半ぐれ行政書士の徒然日記-Ⅱ

信州は小諸の半ぐれ行政書士
仕事のこと、地域のこと、様々な出来事を徒然なるままに書き記します

頑張れ、日本! 頑張れ、小諸人!!

2006年06月19日 | ゆかいな仲間たち

 ワールドカップ・サッカー

 日本0-0クロアチア

 チャンスはたくさんありましたが、残念ながら引き分けてしまいました。
 青年部や大勢の皆さんと一緒に日本を応援し、会場も結構盛り上がりました。
 我々青年部は“侍ブルー”に「小諸人」のプリントをしたお揃いのTシャツをあつらえて声を枯らしての応援!そして各人の顔には日の丸ペインティング!

 我々青年部はいつも心はひとつです。最後まで諦めるな!頑張れ、日本!頑張れ、小諸人!!



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長野県行政書士会合同会議

2006年06月16日 | 行政書士の仕事
 昨日から1泊で佐久市のホテルにおいて長野県行政書士会(本会)の合同会議が行われました。
 この会議は、5月に行われた総会で承認された事業計画に基づき、本会の各担当部会が今年1年間の具体的な事業計画を審議するもので、今年で6年目となります(ちなみに私は皆勤賞です)。
 県内各地から50数名の役員が一同に会し盛大に行われました。
 私は昨年から広報部に所属していますが、年4回発行する会報及び本会ホームページの改訂、ML、研修会情報などについて協議しました。特に少ない予算の中でいかに多くの会員に読んでいただける会報にするか、これからの時代を見据え会員が活用できるHPを目指していくかについては、部員の先生方と真剣に協議しました。
 難しい会議の後は、天然温泉につかり身体の疲れをとり、夕方からの大懇親会に出席、その後事務局の皆さんと軽めの2次会(私は懇親会前に他の先生方とちょっと一杯なりましたので3次会・・・)を楽しみました。




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牡丹一輪と名立帰山先生

2006年06月11日 | 感じたこと、云いたいこと
 
 昨日は、水墨画・墨心透映流宗家 名立帰山(なだちきざん)先生宅を訪ねました。一昨年知人の方から先生をご紹介していただいたのがご縁です。
 名立先生は、水墨画の大家でご高名でいらっしゃいますので私などが親しくしていただいたり、ましてやお話をさせていただくことなど普通では考えられないことですが、大変気さくな人柄の先生で、有難いことに大変可愛がっていただいております。

 日頃のご無沙汰を詫びるため突然伺ったにもかかわらず、またお仕事中であったにもかかわらず、先生は私を快く招き入れ下さいました。そして先生自らがお茶を入れてくださり暫しお話をさせていただきました。
 そして先生の品格と含蓄のあるお話は、近頃忙しさに我を忘れがちな私に何ともいえない心の安らぎを与えてくださいました。
 
 私から所望したのではありませんが、先生はやおら色紙を取り出して描いていただき頂戴したのが写真の『牡丹一輪』です(剣豪・宮本武蔵が若かりし頃に勝負を挑んだ相手から牡丹一輪を差し出され、この相手には敵わないと悟ったとの言い伝えがあるそうです。)。
 墨絵の何ともいえない味わいと凛とした高潔さが一輪の牡丹に表現されているように思います。

 早速額を買い求め、事務所に飾りました。



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こもろ地球人まつり

2006年06月06日 | PTA・子どもたちと
 
 先週末も忙しく過ごしました。

 まず土曜日の午前中が我がPTAの厚生部主催の「豊かな体験学習・あつまれ美南っ子!」、午後は全佐久PTA連合会の総会と研修会、夜は前PTA会長のご苦労さん会と1日フルにPTA漬でした。

