半ぐれ行政書士の徒然日記-Ⅱ

信州は小諸の半ぐれ行政書士
仕事のこと、地域のこと、様々な出来事を徒然なるままに書き記します

珍客が乱入?! 楽しい結婚披露宴

2005年11月26日 | ゆかいな仲間たち

 一昨晩(24日)は、顧問先の会社の常務が結婚をされ、その結婚披露宴にご招待を受けた会社の社員及びOBの皆さんと共に、私も出席させていただきました。
 都会ではオーソドックスになりつつある平日夜の披露宴も、田舎ではまだ珍しく、私もこのような披露宴は初めてでしたが、仕事を終えて出席するこのような披露宴はリラックスしたムードの中で行われるため、いいものだなと思いました。

 さて、披露宴はまず新郎である常務のお父様(会長)のご挨拶で始まりましたが、大変感動的な内容でした。その挨拶の中で、息子である新郎に対して“今後結婚を機に社員から信頼される人になれるよう精進せよ。”と厳しくも心温まる激励の言葉がありましたが、素晴らしい親子関係を垣間見た気がしました。
 次に来賓と出席された新郎の叔父である社長から祝辞があり、この中でかの有名なギネスブックについてお話があり、“世界一結婚生活が長い記録(80数年)は、何と『努力・忍耐』というカテゴリーに記録されている。結婚生活とは、このようにお互いが努力と忍耐で築き上げていくものである。”と結ばれていました。
 新郎新婦による鏡開きが行われ、一合枡に移された樽酒で乾杯した後、部署毎の社員・OBによる余興が種々行われました。それぞれ趣向を凝らした出し物で、大変楽しいひと時を過ごすことができました。どれもこれも社員の皆さんの常務の結婚を祝う想いが伝わる内容でした。(中でも若手男性社員2名が女装して新郎に迫った珍客『キャサリンとイボンヌ』は最高でした。本人の希望により写真を目隠し(?!)しているため、その美貌がお見せできないのが残念です。)
 ところで私は何をしたのかって?私はといえば、楽しい余興を肴に、鏡開きした樽酒を乾杯からお開きまでひたすら頂戴していました(このお酒は吉野杉の芳香がしみ込んだ最高に美味しいお酒であったため、少々飲みすぎてしまったようです。ご馳走様でした。)。
 新郎新婦の幸福が会場を包み込み、私もいつもより幸せな気分で最高でした(そりゃあ、そうだろう...)。
 結びに新郎から、仕事でも家庭でもしっかりとリーダーシップをとり、皆から信頼を勝ち得られるよう頑張る旨の決意表明がありました。大変素晴らしい挨拶で心から拍手を送りました。
 お開きになり、時計を見るといつのまにか披露宴開始から4時間が経っていましたが、そんな時間の経過を感じさせないとても楽しい素敵な披露宴でした。

 新郎新婦、末永くお幸せに!!


大勢の皆さんに読んで欲しいので、下記の2つのブログランキングにエントリーしています。
にほんブログ村 資格ブログへ 人気blogランキングへ

まず親が変わらなくては・・・

2005年11月22日 | PTA・子どもたちと

 先週、松本での研修会を終えて、息子が通う中学校のPTA臨時総会に遅れて途中から出席した。
 今、学校が荒れており、その報告と今後の対応を検討するために開催された総会であった。

 授業中でも飴やガムを食べている、騒がしい生徒がいて授業にならないといったことから、自転車や運動着の盗難、暴力事件や夜間徘徊など様々な問題が日々発生しているのだという。
 私が知る限り、この中学校だけが特別な問題を抱えているのではなく、地域にある多くの中学校で、同様のことが起こっている。
 
 総会で学校やPTA役員から報告があった後、何人かの親が今後の対応・対処について発言するのを聞いていて、私は少し不安になった。
 ―「もっと学校の先生方に叱って欲しい。」「学校に行っている間は学校でしっかり指導して欲しい。」「地域社会でもっと監視体制を。」等など・・・。まるで他人事。他人のせいにばかりしている。現状に対する危機感が感じられない発言が多くて驚いた。家庭や親子関係についての視点が欠落していないだろうか。

 私はこれらの問題を対処していくには、第一義的には親自身、家庭のあり方が変わらなければならないと思う。学校や地域、社会の問題はあくまで補完的な役割を果たす第二次的な存在でしかないのだ。

 私たちの子どもの頃は、高度成長期で今ほど親から構ってもらえず育ったように思う。子ども社会や地域で様々なルールも教わった。
 しかし、親は必ずと云ってよいほど“肝心な場面”で登場し、子どもをよく叱り、そしてよく守ってくれたように思う。それだけ子どもたちを見ていて、また子どもたちと真正面から向き合っていたのだと思う。
 今はどうだろう。少子化の中で親達が子どもに目をかける時間も増えたが、物質的な豊かさを十分に提供することが愛情と勘違いする親が増えてしまった。親が子どもに遠慮している、子どもを叱ることができない、親が何と多いことよ。実は子どもたちをよく見ようともしないし、真正面から向き合うことなどしていないのだ。
 何か問題が生じ他者から批判されると「自分の子どもを信じている。」と発言する親を見かける。親としての責任をロクに果たさずに発する言葉は、免罪符にすらならないと思うのは私だけであろうか。“信じている”と云われた子どもたちは、実はそんな“バカ親”に対し、内心舌を出していないだろうか。

 子どもたちを変えたいと思うのであれば、まず親子関係を見直すこと、親自身が変わることが大切だと思う。他人のせいにしたり、他人任せにしていては何も変わらないのだ。
 極論かもしれないが、私は子どもが悪いことをしているのであれば、それを止めさせるため理解をさせる、場合によっては張り倒すことも辞さない親でありたいと思う。また、子どもが他者から攻撃を受けているのであれば身体を張って子どもを守らなければならないと思う。
 子どもをしっかりと見て、真正面から向き合う“覚悟”や“自信”、それらが私たち親に必要なのだと思う。そのために何度も云うが親が変わらなければならないのだ。(つづく)



