半ぐれ行政書士の徒然日記-Ⅱ

信州は小諸の半ぐれ行政書士
仕事のこと、地域のこと、様々な出来事を徒然なるままに書き記します

「ごみ処理のあり方について」セミナーに参加して

2005年08月31日 | 地域の問題について
 勉強の必要性を感じ、先週26日に御代田町のエコールみよたで開催されたセミナーに出席してきました。
 現在、小諸市・軽井沢町・御代田町の一市二町は、共同でごみ処理場建設の検討をしていますが、このセミナーは市民に対してごみ処理を取り巻く問題について周知・啓蒙するために行われたようです。
 平日の午後にもかかわらず会場は満杯で、乳飲み子を連れた母親から高齢者までごみ処理問題に関心ある熱心な一般市民、市・町議会議員、職員の約300名が参加しました。
 講師は、一市二町のごみ処理共同事業のアドバイザーとしてご活躍されている(財)日本環境衛生センター理事の藤吉秀昭さんでした。

 まず藤吉先生からごみ処理をめぐる諸問題について解説があり、その後会場からの質疑応答がありましたが、それらを私なりに要約すれば、以下のとおりとなります。
 ①古い施設を使用すれば、ダイオキシン類の対策が万全とはいえず、また維持管理するために膨大なコストがかかる。
 ②ごみ処理施設は市町村毎ではなくより広域的に処理すべきであり、また循環型社会の形成が必要。
 ③(講師個人としては)処理方法として最適なのはガス化溶融炉であり、この方式は健康面、環境面で安心感があり、循環型社会形成に資する。この点について周辺の環境に影響(煤塵などにより周囲の森林が枯れるなど)が出ているとの指摘があるが、(講師はその現場について調査未確認ではあるが・・・)旧式の炉を使用した事例ではないかとのこと。また爆発事故が多発しているとの指摘もあるが、財団で調査した結果は、全て人的な問題で発生したものであり、構造的な問題はないこと。
 ④ダイオキシン類の放出量は年々減少し続けている。人が摂取するダイオキシン類の量の95%が食品(食品のうち特に魚介類が85%以上)からであり、施設周辺だからといってリスクが高いわけではない。
 ⑤現在施設建設を検討している御代田町苗畑地区の地盤が脆弱であること、また水源地が多く、それらを汚染する危険があるとの指摘については、東京湾の埋立地に多くのビルが建設されているように、現在の技術力を用いれば問題はクリアできること。また計画している施設の排水は敷地外へ放出する予定はなく、適正に処理されるため汚染の危険はないとのこと。
 ⑥施設建設の合意形成には、③のような技術面からのアプローチや、イメージアップの試みが重要であること。

 この問題については、私自身の勉強不足や不明の点も多くありますので、今回のセミナーに対する感想・コメントは控えたいと思いますが、以下の点だけは述べておきたいと思います。
 小諸市ではかつて南ヶ原地区に「浅麓クリーンセンター」というごみ焼却施設がありました。この施設は15年間の稼動期間を経て廃止されましたが、この施設建設にあたっては、南ヶ原地区を中心に地域のコミュニティが崩壊するという悲しい歴史がありました。
 今回の施設設置にあたって行政は、この悲惨な歴史を教訓にして、是非とも“歴史を繰り返さない”最大限の努力をして欲しいと思います。
 ごみ処理施設の問題について、私たちは自分たちの生活に一番身近な問題として捉えることが必要ですし、クリアしなければならない問題も多々あるので、今後もしっかりと勉強していかねばなりません。また、私自身は、この問題に対する小諸市の対応についても注視していかねばならないと思っています。
 ごみ処理問題については、また別の機会に書きたいと思います。