 次の日曜日は、お隣の野岸小学校を会場として行われた『国際交流フェスティバル・こもろ地球人まつり』に家族全員で行ってきました。お手伝いをされている野岸小PTAの皆さんを激励することが主な目的でしたが、思わぬ“副産物”がありました。
 この祭りは、異文化とのふれあいや外国籍の方々との交流を通し、他文化に対する理解を深めようというもので、各国の紹介や各国の料理、民族衣装の試着など様々なブースが出ていました。
 子どもたちには目的を告げずに連れてきましたので、最初は拒否反応を示していましたが、あっという間に慣れすっかり興奮・感激していました。特に中学生の息子は、大変良くして頂いたインドネシアのブースに感激し、ちゃっかりその方々と写真に納まったり、娘たちは試食コーナーで海外の食事に舌鼓を打っていました。
 僅かの時間でしたが異文化に接し子どもたちは日頃接することの無い海外の国々に目を向けるきっかけができたようですし、私たち大人と違い外国籍の方々と打ち解けた子どもたちのその順応性の早さに驚きました。
  


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雲仙普賢岳で逝ったS君へ

2006年06月04日 | 〇〇君、〇〇さんへの手紙

 S君へ

 テレビ朝日記者として雲仙普賢岳を取材中の君は、1991年6月3日午後4時8分、あの忌まわしい大火砕流にのみこまれ、まだ27歳という若さで逝ってしまった。
 
 あれから15年・・・。
 残念ながら、当時とは比べものにならない位、世の中は政治も経済も社会も病み、加速度的に悪い方向へ進んでいる。しかし、それを肌で感じながらも自分の仕事や生活に追われ、何もできずに毎日を過ごしている俺がいる。
 「もっとしっかりしろよ!!」 君は天上から大きな声で叫んでいるのかもしれない。

 君は高校時代から既にジャーナリストになる夢を持ち、人一倍正義感が強く、間違ったことには相手が誰であろうと「間違っている」と言える人だった。数年後、天職ともいえる記者になって『ニュースステーション』でテレビを通して再会したときは自分のことのように嬉しく思ったっけ。何も誇れるものを持っていない俺などは、若手記者でありながら持ち前の鋭い臭覚と深い洞察力でニュースリポートをしている君の姿をテレビ画面越しに羨望の眼差しで見ていたっけ。
 
 “もし”君が生きていたなら、いったいどんなジャーナリストになっていたのだろう。そして俺たちにどんなメッセージをくれただろうか。

 いやっ、君はもういないのだ。「いったいどうすれば良いのか?」君に聞くことすらできないのだ。
 もちろん「安心して天上から見守っていてくれ!」などと見透かされるようなウソを云えるほど青くもないし、そんな立派な生き方もしていない。むしろ情けない大人の一人に成り下がってしまったのだ。

 ただ勇気を奮って、自らが正しいと信ずることはほんの少しでも実践することはできるかもしれない。
 それはキザな云い方をすれば、この15年の間に“守るべきもの”ができたから。
 俺は俺なりの生き方をするよ。君のように志半ばで逝くのはヤダよ。才能も根性もない情けない俺だけど精一杯生きてみるよ。
 
  


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オーラを感じた人(2)~井出一太郎先生(2)

2006年06月03日 | 感じたこと、云いたいこと

(つづきです)
 現役時代の支援者で先生を慕う方々を対象として時局の解説論評や現役時代の政治話などの講義をされた「井出学校」も月に1回のペースで長らく行われました。はるばる東京など全国から先生の講義を聞きに来られる方もおり、いつも会場は満杯でした。平均年齢70歳の年配の方々がまるで先生の講義を子どものような輝いた目で食い入るように受講していたことを覚えています。

 また、短歌の世界などわからない私ですが、普段おだやかな先生が詠まれた激しい歌と正一先生が自民党を離党され、新党さきがけを立ち上げたときに詠まれた歌(7首のうちの1首)が印象的です。

  権力の周辺に腐臭ただよはす老いさらばえし魍魎(もうりょう)よ去れ

  新しき歴史拓くべく行く道は難く厳しく険しくてあらむ

 前者は、中央の政治家に限らず地方政治家にも通用することであり、また決して過去の遺物でなく現在も魍魎たちが多くいることをとても悲しく思います。
 後者は、行政書士として新分野を開拓していくときは勿論ですが、私自身の様々な思いや考えの中で今後もこの歌だけは決して忘れずに生きていかなくてはと決意を新たにしたところです。



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オーラを感じた人(2)~井出一太郎先生(1)

