半ぐれ行政書士の徒然日記-Ⅱ

信州は小諸の半ぐれ行政書士
仕事のこと、地域のこと、様々な出来事を徒然なるままに書き記します

2代続けて女性会長

2007年04月27日 | ゆかいな仲間たち

 昨晩は小諸商工会議所青年部の平成19年度定時総会がありました。
 昨年、創立27年にして初めてUさんが女性会長に就任したのに引続き、今年度はMさんが会長に選出されました。
 
 今年は会長を先頭に四つの委員会の委員長など役員を中心に青年経済人としての団体として会員相互の和と経営に直結した充実した活動を目標に事業計画も出されました。
 我が青年部も私が入った頃に比べ、今では73名の会員がいる大所帯。市内においてもその存在は一目置かれるまでになっています。元会長の私も経営企画研修委員会のアドバイザーとして末席に名を連ね、Mさんのサポートをすることになりました。

 さて、話はかわりますが、Mさんは私の中学時代の同級生。美容室を3店も経営する社長さんです(先に紹介した小泉修一君とも同級生になります)。
 実は、今週初めに彼女と“プチ同級会”を開いたのですが、その直前に膝を怪我して足を引きずっていました。激痛に顔を歪めていました。昨日改めて膝の様子を聞いてみると半月板の損傷(全治1ヶ月)と診断とのこと。
 しかし、彼女は患部の膝を包帯でグルグル巻きにしているにもかかわらずエレベーターもない会議所の3階まで自らの足で階段を上り下り、総会においても出席者に悟られないよう動作は若干遅いものの激痛を隠して乗り切り、見事に“M丸の船出”を飾りました。私など足元にも及ばない根性の持ち主だと思います。Mさんの膝が早く治りますように祈っています。
 


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小諸では桃の花も満開!

2007年04月26日 | とりとめもない話

 今、小諸では桃の花が満開です。あたり一面ピンクの絨毯が敷かれたようです。

 私の実家のある三岡地区では百年以上前(明治時代)から桃の栽培を行なっており、桃の加工工場もあったそうです。
 私の家でも桃の栽培を行なっており、今は摘花作業の真っ盛り。先程畑をとおりかかると母が脚立にのって作業を行なっていました。折角咲いた可憐なピンクの花ですので、摘まれる前に写真に収めてきました。

 いつもの年は桜の後に桃の花となるのですが、今年は陽気のせいか、桜もまだまだ見応え充分。桃も桜も競い合って咲いています。

 暗いニュースが多いので、皆さんにはこの花の写真で少しでも癒されればと思います。
  


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長崎市長選について

2007年04月23日 | 感じたこと、云いたいこと

 選挙期間中に候補者だった現職市長が凶弾に倒れる事態となった長崎市長選挙。結果は元市課長だった田上富久氏が故伊藤一長前市長の娘婿の横尾誠氏ら他の候補を破り当選した。
 補充立候補した田上、横尾両氏が事実上争う市長選挙となり、マスコミが取り上げるような行政経験を選択するか、政治家の世襲を良しとするのか、といった単純な判断基準だけでは済まない複雑な思いの中で長崎市民も苦渋の選択をしたように思う。
 事件前の期日前投票で伊藤氏に投じられた票はすべて無効になり、その後の再投票ができないことや補充立候補者が投票日の3日前までしかできないことなど選挙制度の問題も顕在化した。

 当選した田上氏の事務所では、今回の事件にも配慮して“万歳”は控え、拍手で皆の健闘を讃える爽やかさがあった。「後継は市民から」と地元出身者を選択した市民の選択も頷ける気がした。是非、田上新市長には、被爆地として世界に平和と民主主義の大切さを訴え続けていただき、新生長崎市のために活躍されんことを期待したい。

 対照的に横尾陣営では前市長の娘である優子さんが支持者に身体を支えられながら「市民の皆さん、父はその程度の存在でしたか。伊藤一長が浮かばれない」と語ったそうだ。尊敬していた父親が凶弾に倒れ、急遽夫が後継として選挙に出て落選。夜も眠れない日が続き、精神状態も尋常でなかったとはいえ、とても残念な発言であったように思う。


