食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『ザーサイ本漬け後の様子』

2014年04月10日 18時31分01秒 | 日記

今回は昨年の失敗を受けてのリベンジになる。ネットで知り得た先人は上手に完成されており私も同様に出来るも

のと信じてやってみたが結果はカビ、残念だった。同じようにやったつもりだがザーサイに空気が触れていた為に

外側のカビが感染したものと思われる。

今回は煮沸したビンに漬け込み空気と触れないよう並々と塩水を入れており、昨年より条件は改善されているはず

だが、これも雲を掴むようなことでI can’t understand。

本漬けは3月27日に行った。先人はスパイス類を沢山入れておられたが私は至極シンプルに八角、鷹の爪のみを

入れた。仮に上手く出来た場合、余り色々な香りがない方が好きなので敢えてシンプルに。

輸入物の搾菜漬けの缶詰(中国産)を買ってみたことがある。色は付け込み発酵した後の緑から少し茶系の色、ザー

サイは切らずに丸漬け、パプリカのような赤い粉と一緒に漬け込まれていた。だが、味は唐辛子の辛さは全くなく、

ただ塩辛いから塩出しをして、炒飯に入れたり、千切りにして豚肉と一緒に炒めたりして食べていた。塩出しをし

ないで食べると細い切れ端1枚でご飯が1膳くらい食べられるほど塩辛いものだった。

高さ15cm、直径10cmくらいの缶にギューギュー詰めにされたものが2~300円くらいだった思う。

昨年の種蒔きから育苗、栽培と気の長い挑戦の結果はどうなるのか、不安を抱えたまま見守るのみ。

 2月25日に仮漬け、以後10日毎に5%の塩を2回追加、それを本漬け


『回想旅行記、おわり』

2014年04月09日 17時55分38秒 | 旅行

思い出しながら、せっせと書き溜めてはブログに掲載してきた回想旅行記も、やっと終わることになった。トルコ旅行はブログにか

いつまんだものしか載せていなかった為、時系列のものを綴り直した。

私は結構、記憶力は良い方で海外旅行は古いものでもよく覚えていて、こうして文字に起こすのも余り苦労はしない。しかし、文章

纏めるセンスは欠けているから、冗長なところ、説明不足の塊であることは避けられないが、それでも負けずに記述を続ける根性

買って頂きたい。

今のところ海外旅行の計画は白紙状態。いい旅はないか探していたら、春分の日を挟んだカンボジアへのツアーがあり、これに参

加できないか検討してみた。昨年12月に就航したスカイマークで米子から神戸に飛び、そこから関空までフェリーで行くというものだ

った。いつもだと高速バスとリムジンの乗り継ぎで5時間半くらいかかるのが半分以下になるから試してみたかった。それにアンコール

ワットの中央の塔から朝日が昇る春分の日に滞在できるビッグチャンスだったが、我が家の予定と合わず断念した経緯がある。同じ

くスカイマークは4月から沖縄、北海道便が就航し、羽田、成田、茨城を加えた地域への移動が可能になり、国内旅行の利便性

も飛躍的に高まった。国内は思いつけば簡単に行けると思うから中々、順番が回ってこないが国内で行って見たいのは三春町滝

桜、白神山地に日光東照宮で、それ以外の序列は同列だ。

一方、海外は北欧、マチュピチュ、アフリカのビクトリアの滝で条件的には厳しいが是非ともこの目で見てみたいと思っている。

元気でいればこそ、あちこちと動けるのだから健康を保ち、好奇心を失わないでアグレッシブな自然爺でいきたいと思う。

これまでに、治療回顧録、夢追人、回想旅行記と3つの本を綴ることができた。これらを纏めてHPに載せるよう編集してみようと思って

いる。いつになるかは不明だが、今は無料HPが沢山あるので是非とも開設にこぎつけたい。


『カラスは賢い』

2014年04月09日 17時54分32秒 | 日記

晴天続きの中、今とばかりに草取りから畑起こし、畝作りと一気にやってしまった。いつの頃からか畑を起こし少

し離れた場所から眺めていたらいつの間にか畑にカラスが降りていることに気が付いた。最初は気にも留めていな