富士総合火力演習を見学してきました

2005年08月28日 | 休日
 先週木曜日に先輩のYさんからお誘いを受けて、急遽27日に東富士演習場で行われた「富士総合火力演習」を見学してきました。
 この「富士総合火力演習」は、富士山麓で年に一度行われる陸上自衛隊による国内最大規模の実弾射撃訓練です。今回は自衛隊から隊員約2000人、戦車や特科火砲、装甲車、ヘリコプターなど数百両が参加したそうです。
 当日は朝4時半ごろ小諸を立ち、演習が始まるおよそ2時間前の8時30分に演習場に到着しましたが、既に会場には見学の市民で溢れかえっていました(最終的には抽選などで選ばれた3万人の市民が見学したそうです)。
 炎天下、2部構成で約1時間30分にわたり、ミサイルや砲弾が発射される演習を見学しました。私たちは普段テレビ画面を通じて、その一部しか知ることはできませんが、生で体験する90式戦車の強烈な爆音、対戦車砲ミサイルの威力、ヘリコプターの風圧、訓練された隊員の身のこなしなどは、圧倒的な迫力がありました。
 自衛隊について、私は、他国を侵略するための手段としては認められないことは勿論ですが、自国を守るため必要な存在であると考えています。
 そして普段考える機会の少ない災害派遣や海外派遣、さらには憲法9条改正など自衛隊を巡る様々な問題を机上の空論に終わらせず、より深く考えるためには、自衛隊の一面を直に肌で感じることができた今回の見学は私にとって大変貴重な体験となりました。

違いのわからない男が「呑み切り」に参加しました

2005年08月24日 | 呑むこと、食べること
 今日は、私のお客様で大変お世話になっている橘倉酒造株式会社に仕事で伺いました。
 井出社長から「今日の午後“呑み切り”があるから、出席してみませんか。」とお誘いを受けたので、私も同席させていただきました。
 私ははっきり云って日本酒を造る過程を知ることより“呑む”ことの方が好きです。しかし、毎年夏になると“呑み切り”という行事が行われることだけは知っていましたので、興味本位で初めて参加してみました。

 「呑み切り」とは、冬に仕込み、春に火入れ(加熱)をし、夏に酒蔵で貯蔵・熟成している新酒の品質検査を行う蔵元の大切な行事だそうです。

 技術顧問をされている内山先生という方が、タンク毎に並べられた20数本の日本酒について利き酒をされましたが、何度も何度も口に含んで転がしながら、「この酒は、香りが大変素晴らしい。」「コクと切れがある。」などと1本1本細かい味や香りの講評されておられました。私は内山先生が“飲まずに口で転がしているだけとはいえ、よく酔わないよな~。”などと感心して見ていましたが、その講評に聞き入る井出社長や畑杜氏、会社関係者の表情は真剣そのものでした。

 私も迷惑のかからないように皆さんが利き酒を終了された後、何種類かのお酒で呑み切りのマネごとをしてみましたが、大吟醸と純米酒の区別はわかるものの、例えばいくつかある大吟醸のタンクの区別はわからず、ただただ“美味しい”という感想のみでした。また、皆さんがやっていたように口に少量含んで転がし、飲まずに吐き出したつもりですが、利き酒をはじめて5種類目くらいでほんのり酔ってきてしまいました(・・・情けない!!)。
 どうも私は“違いがわかる男”にはなれそうもありません。

“わざと”と“わざと”

2005年08月23日 | 行政書士の仕事
 私が訪問すると必ず豆を挽いてコーヒーを入れてくださる建設会社があります。
 先日仕事でお邪魔した際、日頃美味しいコーヒーを頂戴しているので、感謝の意を表すために(とはいえ、あまり大げさにならず、また嫌味にならないように)、コーヒー豆を買っていきました。
 コーヒー豆を渡す際、「いつも美味しいコーヒーを頂いているので、“わざと”ですが、豆を買ってきましたので、どうぞ。」と申し添えました。
 すると会社の社長さんが「先生は、美しい日本語をよく知っておられる。」とお褒めの言葉をいただきました。
 私は、両親が人にモノを差し上げるときに、よくこの“わざと”という言葉を添えていたので、私もあまり意識せずに使ったので恐縮してしまいました。
 勿論、意識しないとはいえ私もこの“わざと”という言葉を使うときには、「わざわざ」という恩着せがましい意味で使ったことはなく、「少しばかりですが・・・」とか「(取るに足らないモノで)恥ずかしいのですが・・・」というような意味で使っていて、この地方独特の方言なのかな(?)程度の認識しかありませんでした。
 しかし、その社長さんによれば広辞苑に出ている立派な日本語であるとのこと。「さぞ親御さんは貴方を立派に育てたのでしょう。」とさらに褒めていただき、お尻のあたりがむずがゆくなりました。
 そこで、早速事務所に帰って広辞苑をみると確かに「⑤心ばかり。少しばかり」とありました。今回は、たまたま正しい使い方をしていたので恥をかかずに済みましたが、言葉というのは本当の意味を知らずに使ったり、使い方を間違えると全く逆の意味に取られてしまう恐れがあるのだなとつくづく反省しました。
 本当に日本語って難しいものですね。