  

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龍雲寺・信玄公の霊廟

2007年04月20日 | 信州の風林火山

 今回紹介する信玄公の遺骨出土であるとされる『龍雲寺』は、我が事務所からも車で7、8分の場所にあります。しかし、取材するまで一度も訪れたことがありませんでした。
 
 龍雲寺は信玄公の厚い庇護を受けた名刹。鎌倉時代の初めに地頭大井氏(甲斐源氏)の菩提寺(臨済宗)として建立されたが戦火のため荒れ果て現在の地に移った。
 永禄3年(1560年)に信玄公が中興の開基となり北高全祝禅師を迎えて興隆をはかった。信濃出兵の際には、戦勝祈願をしたといわれています。
 そのためか、寺の山門をはじめとするあちらこちらに武田家の家紋「四つ割菱」がありました。

 信玄公の墓といわれている場所は全国に数箇所あり謎に包まれていますが、この龍雲寺の境内には、信玄の遺骨や短刀などを納めたとされる霊廟があります。

 龍雲寺は、佐久市岩村田にあります(長野新幹線佐久平駅から徒歩15分、長野自動車道佐久ICから車で3分)。

  


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卑劣なテロは許さない!

2007年04月18日 | 感じたこと、云いたいこと


 長崎市長の伊藤一長氏が銃撃され死亡した。
 この卑劣なテロ行為を決して許すことはできない。
 
 発言が気に入らないからといって、暴力により相手を封じ込めることがまかり通れば言論の自由がなくなり、“いつか来た道”に逆戻りすることになりかねない。

 いかなる理由により犯人が凶行に及んだのか現時点では定かでないが、今回の事件は選挙期間中に起きたことでもあり、各方面に大きな影を落とした。

 当局がこの事件の背景を徹底解明すること、そして長崎市長選は勿論のことあらゆる選挙において候補者が発言を控えるようなことがないように望みたい。

 卑劣なテロ行為に屈しないためには、我々市民が声をあげることをやめないことが何より重要だと思う。 
 
 
 
  


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海ノ口(うんのくち)城

2007年04月15日 | 信州の風林火山

 先週に引続き行政書士会ホームページの「信州の風林火山」の取材のため、昨日今日と佐久の各地へ。2日にわたり山道を30分登る場所があり結構ハードでしたが、これで私の受け持ちはすべて取材終了となりました。順次このブログでも紹介していきたいと思います。

 今日の史跡は「海ノ口(うんのくち)城」。既にNHKの大河ドラマ「風林火山」では、この海ノ口城の戦いについては、放映されていますので、ご存知の方も多いかと思います。

 天文五(1536)年の暮れ、信玄の父・武田信虎が8000の兵を率いて佐久方面に出陣し、佐久平賀城主・平賀源心ら二千の立て籠もる海ノ口城を攻めたが、36日間にも及ぶ包囲にもかかわらず海ノ口城は陥ちず、冬の到来とともに信虎は城攻めを諦め、甲斐への撤退を余儀なくされた。
 この際、撤退時のしんがりを務めた晴信(のちの信玄)が殿軍を申し出て許され、兵300を率いて海ノ口城に向かった。
 一方の平賀源心は新年を間近に控えた時期であったため城兵の大半をその領地に返した。手薄になった城内で残った7、80人の兵とともに海ノ口城で戦勝の酒宴を開いていたが、そこに晴信が奇襲を掛け、海ノ口城はあっけなく落城し、平賀源心は首級を挙げられた、と言われています。そしてこの海ノ口城の奇襲戦こそが16歳の晴信の初陣にして初の戦功であると言われています。