かったが、それが何度か続きやっと理由が分かった。畑を起こすと虫の幼虫や、今の時期ならカエルが無理矢理起

こされ地上でウロウロしているのを捕獲するためだった。

私はこれを自慢そうに人に話すと当たり前のような顔をして、話す人の全てはそれを知っていた。カラスは賢いか

ら耕運機の音がすると地中の餌が出てくることを条件反射にしている。そして図々しいのは追い払うと直ぐ近くの

電線に止まり背中を見せると、音も立てずに畑に降りてくる。また、追っ払うが・・・それの繰り返し。権兵衛が

種まきゃカラスがほじくる式でやってくる。

頭に来るから近くに行き石を投げて遠くに追い払うと、遠くから様子を窺う始末。カラスは人の近くで生活をして

沢山の知恵をつけてきた。野鳥の中にはカラス同然に人の近くで暮らすものもいるが、カラスのように学習能力に

長けた鳥は少ない。ヤマガラや文鳥のように芸を仕込み覚えさせるものはあるが自学で知恵をつけているのは凄い

と思う。見た目も声も歌に出てくるような可愛さはない。縁起のいい鳥とされている国もあるが日本では分が悪く

不吉な鳥の部類に分類され忌み嫌われてきた。

朱鷺の卵や雛を襲うカラスのニュースは更に印象を悪くするが、彼らも生きるのに精一杯だろうから仕方のないこ

とではあるが。


『回想旅行記、トルコ旅行こぼれ話Ⅱ』

2014年04月08日 18時41分41秒 | 旅行

『日本と北朝鮮の関係』

トルコのガイドさんは名前が難しいので『クドウさんと呼んで下さい』と自己紹介。山口大学に留学経験をもつ博学な方だから、日本

の歴史などについても私たちより詳しく、こちらが恥ずかしくなるくらいだった。色々と教えられたことの受売りシリーズ。昔からトルコとギリ

シャは仲が悪い。歴史的にみても領土を盗られたり盗ったりの繰り返しもある。

日本と北朝鮮の間にある深い溝の中身と、同じような中身ではないが、クドウさんの説明によると『日本と北朝鮮のよう』。私たちに

分かり易くするための比喩なのだろうが、本当にギリシャが嫌いらしい。遺跡に残る建築様式などギリシャのものをトルコの人はどうい

う目で見ていることやら。

 

『チューリップの原産国は?』

こう問われると日本人の殆どは『オランダ』と答える。

焼き物が有名だからとトイレ休憩とショッピングを兼て、焼き物工場へ。沢山の焼き物の図柄には必ずチューリップが描かれているし、

モスクのタイルなどにも。ありとあらゆる物と言うとオーバーだがトルコ=チューリップ。オランダへはトルコから輸出されたものが、多く生

産され外国に出回ったそうだ。トルコの左半分をバスで回ったが、チューリップ畑らしきものは一つもなかった。現在、トルコのチューリッ

プがどのような状況にあるのか分からないが、原産国はト・ル・コ。

 

『トルコのホテル』

今回、泊まったホテルは何れも観光地の中にあり5つ星と言われる所だった。星は勝手につけたものだろうから、権威あるものではな

い。しかし、観光地の中にあるというものの全てのホテルが辺鄙な場所にあり、周辺を散歩するなど向かないし、商店はおろか人家

さえ少なく、オーバーにいうと畑の真ん中にホテルがある。

更に、レジ袋なんかにペットボトルなどを入れたままホテルに入ると、『持ち込み禁止』と文句を言われるらしい。ホテルの作りは日本で

いうと、中くらいのビジネスホテル、ただロビーなどは建築様式が異なるから多少、上級に見える。

設備面では日本の方が圧倒的に優れている。スリッパなし、アメニティーグッズなし、ドライヤーなしは標準、冷蔵庫はあるが中身は

空、TVはリモコンの電池なし(2か所)、などなど、何処が5つ星なのか教えて欲しい。最後の日はイスタンブールに泊まるから、街中

か今までとは違う環境を期待していたが、街中には違いないが周辺は住宅街で、最後まで繁華街のホテルとは縁がなかった。

移動、移動で毎日ホテルを変わったから、落ち着く暇はなしの旅。ホテルは食事をとり寝るだけの役目になっており快適さは求めてい

なかったから不便でも不快でもなかった。しかし、5つ星のホテルに泊まって・・・・と思っていた人にはガッカリだったろう。

 

