばあちゃんをしっかりとお守りしていただこうと思っています。・・・おすすめします。

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憎しみの連鎖を断ち切るための自衛力

2014年07月02日 | 仏教

 常に念頭に置いて生活しなければならない「利他」の精神。意味は簡単でも実行はたやすくない。たやすくないから、世の中に様々なトラブルがやむことがない。
 四摂法(ししょうぼう)という仏教の実践法がある。これは、言ってみれば社会を構成する集団が守るべき精神的ルールだ。決して観念論ではない。日常の実践行そのもの。
ひとつには、「布施」。これは、わがままな欲を捨て、物でも心でも、他に与え、他を生かそうと努力する生き方。
そして「愛語」。自然に出てくる言葉がやさしい慈愛の言葉であることを心がけること。
次に「利行」。見返りを考えないで、ひたすらに他を利すること、無条件に相手のために何かをすること。我が子や恋人に対する行為を考えるとわかりやすい。
そして最後に「同事」。他人と同じ心、すなわち心のシェア。あなたのよろこびは私の幸せ、自分も相手も思いやる心で一つになれる様努力することだが、これは前述3つの実践を実働させる根幹ともいえる。
 以上の四つが「四摂法」といわれる社会集団運営に欠かすことのできない実践行。頭で考えるんじゃなくて、身をもって行動する事柄だ。集団の枠が大きくなればなるほど、この考え方は大切になってくる。家庭という小さな単位でもすれ違いは起こりうる。地域、国、世界とその枠が拡がれば拡がるほどすれ違いも拡大する。価値観の違うもの同士が一つの方向に向かっていこうとすることには、想像を絶するような努力が必要になろう。しかし、宗教や風土の違う国にあっても、同じ地球上に住む人間として、相互の価値観を認めながらいかに直面の問題を解決していくか。いまこそ、心をシェアしていく努力が必要な時代ではないだろうか。何かしら大きな力に試されているような気さえする。
 私たちが、恐怖に苦しんだり、極度のストレスに陥ったりするそ
の原因は、やはり、「利他」の欠如にあると言っても過言ではない。本来、人にはよりよき生き方をしょう、そうすれば幸せになれるのだという潜在的な思いがあるはずだ。これを仏教では、「如来蔵(にょらいぞう)・仏性」とよんだ。しかしながら、利他の欠如は本来備えているはずの仏性を覆い隠し、不安や恐怖の連鎖スイッチを押してしまう。
 どう考えても理不尽にしか思えない他からの攻撃や威嚇、恐喝、暴力などにたいして、私たちは自衛のために様々な方策を講じる。場合によっては、「目には目を、歯には歯を!」的な強力な反撃に転じる場合もあろう。しかしながら、それは根本的な解決とはならない。そればかりか、憎しみや恨み辛みの連鎖が永遠に始まるはめとなる。
 決して忘れてはならないのが、「同事」という利他の思い。この理不尽に思える攻撃の背景には何があるのか?なぜ不当な恫喝をしてくるのか?相手の立場に立ってその理由を調査思考してみる。さらに、他人をおとしめる罪を犯させないためにはどうしたらよいのか?など、自衛や反撃を工作するよりも大切な同事の心とその実践がある。もちろん、他からの威嚇攻撃に対して、それを暖簾の如く肩すかしして避ける工夫も必要になる。一呼吸をおくことで、冷静な思考が可能となる。この肩すかしも仏の知恵の一つ。
 ともあれ、他の思いをおもんばかる同事の利他行は、もっとも強力な自衛力である。

  

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