 海ノ口城跡へは国道141号線の南牧村海ノ口より案内掲示板があり、城跡中腹までは自動車で行くことができます(駐車場らしきもの有り)。今日私が行った前後に何台かの車がきましたが、そこから城跡までは険しい登山道を徒歩約20分かけて登らなければならないため怖気づいたのか、大半の観光客は信虎同様に“回れ右”して撤退していきました。
 結局登ったのは私と子どもたち3人、そして60代と思われる老夫婦のみでした。

  


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明治時代の成績表

2007年04月13日 | とりとめもない話

 昨日私の父が子どもたちの何か参考になればといって私の曽祖父の尋常小学校時代(明治23(1890年)、24(1891)年当時)の小試験得点表なるものをもってきた。
 年間5回程度行なわれるテスト毎の成績表で、今で言えば中間・期末テストの成績表の類であろう。
 修身・読書・作文・習字・算術・体操の6教科が対象で、それぞれ100点満点で合計点と平均点、席順(順位)が書かれている。
 私の曽祖父であるから成績は「中の中から中の上」といったところであろうか、客観的に云えばよく出来た「習字」以外は成績に波があって「もう少し頑張りましょう」という内容だ。やはり血は争えないものだと、私もしっかりそのDNAを引き継いでいることに感心した。
 さて、その成績表に「附言」がついていて、面白い内容のものがあったので紹介したい。

 「生徒ノ覚ユル力ハ限リアレバ復習ハ毎日一時間位ニテ止メラレタシ其余ハ無理ノミナラズ却(かえっ)テ心ヤ発育ニ害ニナリマス」

 (生徒の覚える力は限りがあるので、復習(勉強)はやっても毎日1時間程度で止めて下さい。それ以上やると心や発育に害になります。)
 ―「1時間以上の勉強をしてはいけない」と学校サイドがいっていると現在の子どもたちが聞いたらきっと嬉しがる内容ですね。しかし、こういった禁止をしなければならないほどに勉強をして身体を壊す人も大勢いらしたとのことでしょうか?



 「世ニハ学校ノ教ヘ方ヤ世話方ニ付兎ヤ角ト云ハルルモ却テ学校ヘハ其意ヲ通セラレヌ方多シ夫(そ)レハ到底(つまり)双方ノ不利益ナレバ爾来(じらい)若シ何ゾ御意見ノアリタラン砌(みぎり)ハ憚(はばかり)ナク書面或ハ口頭ニテ詳(つまびら)カニ御通知相成(あいなり)タシ」

 (世間には学校の教え方や指導方法についてとやかくいう方がいるけれども、その意見を学校に云ってこない方が多い。それは双方(不満をもっている人、学校)に不利益なので、今後は何かご意見があるときは、躊躇することなく書面か口頭で詳しく通知してください。)
 ―この一文を見て私は「教育ママゴン(死語?)」を思い出してしまいました。約120年前にも学校に対して“教育方法が悪い”“指導がなっていない”と文句を云う人がいたのですね。ある意味驚きです。


 この成績表を見ながらふとあることに気がつき心がブルーになった。きっと私の成績表も実家に残っているはずである。生きてきた証であるので安易に破棄するわけにもいかないので、そのままにせざるを得ない。
 今となっては手遅れではあるが、きっと私の子や孫たちが将来私の成績表をみて「爺さんも立派なことを云っているが、学生時代はこの程度だったのか」とコメントするであろう。

 「安易ニ他人ノ成績表ヲ見テ論評スルト却(かえっ)テ自ノ心ノ害ニナリマス」

 


 

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小諸城址・懐古園(2)

2007年04月11日 | 信州の風林火山

 小諸城址本丸跡である懐古神社の左横には山本勘助が小諸城築城の時に研磨したと伝えられている「鏡石(かがみいし)」があります。
 
 勘助は朝夕この鏡石におのれの顔を映し反省したと伝えられています。
 
 小諸市の観光協会では風林火山ブームにあやかり、この勘助愛用の「鏡石」を用いて小諸をPRしているようです。

  

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小諸城址・懐古園(1)