『草食系男子、肉食系女子』

合計38人のツアーで、男が7~8人と圧倒的に女子が多い。数の差だけではなく旅先で見た近年(10年スパンくらい)の男女気質

の変化ぶりをたっぷりと見せて貰った。『草食系男子』『肉食系女子』とはよく言い当てた表現だ。TVなどではお馴染みだが、若い人

たちと数日間でも一緒に生活や行動を共にすることはなかったので、感覚として理解していた。

だが、今回のグループでもかなり色濃くそれを表していた。食事時の飲み物注文で、殆どの男子はアルコール類の注文なし、女子

は少数だがビールありワインあり。癌病み上がりの爺さんは毎回『エフェス・ビール』あるいは『白ワイン』のご注文。

レストラン、観光地などでも非常におとなしく、馬やロバのよう、女子は我何事にも動ぜずと、はしゃぎ過ぎのライオンや虎のよう。私たち

には、今風の人たちに対するアレルギーはちっともないので、寛容な心で日々を過ごしたが、もっと昔気質の尺度を以てすれば、口

汚く罵りながら過ごしたに違いない。


『日本にもあるシェール・オイル』

2014年04月08日 18時37分48秒 | 日記

今までエルネギーの代表格は石油とされてきた。私たちが個人的に使う機械の燃料も大半はガソリン。自動車、エ

ンジン工具もガソリン。大きな工場や火力発電ではLNG/LPGなどのガスも使われている。

最近のエネルギーは自然再生として水・風・光・波などを利用したものが使われ始め、コスト低減、高効率化、安定

供給を果たすべく努力が続いている。

日本はエネルギーを輸入に頼らざるを得ないから電気は原発という選択をしてきた。他国から安定的なコストで輸

入し続けられる保証はない世界だから、可能な限り自前のエネルギーは悲願であり続けている。ここにきて新しい

エネルギー、シェールガスとメタルハイドレートなるガスが脚光を浴びている。シェールはアメリカで量産化に成功し

商業的に利用され始め、日本への輸出も許可された。その埋蔵量は500年分あるからアメリカはこれから中東と取っ

て代わるエネルギー大国になると鼻息は荒い。このインパクトは中東を直撃しある国からとの交渉でも従来の姿勢を

崩し折り合いをつけるための譲歩を引き出すに至ったそうだ。

アメリカのシェールの話、開発会社の課長クラスの人は高給取りになり自宅は御殿のような立派な邸宅にお住まい、

町周辺も景色が一変するような開発ラッシュでまるで日本のバブル期のような活気を呈している。羨ましいのはバブ

ルではなくゴールド・ラッシュならぬガス・ラッシュで実態の伴った本物のバブルだから壊れることはなさそうだ。

シェールは日本近海でも生産され始めたと、私にとっては驚きのニュースがあった。秋田県沖で微量ながら35Kl/日

の生産を始めた。大切なのは量の問題ではなく採掘技術を持つことである。これが確立されれば外国で採掘権を取

得すれば自前とまではいかないが、エネルギー確保に寄与する。日本は資源に恵まれない国だから近郊に眠る資

源の探索にもっと力をいれるべきではなかろうか。メタルハイドレートは沖ノ鳥島付近に大量にあるとの調査結果が出

されているが、海底5~6000mの所から採掘する技術開発の成否が、新しい自前のエネルギーを手に入れるか否かの

分かれ道になりそう。このニュースは世界的にも注目を浴び、早速に中国が沖ノ鳥島は島ではないとか、自国領土な

どと反応していた。

どこの分野にいっても技術のない者は益を手にできない。中国のレアアース埋蔵量は全世界の90%を占めている。

中国の新聞、レアアースを1元で採掘し10元かけて一次製品化して輸出する。レアアースを使った部品、原材料加

工などの技術がないから、それらを1000元で輸入している。一つの喩えとしての説明だが、新しい採掘技術の開発は

産業革命のような大きな成果を引き出す可能性を秘めていると思う。


『回想旅行記、トルコ旅行こぼれ話Ⅰ』

2014年04月07日 18時12分43秒 | 日記

以前ブログに載せたものを集積

『トルコ名物サバサンド』

イスタンブールの名物で美味しいから是非とも試してみよう。ガイドブックや行ったことのある人の話によるサバサンドの評価だ。サバサ

ンドなるものを知った時、どうせ小さな塩サバを挟んだサンドイッチだから、取り立てて美味しいはずはなかろうと思った。

ネットでの情報によると、さほど美味・美味との声はなく、『ただのイスタンブールの名物』くらいのものだった。もし、買っても、お土産と

て持ち帰ることはできない。

さて、そのサバサンドはバザールのすぐ傍で売っていた。それこそ、土産話のつもりで買ったものの昼食のすぐ後だったから、空港に

いてから妻が食べてみた。やはりただのサバのサンド。私も一口、これで十分。

何故、あそこでサバサンドなんだろう。仮にトルコの人が好きでも、日本人に紹介するほどのものではないだろう。

サバは日本もトルコも同じ味だ。日本のどこかで売っていたとしても、トルコで食べて懐かしいからと買う人は殆どいないのでは。その

証拠にフィッシュバーガーはあってもサババーガーってないのでは?