アサマ・スター・クロス・ウォーク2005開催される

2005年08月21日 | インフォメーション
 NPO法人・浅間山麓国際自然学校が主催するアサマ・スター・クロス・ウォーク2005が昨晩から今日の未明にかけて行われました(①)。
20日午後4時過ぎに雷を伴う夕立がありましたが、天気も回復し雲間に見える月や星空、小諸の夜景も楽しめたようです。
 我々小諸商工会議所青年部の10名は、高峰高原に向かうチェリーパークライン入口を拠点に前後4箇所の交通整理及びコース案内を行いました。
 特にウォーク参加者が通過した後もチェリーパークライン入口から上を車両通行止にしたため、午前1時まで交通整理にあたりました。
 当初はTシャツ姿でよかったのですが、時間が経つにつれ気温も下がり、長袖シャツやウインドブレーカーなどを着ないと寒くていられない状況でした。そんな中、近くの「きのこの森」の花岡さんが“きのこと水菜の鍋”(②)を持ってきてくださり、ご馳走になりました。
 
 午後10時頃に私はN君と、ファミリーコースのゴール地点で、一般コースのチェックポイントとなる「アサマ2000パーク」まで参加者の様子を見るため車で登って行きました。小諸の懐古園からアサマ2000パークまでは17kmですが、この間の標高差は1300mと過酷なコースであったため、参加者が登って行く後ろ姿からもその大変さが伺われました。

 アサマ2000パークでは暫しの休憩タイム。標高が約1900mのこの地点は我々が居た場所よりさらに気温も低く、冷えて疲れた身体を癒すため豚汁が振舞われていました(④)。 
 会場では大きな拍手で到着した参加者を出迎え、また嬬恋村田代小学校目指して出発する方にはエールが送られており、またコースの要所に交通整理やコース案内で立たれたボランティアの皆さんも、参加者に「頑張ってください」「お疲れ様です」と大きな声をかけていたのがとても印象的でした。(地元のコミュニティテレビこもろのスタッフ(③)も精力的に取材をされていましたよ。)。

 ウォーク参加の皆さん、ボランティアスタッフの皆さん、今大会を主催された浅間山麓国際自然学校の皆さん、本当にお疲れ様でした。

 来年はコースを変えて嬬恋村から小諸・懐古園を目指して同ウォークが行われる予定とのこと。浅間山麓の大自然に触れるチャンスです。是非全国から大勢の皆さんに参加していただきたいと思います。

受験勉強考(3)~時間短縮をして過去問を解く

2005年08月19日 | 行政書士試験
 お盆休みも終わり、信州・小諸はめっきり朝・夕が涼しくなりました。窓を開けて寝ていると布団や毛布無しでは風邪をひいてしまいます。皆さんがお住まいの処はいかがでしょうか。

