食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回想旅行記、OPツアー、ボスポラス海峡クルーズ』

2014年04月05日 18時05分16秒 | 旅行

午後の自由行動はルステムパシャモスクとボスポラス海峡クルーズを一緒にしたOPツアーを申し込んでいたのは30人ほどの内、私

たち二人だけ。最初にルステムパシャモスクに連れて行って貰う。ここのモスクは解説によると『本当に、地図を見ながらでないとたど

りつけないような小さなリュステムパシャモスクだが、建築はオスマン帝国時代の1561年にまでさかのぼり、担当したのはあの天才建

築家ミマール・シナン。建築の命を出したリュステムパシャも、スレイマン大帝の娘、ミフリマ・スルタンの夫で有名な大宰相でもある。

というわけで、実はとても謂れのあるモスク』

行って見ると確かに小さくブルーモスクを見た後だと、バッと見た感じは貧弱に見えるが、他のモスクではみる事のない青いタイルが

特徴的だ。建屋に入ると、壁は青を基調とした味わい深いタイルが貼り合わせてあり、床に敷かれているレンジ色の絨毯とマッチして

いた。ここのモスクも補修や維持にお金が不足しているらしく、タイル模様を図柄にした栞を売って資金を集めていたので、私たちも数

種類の栞を土産に購入した。小じんまりとしたモスクではあるが品格の高いところだと言える。

モスクから船着き場に移動、クルーズ船乗り込むが私たち以外の客はおらず、完全に貸切り状態。それと言うのも、朝から天気はパ

ッとせず雨は落ちてこないものの曇天で、海辺に来てみると強い風が吹き波しぶきを立てていた。イスタンブールから黒海に通じるボ

スポラス海峡を海上から観るだけのことだが、この海峡を挟んで西側はヨーロッパ、東側はアジアとされているから、その意味からは

ちょっとだけ有難味のあるクルーズだ。

海峡という事になっているが幅は狭く、少し大きめの川と言われても頷ける。岸辺にある建築物、遠くに見えるモスクなどはやはりイス

ラムの国であることをよく表していた。ガイドが色々と説明してくれたが、いずれも耳の肥し、目の肥しでしかなかった。黒海方面に30分

ほど向かってからUターンしてツアーは終了。はっきり言って感動するものは何ものなかった。これで黒海沿岸にまでも行って、こことは

違う風景でも観る事ができたならば収穫はあったと思うが・・・・・

 


木炭作業、佳境に入る

2014年04月05日 17時59分46秒 | 日記

3/31に仕込んだ炭窯が最終段階になり火を消すタイミングを見計らっている。煙突から出る煙の色と温度を測定し

て目には見えない窯の中の焼け具合を推定して空気の取り込み口と煙突を閉鎖して窯を完全密閉する。このタイミ

ングを誤ると生焼け状態になり使用すると煙の出る木炭になるし、焼き過ぎになるといい木炭にはならないし生産

量も減ってしまう。

先輩の見立て、過去のデータから今日の消火作業は夜の10時と決定した。もう少し早い時間にしようと煙突を絞

ったりしてみたが、どうにもならずこの時間になった。タイミングが悪いと本当の夜中なんてこともありうるから、

あれこれ手を尽くすが、窯に入れた炭木の乾燥具合、外気温など条件により変化するので、私たちの思うようにい

かないのが現状。恐らくプロでもパーフェクトに調整できる人はそんなに多くないのではないかと思う。

仲の良かった糸さん(故人)は私より2才年上だが、子供時代はここよりもっと山奥に住んでいた。そして子供の頃、

父親の炭焼き作業を手伝わされ、当時でさえ1人の戦力として計算されていたという。自分の山はないから親方の

山を借りて木を伐採、窯を筑き周辺の木が無くなると更に奥に行き新しい窯で炭焼きを続ける。奥に行くほど木炭

を持ち帰るのが大変になり、冬場作業でもあるから辛い作業だったとよく話していた。そうした時代だから木を倒

すにも今のようにチェーンソーでブーンと切る訳にならず全て手作業になる。大きな木は割らないといけないが、

これも斧や鉞(まさかり)を使う手作業だが、今はエンジン動力の薪割機があり楽に割ってくれる。使う焚き木にし

ても全て鋸と斧、鉞で作るから粗末にはできない。

こうしてみると現代の利器は有り難いものだと思う。昔の苦労を知らないとついつい色々なものを粗末にしてしま

う傾向にある。それでも辛うじて私たちの年代はそれを知っている。若い人たちは最初から便利な中で生活をして

いるから、もしその便利さが途切れたら緊急避難する術を持っているのだろうか・・・・・

炭焼きの中にみた便利から老婆心がしゃしゃり出て来た。若い人は若い人なりに知恵を持っているさ・・・・


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