『トルコの肺がん』

 トルコの人はよく煙草を吸う。バスの運転手ヤーシンさんも大の煙草好きで休憩場所に来ると必ず、2~3本吸い溜めをしていた。

ドライブインでは灰皿の回りに男たちがたむろして何やら話をしながスパスパ。以前の私なら間違いなく皆さんの仲間入り、ここでツア

ーガイドの通称クドウさんの説明では、トルコの死亡率No.1は肺がんで、政府は肺がんの減少に力をいれているとか。それにしては5

つ星と言われるホテルの部屋に灰皿を置いてあることも珍しくなく、まだ煙草に寛容な国のようだ。

『食糧自給率100%の国』

折角、トルコに旅行したので仕入れてきたネタの紹介。観光地がどうだの、こうだのはガイドブックを読めば分かるが、ガイドさんから聞

いた雑学は話のタネになる。移動はバスで同じような平地を何時間も走り続けたと、以前に紹介した。畑も荒野も延々と続いてい

る。国土は日本の2.8倍、平地が多い。農業国でもある。こうした条件のもとで食糧自給率は100%と聞いて大変、羨ましく思った。

私は農業関係者ではないが、農業で生計が成り立ちそれに付随する形で畜産も家計を助けている。農地だけでも日本の国土と同

じくらいあるそうだ。規模は大きいが効率のいい農業が行われているのではなさそうだ。今は端境期で畑には何も植えられていないよ

うだが、日本なら冬野菜がまだ残っているのに、そんなもの一かけらも見られない。畑というが、目の届く範囲に家らしきものもない所

が多い。一体、どんな形で農業が行われているのかは分からなかった。

また畑で人を見かけることもなかった。これは、街中でも同様、人の数は本当に数えられるくらいしか見かけない。トイレ休憩で寄ったド

ライブインはどこでも、店員以外の客は私たちだけみたい。内陸からエーゲ海の方に出てくると、気候が違って葉物野菜を見ることが

できる。この辺りになると家と畑が近くの関係にあるらしく、たまに畑に人の姿があった。自分の国で消費する食糧が生産できない国

など必ず亡びる。今は何とか成り立っている日本だが、亡国に匹敵するような痛手を経験する可能性が高いと思う。


『身近な桜の写真』

2014年04月07日 18時01分42秒 | 日記

 

松江市や近郊にも桜の名所と呼ばれる場所は沢山ある。満開の頃になると出店も出され人足も増えて賑やかになる。

そんな人混みの中で慌ただしく見る桜は無粋というもの・・・・・なんて気取ってみる。

先日、空模様の悪い中、急に桜の風景を撮ろうと桜の咲いている所を探しパチリパチリとやってみた。外に出るの

も億劫だから車窓越しの横着カメラマン。昨日は晴れ間を縫って追加写真に出かける。

自家用の桜、川沿いの桜、広場の桜など色を探して歩くと結構あるものだ。数が多いのでなければ由緒あるもので

もないが、何処も清楚な花をつけ私たちの心を洗ってくれる。

身近な桜

 