 いよいよ10月23日の行政書士試験まで2ヶ月となりました。受験生の皆さんは、これからがいよいよ正念場ですので、お身体にご自愛され、是非この試験を勝ち抜いていただきたいと思います。
 さて、前回は過去問分析の重要性について書きましたが、今回もまた過去問について書きたいと思います。
 「しっかり過去問は分析をすればそれで終わりだよ。」とか「過去問の分析をしていれば問題を見ただけで答えがわかるから無駄だよ。」と思われている受験生はいらっしゃいませんか?
 実は過去問は分析すればそれで利用価値がなくなるものではなく、さらに本番で実力を発揮するための大変重要な道具となります。
 これからの時期、一番大切なことは、これまで勉強で培ってきた実力を如何に本番で出しきれるようにするかですが、そのためにこれからお話しするような過去問の利用をされることを是非お勧めしたいと思います。
 私が司法試験の受験生であった頃、参加していたゼミの仲間で短答式試験の過去問を本来3時間で解答するところを2時間30分又は2時間で解答する訓練を行いました。
 この訓練で重要なのは、仮に答えを覚えていた問題があっても、問題文・選択肢をしっかりと読み、頭の中で論理的に考え解答に導くことと、本番と同じようにその時間中は何があっても中断をしない環境で行うことです。
 実際に昨年度の試験問題を2時間(又は1時間30分)で全て解答してみて下さい。過去問分析をしっかりやったと自信をお持ちの方でも、時間内で全て解答することは難しいでしょうし、満点はおろか80%の正解をすることすら危ういと思います。
 これから本番まで毎週1~2回(例えば週末に)、時間短縮で過去数年分を解く訓練を続けてください。可能であれば2回目はさらに時間短縮してチャレンジしてみてください。
 この訓練を繰り返すことで長時間にわたり継続して集中することができるようになり、速読や一読での読み下しする力も身につきます。また問題の難易にあわせて適切な時間配分ができるようになりますし、本番で時間的な余裕が生じ優位に試験を進める効果や、正確な知識や法的思考力が定着します。
 マラソンの選手は、本番で42.195kmを走り抜くため、毎日倍の距離の走り込みを行うことは有名です。何故でしょうか?私なりに解釈すれば、精神的にも肉体的にも極限状態となる本番で十分に実力を発揮するため、練習段階で多くの負荷をかけてどのような状況にも対応できるタフな精神力と体力をつくるためだからです。これは受験勉強でも同じです。

奇祭“榊祭り”を見学する

2005年08月16日 | 休日
 7月下旬に行った“龍神祭り”と同じく近くに住んでいながら今まで行く機会がなかった “榊祭り” (佐久市望月)を観てきました。
 山から若者たちが松明を手に駆け下り、その炎を次々と鹿曲川に投げ込み、さらに榊の神輿を激しく地面にたたきつけ、水を掛け合うことで、火と榊により一切の不浄を祓い清め、五穀豊穣と無病息災を祈る祭りです。
 鹿曲川の川辺でやぶ蚊に刺されながらも運よく幻想的な松明の投げ込みを正面から観ることができました。

 今年の夏は、このブログを始めたこともあり情報発信の意味から積極的にこの地域で行われた祭りや観光スポットに足を運びましたが、これで夏も終わり。
 今年の後半は、これまで以上に仕事に全精力を傾注していくことを誓う半ぐれなのでした。

アカカンガルーの“ハッチ”と須坂市動物園の“見せ方”

2005年08月15日 | 休日
 須坂市の臥竜(がりゅう)公園内にある『須坂市動物園』に行ってきました。この動物園は、最近二つのことで全国的に話題となっています。
 一つは、日テレ系で木曜7時から放映されている「天才!志村動物園」で嵐の相葉雅紀君との闘い(!?)を繰り広げて全国的に有名になったアカカンガルーの「ハッチ」。
 もう一つは、インターネット上に動物園を構築し、Web動画カメラで撮影された動物の様子を公開する「デジタルアニマルパーク」(詳細:アットネットホーム㈱)。
 今回はどうしてもこの二つの話題を自分の目で確かめたくて、子どもたちにせがまれてではなく、むしろ言い訳のため子どもを引き連れて、動物園に行ったのでした。

 一般200円、小中学生70円の入園料を支払い、ゲートを入ると園長自らがチケット切りをして出迎えてくれました。しばらく行くと右手に親子連れの人だかりが・・・ハッチがいる檻です。
 我が家にも小さな子どもがいますので、動物バラエティー番組は見る機会が多く、私も何度かハッチをテレビで見て知っています。
 全く愛想のない、半分目を開いたふてぶてしい顔つきでゴロゴロとして、気が向くとサンドバッグにすがりつき、お客である人間に媚びることなく気ままに過ごすそんな様子(写真)に私も思わず引き込まれ(本来ペットとは違い野生動物であるから当たり前の行動ではあるが、思わず「コイツ、人をナメてる・・・」と感心したのだ)、上の子に「先に行こうと」促されるまで見入ってしまいました(飼育員の方やテレビで相葉君が檻に入ると逆に“遊んでくれよ~”と人懐っこく絡んでくるのは、それはそれで面白いのだが・・・。)。

