半ぐれ行政書士の徒然日記-Ⅱ

信州は小諸の半ぐれ行政書士
仕事のこと、地域のこと、様々な出来事を徒然なるままに書き記します

佐久最後の砦~志賀城の戦い

2007年06月27日 | 信州の風林火山

 NHK大河ドラマ「風林火山」は、平均視聴率20%前後をキープしており、ここ数年の大河ドラマの中ではヒット作となっているようだ。

 さて、次回7月1日に放送される第26話「苦い勝利」では、壮絶を極めたといわれている天文16年(1547年)に、晴信(信玄)と佐久地方の最後の砦となる志賀城主・笠原新三郎清繁との戦いの場面が登場する。

 後詰めを頼んだ上野国の関東管領上杉憲政は三千の軍勢を送ったが、晴信は志賀城を包囲させたまま、上杉軍を迎撃。小田井原でこれを破り、討ち取った三千もの首を志賀城の周囲に架けて威嚇したと伝えられている。

 武田軍の残忍さの一面を物語っている。

 

 

 

【志賀城跡(雲興寺)(写真上)】

佐久市志賀にある志賀城跡。現在の雲興寺の裏山に城があった。

 

【笠原新三郎の首塚(写真下)】

志賀城の近くの水田の中に、志賀城主・笠原新三郎清繁の首塚が残されている。

 

 

 

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複雑な思いが交錯

2007年05月08日 | 信州の風林火山
(壮絶無惨な奮戦があった志賀城跡)

 NHK大河ドラマ「風林火山」を観光に活用するか否かで、佐久地方で対応が異なっている。

 大河ドラマで取り上げられると大きな観光資源になるとして誘致活動も活発とよく聞くが、風林火山ではそのほとんどの舞台となる信州、特に佐久地方では複雑な思いが交錯する。
 方や観光に活かそうと熱心な小諸市や南牧村、方や侵略された史実を捉え積極的な観光PRを控える佐久市。

 小諸では観光協会が中心となって「山本勘助ゆかりの地」として勘助が築城した小諸城(懐古園)を積極的にPRするため“のぼり旗”を数百本市内の各地に立てて盛り上げたり、風林火山にちなんだ各種イベントにも参加をしている。
 南牧村でも信玄初陣の地「海ノ口城」が2月にドラマで取り上げられたことから役場も国道沿いに大きな看板を建てて観光客を見込んでいる。

 一方の佐久市では、北進策をとる信玄の前に立ち塞がった志賀城の笠原清繁や内山城の大井貞清などが武田軍との壮絶無惨な戦いを繰り広げ、ついには攻め滅ぼされたことから積極的なPRはしていない。
 例えば武田軍の「志賀城攻め」では上州からの援軍を小田井原の合戦で破り、3000人もの首を城の周りに並べ、戦意を失った城主ら300人は討ち死にしているなど悲惨な史実が多い。

 先日の佐久バルーンフェスティバルでは、佐久の観光協会も「佐久の風林火山」というパンフレットを配布していたが、その内容は他の地のものとはだいぶ異なるものとなっていて、複雑な思いが滲み出ていた。
 反対に小諸で行なわれた浅間山開きで観光協会事務局担当者に風林火山の観光への影響を聞いたところ、4月29日放映のドラマの終わりに風林火山所縁の地として小諸が紹介されたこともあってか、このGW中の懐古園への観光客の来場者数は例年の2倍に昇るという。

 「風林火山」を観光に利用するか否か、それぞれの複雑な思いが交錯している。




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人は城 人は石垣・・・ (番外編1)

2007年05月02日 | 信州の風林火山
(写真は甲府駅の横にある有名な信玄公銅像)

 連休の谷間ではありましたが、半ぐれ事務所は今日も仕事。
 山梨県庁へ産業廃棄物収集運搬業の申請に行ってきました。通常であれば2時間ちょっとで行くはずですが、連休の影響があると予約した時間に着けないため、早めに出発しました。
 甲府市内は「風林火山」の影響か、若干県外ナンバーの自動車が多かったように感じましたが、時間通りに到着。
 予約の時間まで2時間ほどあったので、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡である武田神社や駅前周辺で行なわれている「風林火山博」などを見学してきました(詳しくは後日コメントします)。

 武田神社の社務所で来年受験する子どものために「合格祈願のお守り」と自分のお土産に「扇子」を買ったのですが、その袋に信玄公の有名な言葉と共に解説が書かれていました。

『人は城 人は石垣 人は堀 
        情は味方 仇は敵なり

 信玄公は人の和こそ最大の武器であり、最大の楯であると信じ、国政を行なわれ、見事にその成果を挙げられた。すなわち信玄堤が造られ、甲州法度が実施されるなど、かずかずの仁政が行なわれ、甲斐の人達の生活は向上していった。
 今の世に於ても、この真理に変わりはない。(後略)』