『春は桜、花見』

2014年04月06日 16時34分54秒 | 日記

桜が満開になり桜のベストシーズンしかも日曜日、これ以上いい花見はないと信じたかったが、大荒れの一日に振

り回された。朝方は霜で降りるのではないかというほど冷え込み、雨に霰混じりで今日一日は絶望かと思わせる。

昼前に晴天になったかと思えば再び雨、明るくなったり暗くなったり冷え込みは戻ることはない。

午後おそく天気は回復したものの冷たい風は如何ともし難く、花見は部屋の中でするべし。

夕方から炭焼きの会の花見がある。会場のとなる会館の桜も満開だが花より団子だから熱燗を頂きながら格調高い

話でもしながら、時折桜の話題を織り交ぜようか。

炭焼きの会は新たな活動拠点を設けようと計画中だ。炭窯の移築、作業小屋の新設と大仕事が待ち構えている。県

の補助事業で支援して貰えるが当初予算を大きく削られた為、事業規模の縮小は避けられず落ち着きどころを模索

している。予算規模の縮小を事業規模の変更で賄えるものではなく、当初の事業主旨からも大きく外れてしまうこ

ともあり苦慮している。それにしてもこの会は年寄りグループなのにアグレッシブで、もし足りなければ自力で何

とかしようと、頭の中に後退の文字はない。だから一緒に酒を飲んでも楽しいこと、楽しいこと。


『回想旅行記、OPツアー、ボスポラス海峡クルーズ』

2014年04月05日 18時05分16秒 | 旅行

午後の自由行動はルステムパシャモスクとボスポラス海峡クルーズを一緒にしたOPツアーを申し込んでいたのは30人ほどの内、私

たち二人だけ。最初にルステムパシャモスクに連れて行って貰う。ここのモスクは解説によると『本当に、地図を見ながらでないとたど

りつけないような小さなリュステムパシャモスクだが、建築はオスマン帝国時代の1561年にまでさかのぼり、担当したのはあの天才建

築家ミマール・シナン。建築の命を出したリュステムパシャも、スレイマン大帝の娘、ミフリマ・スルタンの夫で有名な大宰相でもある。

というわけで、実はとても謂れのあるモスク』

行って見ると確かに小さくブルーモスクを見た後だと、バッと見た感じは貧弱に見えるが、他のモスクではみる事のない青いタイルが

特徴的だ。建屋に入ると、壁は青を基調とした味わい深いタイルが貼り合わせてあり、床に敷かれているレンジ色の絨毯とマッチして

いた。ここのモスクも補修や維持にお金が不足しているらしく、タイル模様を図柄にした栞を売って資金を集めていたので、私たちも数

種類の栞を土産に購入した。小じんまりとしたモスクではあるが品格の高いところだと言える。

モスクから船着き場に移動、クルーズ船乗り込むが私たち以外の客はおらず、完全に貸切り状態。それと言うのも、朝から天気はパ

ッとせず雨は落ちてこないものの曇天で、海辺に来てみると強い風が吹き波しぶきを立てていた。イスタンブールから黒海に通じるボ

スポラス海峡を海上から観るだけのことだが、この海峡を挟んで西側はヨーロッパ、東側はアジアとされているから、その意味からは

ちょっとだけ有難味のあるクルーズだ。

海峡という事になっているが幅は狭く、少し大きめの川と言われても頷ける。岸辺にある建築物、遠くに見えるモスクなどはやはりイス

ラムの国であることをよく表していた。ガイドが色々と説明してくれたが、いずれも耳の肥し、目の肥しでしかなかった。黒海方面に30分

ほど向かってからUターンしてツアーは終了。はっきり言って感動するものは何ものなかった。これで黒海沿岸にまでも行って、こことは

違う風景でも観る事ができたならば収穫はあったと思うが・・・・・

 