 さて、このハッチも含めこの動物園では12種類の動物の様子を24時間ライブ中継しています。このインターネット上の動物園は、全国から多くのアクセスがあり、現実の動物たちに会いたいと須坂市動物園の入場者数も増えているのだという。まさにアイディアの勝利。
 実は私も今から8年位前に仲間3人と同じ発想で事業化できないかと考えたことがあった。当時は今ほどのペットブームではなく、マンションなどでペットOKのところが少なかったため、ペットを飼いたくても飼えない人たちをターゲットに犬や猫の様子を24時間ライブ中継し、擬似的にペット飼育してもらおうというものだった(当時は今ほどブロードバンド化が進んでいない環境面と資本的な問題もあり実現できなかったのだが、何か勿体ない、先を越されたような気分で残念・・・)。

 さて、現実の動物園の様子は、ネットのライブ中継を見て想像していたのとはだいぶ違い、中継するカメラなども大掛かりなものではない。そもそも須坂市動物園が大きくなく、小諸の懐古園にある動物園の1/3程度の規模なのだ。
 しかし、「行動展示」というユニークな“見せ方”で旭川市・旭山動物園が2年連続で東京・上野動物園を抜いて入場者数日本一となったように、この須坂市動物園も規模は小さくても「ライブ中継」という“見せ方”を工夫したことにより今や全国区の動物園になってしまった。
 そして、園内であった若い職員の方々も大変ハツラツと仕事をしていた(ハッチで有名なサンドバッグも飼育職員の発案だというし、夜の動物の生態を見せるユニークな企画もあるらしい。)し、(たまたまだとは思うが)園長が切符切りをしていたり、手作りの数多くの掲示物があったりと、アットホームな雰囲気がこの小さな動物園には満ち満ちていた。
 いま全国で多くの動物園が経営難であるという。差別化に成功した小さな動物園での出来事は、何も動物園に限らず、様々な中小企業や地方自治体においても当てはまる多くのヒントが隠れているのではないかと大変勉強になった半ぐれであった。

受験勉強考(2)~大切な過去問の分析

2005年08月14日 | 行政書士試験
 前回は「“出る・出ない”を見極める」ことにより、焦点を絞った計画的で効率的な勉強をすることが可能になることを書きました。
 前回の補足をします。絞込みをすることで「やらなかったところから出題されたらどうしよう」と不安になってしまう方も多いかと思いますので、その点について書きたいと思います。
 合格するために大切なことは、受験生の半数以上が正解する問題を確実に正解することに尽きます。半数以上が正解できる問題を落とすということはプラス1とマイナス1ですから2点の差になってしまう。逆に受験生の多くが正解できない問題は、正解できなくてもマイナス1とマイナス1ですから差は0点です。
 受験生の半数以上が正解する問題を確実に得点できればそれだけで7割以上の得点が可能になるはずです。
 満点を目指さなければならない学校の試験と合格点を目指せば良い資格試験の違いをしっかりと意識することが肝要です。