2006年06月02日 | 感じたこと、云いたいこと

 今から10年前(1996年)の6月2日に三木武夫内閣の官房長官などを歴任された井出一太郎先生が亡くなられました。
 私が先生とお会いしたのは、先生のご子息である井出正一先生の秘書になってからです。東京の行き帰りに当時の信越線小諸駅まで送迎をすることが多くありました。その時既に政界を引退されて7年が経っておられ、現役時代の激務が崇ったそうで視力がほとんど無かったようでした。
 しかし政治家としてではなく歌人として歌会始の召人(めしうど―特に天皇から召された者)にも選ばれるなど文人政治家といわれた先生は、30歳そこそこの小僧であった私などと話をする時でも穏やかにそして丁寧に、大変重みのあることばを下さり大変可愛がっていただきました。その身体から滲み出てくるオーラは何とも表現ができないものでした。

 先生とはいくつかの思い出があります。

 私はあまりミーハーでないので、普段は芸能人は勿論、政治家の先生方のサインや揮毫を自分から欲しがることはしないのですが、現役時代に揮毫された先生の包み込むような丸みのある字は私を虜にし、自らが欲して先生に何度もお願いをしました。目が不自由なことを理由に断る先生に「“心眼”で書いていただければ結構ですから。」と無理なお願いをつづけましたが、「気持ちは分かったが揮毫することができない。」と、とうとう実現することはなくとても残念でした。

 また、96年の2月に体調を崩され佐久総合病院に入院されていた先生でしたが、亡くなる直前の5月下旬の小満祭の時に正一先生とお見舞に行ったときの出来事です。正一先生が耳元で「今日は〇〇君が来てくれているよ。」と私の名を呼びながら大きな声をかけると、目を閉じられたままでしたが何かことばをいうため一生懸命に口を動かされました(治療の関係で先生は声を出せなかったので、結局何をおっしゃっていただいたのか分からずとても残念です)。



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我が家族の風景(2)

2006年06月01日 | 感じたこと、云いたいこと

 最後に私。察しの良い読者は分かると思うが、一番変化があったのは実は私だった。

 妻が勤めるに当たり二人で話し合ったときに「家事の分担をして欲しい。」とのこと。
 「何をやってもらえるの?」その言い方があまりにもムカついたため、成り行き上「夕飯はオレが作る!」と云ってしまったが後の祭り・・・・。

 炊事はたまにやることがあっても毎日となると一人暮らしをしていた頃以来。料理はもともと嫌いでなかったとはいえ、毎日となるとメニューを考えるのも大変な作業だ。
 それから炊事をする時間を作ること。特に5月は様々な総会や会合などがあり、7時にはその場所に居なければならない。当然遅くとも5時頃には支度を始めなければならない。これが結構ハードだった。

 ・・・とは云えもともとポジティブな性格の私。
 この1ヶ月様々なものが垣間見えるようになってきた気がするし、結構楽しんでいる。

 ○上げ膳据え膳が当たり前と思っていたが、炊事は結構大変なこと。多少なりともこれまでの妻の労苦に感謝しないと素直に思えるようになった。

 ○買い物も“お供”で行くのではなく、仕事の合間に一人背広姿でスーパーに行くようになった。田舎であるため、この時期野菜は実家などから届くので困ることはないが、スーパーの値札を見ると結構驚く。
 『レタスが1個149円・・・?』(ウチには毎日食べても食べきらないほどあるのに・・・。)
 『冷凍サンマ以外の魚は“清水の舞台”から飛び降りなければ買えないほど高い。何故だ!』(結果肉料理が多くなるが、たまにはあっさり魚も食べたいのだが・・・。)

 ○1日の時間の使い方が格段に良くなった。→忙しくはなったものの、いわゆるムダな時間が格段に少なくなった。

 ○短時間で如何に手際よく、“手抜き料理”といわれないようにするかを考えるようになった。→意地もあるので妻や子どもたちに絶対に“手抜き料理”とは云わせないように工夫している。もともと味付には自信があるので、今のところ苦情は一件も来ていない。
 
 専業主婦や共働きの若い夫婦は、もっと大変な思いをしているのだろうな~と思いながらも、かくして“兼業主夫”となった私は、毎日料理作りを楽しみながらもメニューを考える戦いと時間作りの戦いに明け暮れているのだ。





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