木炭作業、佳境に入る

2014年04月05日 17時59分46秒 | 日記

3/31に仕込んだ炭窯が最終段階になり火を消すタイミングを見計らっている。煙突から出る煙の色と温度を測定し

て目には見えない窯の中の焼け具合を推定して空気の取り込み口と煙突を閉鎖して窯を完全密閉する。このタイミ

ングを誤ると生焼け状態になり使用すると煙の出る木炭になるし、焼き過ぎになるといい木炭にはならないし生産

量も減ってしまう。

先輩の見立て、過去のデータから今日の消火作業は夜の10時と決定した。もう少し早い時間にしようと煙突を絞

ったりしてみたが、どうにもならずこの時間になった。タイミングが悪いと本当の夜中なんてこともありうるから、

あれこれ手を尽くすが、窯に入れた炭木の乾燥具合、外気温など条件により変化するので、私たちの思うようにい

かないのが現状。恐らくプロでもパーフェクトに調整できる人はそんなに多くないのではないかと思う。

仲の良かった糸さん(故人)は私より2才年上だが、子供時代はここよりもっと山奥に住んでいた。そして子供の頃、

父親の炭焼き作業を手伝わされ、当時でさえ1人の戦力として計算されていたという。自分の山はないから親方の

山を借りて木を伐採、窯を筑き周辺の木が無くなると更に奥に行き新しい窯で炭焼きを続ける。奥に行くほど木炭

を持ち帰るのが大変になり、冬場作業でもあるから辛い作業だったとよく話していた。そうした時代だから木を倒

すにも今のようにチェーンソーでブーンと切る訳にならず全て手作業になる。大きな木は割らないといけないが、

これも斧や鉞(まさかり)を使う手作業だが、今はエンジン動力の薪割機があり楽に割ってくれる。使う焚き木にし

ても全て鋸と斧、鉞で作るから粗末にはできない。

こうしてみると現代の利器は有り難いものだと思う。昔の苦労を知らないとついつい色々なものを粗末にしてしま

う傾向にある。それでも辛うじて私たちの年代はそれを知っている。若い人たちは最初から便利な中で生活をして

いるから、もしその便利さが途切れたら緊急避難する術を持っているのだろうか・・・・・

炭焼きの中にみた便利から老婆心がしゃしゃり出て来た。若い人は若い人なりに知恵を持っているさ・・・・


『回想旅行記、ブルーモスクとバザール』

2014年04月04日 17時50分49秒 | 旅行

最終日は時間一杯まで観光して帰途に就く。イスタンブールの最大の見ものはスルタンアフメット・ジャミィ、通称ブルーモスクと呼ば

れ通常のモスクではミナレット(尖塔)は4本なのに、ブルーモスクには6本あり、それが何故なのかは分かっていない。

世界中のモスクで6本のミナレットがあるのはブルーモスクだけだそうだ。外から見ると普通のモスクの大きいだけのように思うが、中に

入るとそれは一掃されてしまうほど、広く高い空間を有する壮大な建築物だと知る事ができる。モスクの中央の一番高いところは地

上から45mくらいある。昔々、今のような重機もない時に、どのようにして作られたのか、興味深い。ここも他のモスク同様、女性は2

階から礼拝するような作りになっている。

昔、一時的にキリスト教の協会になったことがあり、モスク内の壁にキリストの絵が描かれた。再び、イスラム教の教会に復活した時、

通常ならその絵をはぎ取ってしまうのに、その上に塗料を塗ったらしい。その塗料が剥げて再びキリストの絵が出てきた。イスラム教会

にキリストの絵とは・・・・

バーミヤンの大仏はタリバンによって破壊されてしまった。アンコールワットでも神が変わる度に石像や壁のそれが壊された。宗教は

他を相容れない厳しい所もある。ブルーモスクはこうした出来事を歴史的な事として捉え、その価値を残そうとしているのだろうか。もし

これが政教分離でない他のイスラム教の国だったら、どうなるのだろうか。

イスタンブール観光の肝、アヤソフィア博物館はこのモスクのすぐ傍にある。ツアーでは入館しなかったが、もし見たければ午後に設

定されている自由時間に入館も可能だが、私たちは海峡クルーズを予定していたので写真のみの観光で終えグランド・バザールに

向かった。バザールの入口で中の様子について説明を受ける。大小4,000軒ほどの店が入り組んでいるので、通りの名前を覚えて

おくこと、迷子になった場合、入口の見つけ方を教えて貰い、其々がバザールに散って行った。時間的に早いこともあり人通りは少

なく活気溢れるとは言い難い。殆どの店は開いているが店員もエンジンがかからないためか、客の引き込みも弱々しい。

バザールをウロウロして迷子になったら困るし、買うものは土産のピスタチオだけだったから近場を回ってみた。ガイドブックに載っていた

地図を確認していたが、実際の場所に立つと、どれくらいの広さがあり、端っこは何処かも分からない。

途中に見つけたカフェでイスタンブール・コーヒーを頂く。

買い物に来たのに買ったものはほんの少しだけのピスタチオ、原産地でもあるからもっと安いかと思っていたのに結構いい値段がして

