食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『人のいない飯館村』

2014年04月30日 16時53分24秒 | 旅行

 

東電原発はメルトダウン、水素爆発により膨大な放射線物質を大気にまき散らした。核物質は灰のようなもので風

が吹けばそれに乘って何処へでも飛んでいく。風向き次第だから蒔き散らかされた時に吹いていた方向と風の強さ

で落ちる場所が決まる。不幸にしてその場所が飯館村だった。原発よりもっと近いのに頭ごなしに通り過ぎてしま

い難を逃れた地域は沢山ある。

飯館村は一番遠い所では原発から50km近く離れているのにこうした被害に遭っているのに、国の規定では原発か

ら30km圏内の数字が独り歩きしている。勿論、複合的な条件によって変わるから一律の数値で表せないにしても、

国は安全性を前面に出したいから飯館村の事は参考にしたくないのであろう。

私は飯館村が汚染されて大変だとは知っていたが避難の具合だとか居住制限区域に指定され、どのような制限を受

けながら暮らしておられるのかは知らなかった。地図で見ると私たちが向かった南相馬市と隣り合わせで自動車道

を降りてから真横に走り飯館村を横断するのに何の規制もなく行けるから『大変だったろうな』と過去形の思いだ

った。川俣町から飯館村に入り田舎町を感じさせる。開けた谷間のような所に来ると黒い袋に詰められた除染土の

山が見えた。幾つかの山には青いビニールシートが掛けられている。昨年、相馬市に行った時には何処の除染袋に

もビニールシートを掛けられることない黒い袋の山だった。

雨ざらしのままだと袋の劣化が早くなるから青いビニールシートが掛け、行き先が決まるまで長い年月に耐えられ

るようにしたのだろう。遠くには作業員らしい人たちが重機を使って除染作業と呼ばれる、土を10cmくらい剥ぎ

取ったり、手で何かを袋に詰め込んだりの作業をしている。村の中心地と思われる処には道路の両側に店屋や郵便

局が並んでいる。

飯舘村を通り南相馬方面に向かう車は信号で一塊になりやがてばらける、対抗車の量は左程多くはないが時折すれ

違う。順調に通り過ぎていくが人影は見えない。店によっては駐車場のような所にロープが張られているから、な

んでだろうかな、としか思わなかった。信号もありちゃんと動作している。小さな自動車工場のような所は、人は

見ななかったが明らかに仕事をしている様子が見て取れる。JAにも通勤者と思われる車が止まっており室内には

照明が点けられている。しかし周辺を歩いている人も家の周りで何かをしている人も見かけない。

南相馬市からの帰りにやっと気付いた。『この村には人が住んでいない』

家の玄関、カーテンは閉められたまま、雨戸も、障子も・・・・・

しかし家の周辺に草が生えているのではなく綺麗に手入れされ続けているように見える。

どこかの大臣がこうした風景を『ゴーストタウン』と表現して辞任させられた。

私は飯館村に人が住んでいない事を知らなかった。本当に人が住んでいないのか確認するため道から奥の方にある

家の方に向かってみたが、だれもいないゴーストタウンだ。

家々は手入れされているのに誰も住めない。道路には車が走り社会インフラは震災前と何一つ変わっていないよう

に見えるのに、人は住めないようだ。そう知ってから急に悲しいやら空しいやら何とも言えない気分に襲われた。

改めて一言でいうなら悲しいに尽きる。こんな時、東電の糞野郎とか政府や政治家の馬鹿とか、普段なら口汚く罵

る私の思考回路は遮断されてしまい、そんなものは何一つとして浮かんでこない。悲しい・・・・・

そして往路で見た小学校の児童たちは、復路の川俣市の避難校舎で元気よく遊んでいる姿を見ることが出来た。彼

らの将来はどの様な絵図面が描かれるのだろうか、と思うと再び先程の悲しさが甦って来た。

本当はこんなことではいけないことを知っているのに・・・・・・・

みんな、げっぱろー !

                               村の幹線道路、車は走っているが人の気配なし

                              除染作業中の人

 

                    除染中の重機

                   色の白い所は除染した所、右は未だ?

                                                          隣りの市に避難中の小学校

                        誰にも見捨てられた蕗の薹は花に・・・・ 


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