2007年04月09日 | 信州の風林火山
 みなさんNHKの大河ドラマ『風林火山』を毎週ご覧になっていますか?
 武田信玄の軍師・山本勘助にスポットを当てたドラマですが、私は毎日曜日が来るのを楽しみにしています(結構視聴率も高くヒットしているようですね)。

 全く知らない方は、武田信玄と聞くと甲斐の国(山梨県)の話であると思われるかもしれませんが、ドラマの舞台は信濃の国(長野県)が大半を占めるものと思われます(今回のドラマが始まる前に原作である井上靖著の『風林火山』も読みました)。
 (長野の)川中島の戦い、由布姫の諏訪地域、上田原の戦いなどは代表的な信濃国の舞台ですが、私の住む小諸や佐久にも信玄にかかわる歴史上の史跡などが多くあります。

 先月から長野県行政書士会のホームページのフロントページで『信州の風林火山』と題して信州各地に残る信玄にかかわる名所旧跡を紹介していますのでご覧いただければと思います(順次更新されます)。

 これにかかわり広報部員である私は佐久・小諸地区を担当することになり早速昨日は休日ではありましたが取材をしてきました(行政書士会のHPへのアップは後日となります)。
 そこで今後の取材を含めてこのブログでも若干の紹介ができたらと思っています。

 まず第一弾として小諸城址・懐古園を紹介します。
 
 懐古園は小諸を代表する観光地ではありますが、実は信玄が信濃攻略の軍事拠点として山本勘助に縄張りさせたことが始まりだそうです。
 天文23年(1554年)甲斐の武田信玄の侵攻で武田氏の手中に落ち、以後約30年間、武田氏の城代によって支配されました。
 天然の要塞となっている空堀や野面積みの石垣の小諸城は「攻めるに難しく、 守るに易い城」いわば難攻不落の城でした。
 (写真は懐古園三の門)




  

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科学誌「ネイチャー」に研究発表した友人のこと

2007年04月07日 | ゆかいな仲間たち
 親友Tからメールが届いた。
 それによると中学時代の同級生で仲の良かった友人・小泉修一君があの英国の科学誌「ネイチャー」に研究発表をしたというのだ。

「病気やけがで傷ついたり死んだりした神経細胞を食べて除去する「脳の掃除係」と呼ばれる細胞を活性化する物質を、井上和秀・九州大教授と小泉修一・山梨大教授らの研究チームが発見し、4日付の英科学誌ネイチャー(電子版)に発表した。アルツハイマーなど脳の病気の治療に役立つと期待される。」(読売新聞

 極めて凡人の私などは彼が43歳で国立大学の医学部の教授になっていることでも十分驚きなのに、素人でも知っている人が多い権威ある科学誌「ネイチャー」に研究発表をするということは、親友Tの言葉ではないが“やってくれるとは思っていましたが、驚きです。”の一言に尽きる。心から惜しみない拍手を送りたい。  
 
 彼は中学時代から勉学はもちろん、スポーツや音楽など幅広い分野で活躍していたのであるが、だからと云ってガリ勉タイプではなく茶目っ気も持ち合わせた人であった。きっと持って産まれた才能の他に努力を惜しまない姿勢、バランスの良い感性が今日の成功につながったのだろう。

 Tからのメールで嬉しくなった私は新潟へ行く前、帰った後に彼を知る友人達に電話をかけてみたところ、やはり驚きと共に賛辞を呈していた。
 勿論妻や子どもたち家族にも自分のことのように自慢した。子どもたちは「お父さんの周りには凄い人が多いね」と感心しつつも暗に「その割にお父さんは・・・」と何か言いたげだった。妻は医療関係者だけあって「これは本当に凄いよ」と感心しきりであった。

 一躍“時の人”と人となった彼に敬意を表して仲間が集まってお祝いでもしたいと思うが、しばらくは難しいだろう。せめてそれまでは友人の一人として、粗末ではあるがこのブログでその業績を讃えたいと思う。



  

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