 さて、今回のテーマに移ります。
 云うまでもなく過去問は合格するためには、どのような知識や能力が必要なのかを知る唯一の情報源です。過去問の選択肢一つ一つを具体的に踏み込んで、個々の論点・知識についてどのような問われ方をするのか、何を聞いてくるのかについて徹底的に分析することが重要となります。
 行政書士試験の法令問題は、司法試験の択一式のように論理的な思考能力を聞いてくるものは少なく(但し、一般教養の国語について論理的な思考力を聞いてくることが多い)、正確な知識があるか否かを聞いてくるものが多いため、一つの問題を全体的に検討するという姿勢ではなく、個々の肢を具体的に研究するという姿勢で臨まねばなりません。
 理想的な勉強方法としては、過去に出題された(絞り込んだ)範囲をひと通り(漠然とで良い)教科書で学び、過去問の個々の肢を丁寧に分析しながら、教科書で“この論点はこういう聞き方、問い方をしている”と意識しながら正確な知識を習得していく。そしてこれを何回か繰り返していきながら定着させていくことです。
 受験生の中には、過去問を疎かにして新作予想問題集や予備校の模試に飛びつく(重視する)方が意外に多いのですが、これは明らかに間違いです。予想問題や模試もできたに越したことはないのですが、実際には本番の試験と予想問題や模試とでは“出題の癖”や“問題の質”の点で大きく異なります。
 本番の試験問題は大学教授など試験委員の先生方が作成されますが、予想問題や模試は必ずしもそうではありません(現在はどうか知りませんが、十数年前に司法試験受験生であった私はある大手予備校から宅建の模試用の問題を1問5千円程度で作成するバイトをしたことがあります。)。
 実際にも司法試験の択一試験になかなか合格できず、予備校の模試も芳しくなかった私は、過去問を徹底的に分析したことで合格することができました。また、昭和63年に宅建の試験に合格したときも、時間がなく当時勤めていた法律事務所への行き帰りの時間(1日2時間、計5日間)を過去問の分析をしただけで合格することができました。
 過去問の分析は、地味な作業でいい加減にしがちですが、根気強く行うことが合格への近道と心得てください。しっかりとこの作業を行うと、“出題の癖”や“問題の質”の違いを実感できると思います。新作予想問題や模試はあくまで余力があればやればいいのです。

小諸東中柔道部OB会と “熱い一発”の思い出

2005年08月11日 | ゆかいな仲間たち
 私が小中高と柔道をやってきたことは前回書きましたが、昨日は中学時代お世話になった市川正臣先生を囲んで小諸東中柔道部OB会(通称:柔会=やわらかい?)が開かれました。
 市川先生の厳しい指導の下、同じ時代を共有した先輩・後輩・仲間たちは、酒を酌み交わし大いに盛り上がり、昔話に花が咲きました(柔道部OBとして先生を囲む会は初めての開催。大先輩は中学卒業後31年ぶり、後輩でも25年ぶり、私自身、27年ぶりとなります。)。

 ところで、嬉しいことに今年母校の後輩たちは7年ぶりに県大会で優勝し、22日から愛知県で行われる全国大会に出場することになりましたが、東中柔道部の伝統は、市川先生のご指導から始まったといっても過言ではありません(私が1年生の時に先輩方が2年連続全国大会出場(県優勝)、2年の時は県8位、3年の時は県準優勝でした。)。
 市川先生は、現在東小の教頭先生ですが、当時は20代後半の熱血教師。今の時代では考えられませんが、ビンタが飛んできたり、モノサシで叩かれることは日常茶飯事でした。私自身も2年生の時、レギュラーとして出場した大会の3日前に引き手である左人差し指を3cmにわたり鎌でザックリと切り、先生に「レギュラーとしての自覚が足りない」と左頬に“熱い一発”をいただいたことは今でも忘れられません。
 昨夜も市川先生を慕う大勢の先輩・後輩が集まりましたが、やはり話題はその話が多く、先生も照れておられました。
 しかし、今でも各々が忘れられない懐かしい思い出として語られるその“熱い一発”は、時代は変わったとはいえ教育の根底にあるはずの教師と生徒の『心と心の交流』のひとつの形をまさしく体現していたのではないかと思います。改めて云うまでもなく、そこには生徒を思う教師の愛があり、その時は先生に対し“コノ野郎! ”と思っても、その先生を信頼する生徒がいたのです。
 今、自分が親として願うことは、子どもたちに一人でも多くの信頼できる先生と心の交流をして欲しいこと。そして先生方には自信と愛情をもって子どもたちと接していただきたいと思う。
 そして私たち親も決して子どもの前で先生を馬鹿にしたり、批判したりすることはしてはならず、また先生に対しても些細なことに一々目くじらをたてたりせず、先生の考えで自由な教育ができる環境を提供していかねばならないように思う。
 そのためには何より先生方と親の間に、しっかりとした信頼関係が構築されなければならない。