いた。後ほど移動した市場では量り売り、1kgが1,000円ほどを紙袋に入れてくれた。


『癌発症時と現在の血液検査結果』

2014年04月04日 17時44分53秒 | 日記

通院する度に血液検査結果を貰おうと思いながら忘れ続けていた。先般の診察の際は先生の方から結果のプリント

したものを出され、やっとその思いが叶った。自分のことだから忘れずにすべきなのに、先生の前に行くと口から

先に生まれたと言われる私でも寡黙になってしまうのか・・・・いやはや

素人がこうした数値をみても病状はおろか、体調さえ分かるはずはないのに何処かで知り得た極、断片的な知識を

振りかざし多くを語ろうとする。ある特定の項目の数値が異常の場合、これこれと言えるものは私たちにも理解し

易いが、本当は他の項目との組み合わせや増減の過程などにより判定すべきものだろう。てっとり早くγ-GTPは

酒によると説明すれば酒飲みには分かり易く効き目があるからγ-GTP=酒の図式で私たちに浸透している。どの項

目にも個人差は必ずあるだろうから上限値、下限値についても然り。私の妻は酒を飲まないのに時にはγ-GTPが

規定値60を超えることがある。

癌発症時に私のγ-GTPは表のように2090ととんでもない異常値を示している。現在、月に1~2度の飲酒機会が

あり付き合い程度のアルコールを嗜(たしな)むが、それでもγ-GTPは14しかない。酒を飲まない妻の方が高く、

酒を少し飲む私が圧倒的に低いという面白い現象もあり、γ-GTP=酒の図式は成り立たない。

表に示しているのは癌発症時2009年8月と先般の血液検査で異常値を示していたものを抜粋したものだ。各項目

の意味するところなど分からないが、癌が増殖中には血液の中は各項目が賑やかに上下して基準値を超えたり下が

ったりしている。所見などあろうはずはないが、当たり前の事として身体に異変があると命の源でもある血液も大

変な目に遭わされて苦労していることが窺(うかが)える。それというのも、主の不注意やズボラな行状に帰するこ

とばかり。

数値や癌の自覚症状とは別に自分で感じていた体調にも明らかに大きな差があった。酒が残り易くなっていたのは

γ-GTP=酒で証明される。身体がだるく労働意欲の低下、根気が軟弱で長続きしない、煙草が不味く感じるように

なった。食欲低下など癌と関係のある症状があり、今のように快適な日々を過ごすことなく、悪化するものを酒で

消し去ろうと不要の努力をしていたようだ。Note.酒は1日の労働を終えてから飲んでおり、昼間から浴びるよう

に飲んでいた訳ではない。

2つのデータを比較してみて総合的にどんなことが読み取れるのか、限定的なことしか分からないのか、こんな観

点から話を聞いてみたいと思うが、ズブの素人に説明して理解させるのは先生には更なる至難の業かもしれない。

体中を流れ回っている血液、リンパ液の不思議の多くは解明されてきたが、依然として未知の分野もあろう。病気

になってから異常を見つけることから、予兆を把握することが医学の悲願でもある。日本はこうした分野の研究費

は極端に低い、自由に研究する土壌が閉鎖的と言われている。日本の優秀な学者たちが閥めいた環境、研究を理解

しない政府に愛想をつかしアメリカに渡ってしまう。研究という直ぐに結果の出ないことでも継続的にできる下地

を崩さない確たる理念が日本には必要だと思う。

私の癌は外科手術、術前・術後の化学治療によりお引き取りをお願いし、今もその進行中なれど、基本的と思われ

る血液検査では異常項目は0になり、この狭い範囲での判定は至って健康的と言える。

願わくば悪代官が目覚めないこと、この一つに尽きる。

 

 

 

検 査 日

基 準 値

検査項目

2009.8

2014.3

下限値

上限値

総蛋白

6.02

L

6.58

6.2

8.0

アルブミン

3.42

L

3.75

3.5

5.0

AST(GOT)

109

H

23

5

40

ALT(GPT)

56

H

14

5

35

LDH

326

H

213

100

230

ALP

616

H

206

110

340

γ-GTP

2090

H

14

0

60

中性脂肪

389

H

***

30

150

血糖値

127

H

107

70

110

赤血球数

295

L

419

410

550

ヘモグロビン

11.3

L

13.7

13.4

17.0

ヘマトクリット

33.2

L

40.9

38.0

50.0

MCV

112.5

H

97.6

85.0

99.0

SCC

***

 

1.3

0

1.3

CEA

***

 

1.3

0

1.3

CA19-9

***

 

11.7

0

11.7

 

 


