通院する度に血液検査結果を貰おうと思いながら忘れ続けていた。先般の診察の際は先生の方から結果のプリント
したものを出され、やっとその思いが叶った。自分のことだから忘れずにすべきなのに、先生の前に行くと口から
先に生まれたと言われる私でも寡黙になってしまうのか・・・・いやはや
素人がこうした数値をみても病状はおろか、体調さえ分かるはずはないのに何処かで知り得た極、断片的な知識を
振りかざし多くを語ろうとする。ある特定の項目の数値が異常の場合、これこれと言えるものは私たちにも理解し
易いが、本当は他の項目との組み合わせや増減の過程などにより判定すべきものだろう。てっとり早くγ-GTPは
酒によると説明すれば酒飲みには分かり易く効き目があるからγ-GTP=酒の図式で私たちに浸透している。どの項
目にも個人差は必ずあるだろうから上限値、下限値についても然り。私の妻は酒を飲まないのに時にはγ-GTPが
規定値60を超えることがある。
癌発症時に私のγ-GTPは表のように2090ととんでもない異常値を示している。現在、月に1~2度の飲酒機会が
あり付き合い程度のアルコールを嗜(たしな)むが、それでもγ-GTPは14しかない。酒を飲まない妻の方が高く、
酒を少し飲む私が圧倒的に低いという面白い現象もあり、γ-GTP=酒の図式は成り立たない。
表に示しているのは癌発症時2009年8月と先般の血液検査で異常値を示していたものを抜粋したものだ。各項目
の意味するところなど分からないが、癌が増殖中には血液の中は各項目が賑やかに上下して基準値を超えたり下が
ったりしている。所見などあろうはずはないが、当たり前の事として身体に異変があると命の源でもある血液も大
変な目に遭わされて苦労していることが窺(うかが)える。それというのも、主の不注意やズボラな行状に帰するこ
とばかり。
数値や癌の自覚症状とは別に自分で感じていた体調にも明らかに大きな差があった。酒が残り易くなっていたのは
γ-GTP=酒で証明される。身体がだるく労働意欲の低下、根気が軟弱で長続きしない、煙草が不味く感じるように
なった。食欲低下など癌と関係のある症状があり、今のように快適な日々を過ごすことなく、悪化するものを酒で
消し去ろうと不要の努力をしていたようだ。Note.酒は1日の労働を終えてから飲んでおり、昼間から浴びるよう
に飲んでいた訳ではない。
2つのデータを比較してみて総合的にどんなことが読み取れるのか、限定的なことしか分からないのか、こんな観
点から話を聞いてみたいと思うが、ズブの素人に説明して理解させるのは先生には更なる至難の業かもしれない。
体中を流れ回っている血液、リンパ液の不思議の多くは解明されてきたが、依然として未知の分野もあろう。病気
になってから異常を見つけることから、予兆を把握することが医学の悲願でもある。日本はこうした分野の研究費
は極端に低い、自由に研究する土壌が閉鎖的と言われている。日本の優秀な学者たちが閥めいた環境、研究を理解
しない政府に愛想をつかしアメリカに渡ってしまう。研究という直ぐに結果の出ないことでも継続的にできる下地
を崩さない確たる理念が日本には必要だと思う。
私の癌は外科手術、術前・術後の化学治療によりお引き取りをお願いし、今もその進行中なれど、基本的と思われ
る血液検査では異常項目は0になり、この狭い範囲での判定は至って健康的と言える。
願わくば悪代官が目覚めないこと、この一つに尽きる。
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