 身の回りから始まって、市政や国政、世の中すべてにあてはまるこの御遺徳に私たちは学ばなければならないように想います。  
  


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龍雲寺・信玄公の霊廟

2007年04月20日 | 信州の風林火山

 今回紹介する信玄公の遺骨出土であるとされる『龍雲寺』は、我が事務所からも車で7、8分の場所にあります。しかし、取材するまで一度も訪れたことがありませんでした。
 
 龍雲寺は信玄公の厚い庇護を受けた名刹。鎌倉時代の初めに地頭大井氏(甲斐源氏)の菩提寺(臨済宗)として建立されたが戦火のため荒れ果て現在の地に移った。
 永禄3年(1560年)に信玄公が中興の開基となり北高全祝禅師を迎えて興隆をはかった。信濃出兵の際には、戦勝祈願をしたといわれています。
 そのためか、寺の山門をはじめとするあちらこちらに武田家の家紋「四つ割菱」がありました。

 信玄公の墓といわれている場所は全国に数箇所あり謎に包まれていますが、この龍雲寺の境内には、信玄の遺骨や短刀などを納めたとされる霊廟があります。

 龍雲寺は、佐久市岩村田にあります(長野新幹線佐久平駅から徒歩15分、長野自動車道佐久ICから車で3分)。

  


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海ノ口(うんのくち)城

2007年04月15日 | 信州の風林火山

 先週に引続き行政書士会ホームページの「信州の風林火山」の取材のため、昨日今日と佐久の各地へ。2日にわたり山道を30分登る場所があり結構ハードでしたが、これで私の受け持ちはすべて取材終了となりました。順次このブログでも紹介していきたいと思います。

 今日の史跡は「海ノ口(うんのくち)城」。既にNHKの大河ドラマ「風林火山」では、この海ノ口城の戦いについては、放映されていますので、ご存知の方も多いかと思います。

 天文五(1536)年の暮れ、信玄の父・武田信虎が8000の兵を率いて佐久方面に出陣し、佐久平賀城主・平賀源心ら二千の立て籠もる海ノ口城を攻めたが、36日間にも及ぶ包囲にもかかわらず海ノ口城は陥ちず、冬の到来とともに信虎は城攻めを諦め、甲斐への撤退を余儀なくされた。
 この際、撤退時のしんがりを務めた晴信(のちの信玄)が殿軍を申し出て許され、兵300を率いて海ノ口城に向かった。
 一方の平賀源心は新年を間近に控えた時期であったため城兵の大半をその領地に返した。手薄になった城内で残った7、80人の兵とともに海ノ口城で戦勝の酒宴を開いていたが、そこに晴信が奇襲を掛け、海ノ口城はあっけなく落城し、平賀源心は首級を挙げられた、と言われています。そしてこの海ノ口城の奇襲戦こそが16歳の晴信の初陣にして初の戦功であると言われています。

 海ノ口城跡へは国道141号線の南牧村海ノ口より案内掲示板があり、城跡中腹までは自動車で行くことができます(駐車場らしきもの有り)。今日私が行った前後に何台かの車がきましたが、そこから城跡までは険しい登山道を徒歩約20分かけて登らなければならないため怖気づいたのか、大半の観光客は信虎同様に“回れ右”して撤退していきました。
 結局登ったのは私と子どもたち3人、そして60代と思われる老夫婦のみでした。

  


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小諸城址・懐古園(2)

2007年04月11日 | 信州の風林火山

 小諸城址本丸跡である懐古神社の左横には山本勘助が小諸城築城の時に研磨したと伝えられている「鏡石(かがみいし)」があります。
 
 勘助は朝夕この鏡石におのれの顔を映し反省したと伝えられています。
 
 小諸市の観光協会では風林火山ブームにあやかり、この勘助愛用の「鏡石」を用いて小諸をPRしているようです。

  

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小諸城址・懐古園(1)

2007年04月09日 | 信州の風林火山
 みなさんNHKの大河ドラマ『風林火山』を毎週ご覧になっていますか?
 武田信玄の軍師・山本勘助にスポットを当てたドラマですが、私は毎日曜日が来るのを楽しみにしています(結構視聴率も高くヒットしているようですね)。

 全く知らない方は、武田信玄と聞くと甲斐の国(山梨県)の話であると思われるかもしれませんが、ドラマの舞台は信濃の国(長野県)が大半を占めるものと思われます(今回のドラマが始まる前に原作である井上靖著の『風林火山』も読みました)。
 (長野の)川中島の戦い、由布姫の諏訪地域、上田原の戦いなどは代表的な信濃国の舞台ですが、私の住む小諸や佐久にも信玄にかかわる歴史上の史跡などが多くあります。

 先月から長野県行政書士会のホームページのフロントページで『信州の風林火山』と題して信州各地に残る信玄にかかわる名所旧跡を紹介していますのでご覧いただければと思います(順次更新されます)。

 これにかかわり広報部員である私は佐久・小諸地区を担当することになり早速昨日は休日ではありましたが取材をしてきました(行政書士会のHPへのアップは後日となります)。
 そこで今後の取材を含めてこのブログでも若干の紹介ができたらと思っています。

 まず第一弾として小諸城址・懐古園を紹介します。
 
 懐古園は小諸を代表する観光地ではありますが、実は信玄が信濃攻略の軍事拠点として山本勘助に縄張りさせたことが始まりだそうです。
 天文23年(1554年)甲斐の武田信玄の侵攻で武田氏の手中に落ち、以後約30年間、武田氏の城代によって支配されました。
 天然の要塞となっている空堀や野面積みの石垣の小諸城は「攻めるに難しく、 守るに易い城」いわば難攻不落の城でした。
 (写真は懐古園三の門)




  

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