『回想旅行記、イスタンブール着』

2014年04月03日 17時56分37秒 | 旅行

半島に渡り今度は東の方向に走りイスタンブールはシルケジが目的地、ここはオリエンタルエキスプレスの始発駅、かの有名なアガ

サクリスティーの『オリエンタル急行の殺人』にも登場する。

有名な駅だからさぞかし賑やかで混雑していると思っていたら、ここでも人は疎らでイメージ余りにも違い過ぎて拍子抜けする。

駅にあるレストランは1950年代から1960年代にかけてジャーナリスト、作家そして他のメディア出身の著名な人々の待ち合わせ場所

となった。このレストランは「Orient Express」と呼ばれ、旅行者の間では人気のスポットとなっており、私たちもここで夕食を摂る。

レストランの中はアガサクリスティーの写真や古い写真が飾られている他は、わりと質素だった。食事にしても格別・・・・ということもな

かった。食事後、駅構内の始発場所を示す小さなモニュメントに立ち寄り、記念写真を撮るのはポピュラーなことのようだった。

シルケジ駅はとても有名な所で色々な国からの観光客も沢山いるだろうとばかり思っていたのに余りにも静かで、しかも観光客らしい

人影は私たちだけ。しかも始発場所で写真を撮っているのも私たち日本人だけ、ひょっとしてシルケジ駅は日本人だけに有名なんて

ことないだろうが・・・・

長いようで足早のトルコ横断観光も今晩が最後の宿泊、ホテルの周りをぶらり歩きでも出来ればと期待した。食事を摂りホテルに着く

と、周りは住宅地のような所でしかも時間的に遅くなり、帰り支度もあるからブラリ歩きどころではなくなった。

明日の今頃は既に機上の人。

                                         海峡を渡った後に立ち寄った土産物屋、TL/EURO/US$が使えた

                           畑ばかりの景色から家のかたまりが見え始めた

                  シルケジ駅構内、歩いているのは日本人ツアー客

                          撮影者は日本人ツアー客

                        レストラン 『オリエント・エキスプレス』


『中国電力の挑戦』

2014年04月03日 17時55分55秒 | 日記

原発絡みで私の舌鋒は電力会社批判一色に染まっていたが、ここにきて中国電力からの発表は私にとってウェルカ

ムのものだ。一つは当初の設計仕様であったはずの原発耐用年数40年は踏襲すべきではないかとしている点、最

終的な決定ではないが、ごく当たり前のことなのに『後出しジャンケン』のように、とって付けたような屁理屈で、

耐用年数が延ばされていいはずはない。

40年になる1号機の廃炉を検討するとした案件は、他の電力会社から小さな声しか聞こえず、今なお稼働年数延

長にしがみ付く姿しか目に入ってこないから、中国電力がイニシアチブをとって推進して欲しい。

もう一つは、離島に於ける安定した電気確保のためのディーゼル発電から新たな蓄電設備を使う取り組みだ。以前

から再生可能エネルギーの検討をされていたが離島はその変動が大きい為に具体化には到らなかった経緯がある。

今回は異なるタイプの蓄電池を使ったハイブリッド蓄電池システムと再生可能エネルギーの組み合わせによる安

定供給の実現を目指す。何が何でも原発に依存する体質は消費者からは支持されない。(原発反対がやや過半数と

いうことから)

原発以外にもこうした可能性を追求していく姿勢こそが大切ではなかろうか。燃料コスト、発電効率の良さばかり

に気を取られ、人間の英知では制御できない危険性を孕(はら)んでいることは東電が証明している。

人は何かを得るために何かを失うとしたら、自分で責任のとれるものだけを失うべきで、他人の生活や幸せを失わ

せることは犯罪である。原発再稼働に前のめりになっている政府と経済界にはいつもながら失望ばかりだが、中国

電力の姿勢が本物であってくれることを切に願うばかり。


『世界3大がっかりに加えたい、トロイの木馬』

2014年04月02日 18時13分15秒 | 旅行

トロイ遺跡は有名で昔に習ったことながら誰でも名前くらいは覚えている。そして必ず出てくるのがトロイの木馬にまつわる話。歴史、遺

跡に興味を持つ人には奥の深い所で、それこそゆっくりとじっくりと観察しながら一日中いても飽きないかもしれない。私たちは運に見

放されてしまったようだ。朝から強い風に雨混じりの天気で寒さがぶり返してきた。憂鬱なスタート、バスから見たトロイの木馬は遊園

地にある出来の悪い作品の様相で、完全に盛り下がってしまう。遺跡群の中には時代が何代も変わったことを示す貴重な地層を

みる事ができ、学術的な価値は高いものであることが私でも分かる。

しかし、私にはそれよりも寒さが堪えるから遺跡より、一時も早くバスか建屋に避難を欲す。しかし、事もあろうかトロイの木馬に登りたい

人は・・・・そんな所には登らないで資料館のような所に避難する。世界3大がっかりがあるとシンガポールのガイドに教えられた。ブリ

ュッセルの小便小僧、コペンハーゲンの人魚姫そしてシンガポールのマーライオン。この他にもドイツのローレライ、イタリアの真実の

口、シドニーのオペラハウスが候補として挙がっているらしいが、私は是非ともトロイの木馬も加えて欲しい。遺跡として発掘されたもの

ならば展示だけでも成程感はあるが、訳の分からない造作物を恭(うやうや)しく『トロイの木馬』でございはないと思う。

もし天気が良ければ、もう少し腰を入れた遺跡見学になっただろうが、雨女か雨男の被害者にさせられてしまった私にそんな余裕や

興はなかった。本日は長距離ドライブの日、イスタンブールまで約500kmを移動する。トロイ遺跡からは345kmあり、途中でイスタンブ

ール側の半島に行くためダーダネルス海峡をフェリーで渡る。

トルコの面積は日本の約2.8倍あり大半が平坦地、人口は7,200万人だから人口密度は大まかに1/6となる。ところが日本は山林

が多く僅かな平坦地に人口が集中する反面、トルコは全体が平坦地で分散している。数値だけでは比較できない歴然たる差は移

動中のバスの中から見ることもできる。兎に角、人影がない。畑と思われる広い々ところでも端境期ということもあろうが、人、農耕

車なども皆無。町に近くなり商店などがボチボチ見え始めても店先にすら人影はない。たまに老人を見かける程度。集合住宅が林

立しているような所でもチラホラと人の少なさを妻と不思議がっていた。ならばフェリー乗り場なら車や人影も多かろうと思ったが、ここ

でも疎らな人影。

フェリー客の内トルコ人客は数人で全員が男たち、チャイを飲み、パンにオリーブオイルをつけて食べていた。オリーブオイルを日本人

は油という、彼らは調味料として食べている。その後、イスタンブールに到着したら、他の場所とは違い人影は多くなっていったが、日

本の都会のように混雑さは見られなかった。

 

 

 


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