大勢の皆さんに読んで欲しいので、下記の2つのブログランキングにエントリーしています。
にほんブログ村 資格ブログへ 人気blogランキングへ

MARCHING FESTIVAL 2005in武道館

2005年11月20日 | 休日
 
 19日(土)に日本武道館で開催された自衛隊音楽まつり『MARCHING FESTIVAL 2005in武道館』に家族5人揃って行ってきました。このイベントは日本の吹奏楽の最高峰といわれる陸・海・空自衛隊の各中央音楽隊をはじめ在日米軍楽隊などが出演する音楽の祭典です。
 “一度で良いから生で味わってみて”と元自衛官のKさんからお誘いを受けたことをいいことに、“それでは是非子どもたちにも見せてあげたい”と希望してもなかなか入手できないチケットをご無理を云って家族全員分取っていただきました。

 国旗入場、国家斉唱のオープニングセレモニー、各音楽隊の一糸乱れぬ統制のとれたドリル演奏、大小200以上の和太鼓が一斉に地響きのように鳴り響いた自衛太鼓の演奏、プロ歌手顔負けのアカペラ、女性自衛官によるフラッグ演技、防衛大学の精鋭による儀仗隊ファンシードリル等などレベルの高い音楽や演技を生で鑑賞することができ、子どもたちは勿論、私たち夫婦も大変感動、感激しました。
 来年以降もチャンスがあれば是非観賞したいと思います。
 (※会場内はフラッシュ撮影禁止ということでしたので、フラッシュを使用せずに写真撮影しました。)



大勢の皆さんに読んで欲しいので、下記の2つのブログランキングにエントリーしています。
にほんブログ村 資格ブログへ 人気blogランキングへ

 

豊かな体験プログラム(あつまれ美南っ子)

2005年11月14日 | PTA・子どもたちと

 12日(土)に美南ガ丘小PTA教養部主催の第2回豊かな体験プログラム(あつまれ美南っ子)が行われました。
 これは週休2日制が導入された頃から毎年3回、子どもたちに普段できない体験をしてもらうことを目的とした講座で、講師の先生は地域にお住まいの方々が担当されます。
 当日は、陶芸やゴム動力模型飛行機の製作、食育を考えるクッキング、書初め教室など16の講座に140名もの子どもや親が参加しました。
 写真では判りにくいかとは思いますが、子どもたちのイキイキとした目は、この講座の目的を見事に達成しているものと思います。今後も多くの子どもたちが参加してくれることを期待します。
 私の子どもの頃は、しっかりとした子どもの社会があり、タテの社会、ヨコの社会とも機能していて、様々な経験を子ども社会で経験したように思いますが、現在ではそれも難しいということなのでしょうか。成功した反面、複雑な思いもします。
 
 ところでその晩、ビートたけしが出演した「教育」に関する番組が放送されていました。教育現場についてのレポートや教育に関する様々な意見が述べられており、自分の子どもたちが正に当事者であることもあって、いろいろと考えさせられました。
 この番組でも触れられていましたが、少なくても私の子どもの頃までは、子どもたちを取り巻く環境も、地域社会が多くのことを補っていたように思いますが、そういかないのが現状です。
 その意味で地域にお住まいの方々が講師である豊かな体験プログラムが、子どもたちと地域社会との大切なコミュニケーションの場となれば素晴らしいと思います。


大勢の皆さんに読んで欲しいので、下記の2つのブログランキングにエントリーしています。
にほんブログ村 資格ブログへ 人気blogランキングへ




行政書士の原点に立ち返る(4)~悶々とした日々から開放されるきっかけ

2005年11月10日 | プロローグ
 このブログを継続して読んでいただいている方からすれば、毎回様々なテーマで書いているので、非常に読みづらいと思います。
 書いている本人からすれば、一度始めた話を完結しなくても、最終的に整合性があれば良いので書きやすく、それこそがブログの良さと考えています。何しろタイトルをクリックすればそのタイトルに関する記事が一覧で現れるシステムになっているのだから整合性があるわけです。
 しかし、このタイトルで前回政治の話を始めてしまったものだから、タイトルから少々外れてしまった。あまり読者を混乱させないようにするため、このタイトルの話をある程度完結させる方向で話を進めていこうと思います(政治の話はいろいろとネタも多く、是非紹介したいこともあるので、後日、項を別することにします。)。

 そこで今回は(2)の続きから始めます。

 お蔭様で私の場合、開業してから今まで仕事が一度も切れたことがありません(収入の多寡は別として)。しかしながら、現実はそう甘くは無いものです。開業したからといって事務所を維持するに必要な仕事量の確保(例えば継続性のある建設業のお客様が増えるなど)が難しく生活も大変でした。
 都会ではどうか知りませんが、田舎ではそれまでの繋がり(信頼・信用)を大切にすることが多いため、今まで別の行政書士に頼んでいたものを簡単に私に乗り換えてくれることはほとんど無いのが現実でした。
 そこで今となれば笑い話にもならないのですが、開業当時は時間があるものだから、行政書士名簿で自分の業務エリアの諸先輩の方々の平均年齢などを調べ、いったい何時になれば自分の出番が回ってくるのかを考えたりもしました。
 また、法律分野については自信があったもののその周辺分野になるとド素人であったため、例えば最初に相続の仕事をした際にはお客様から「ウチの場合、相続税はいくらになるのか。」と聞かれても、「それはまず5000万円の基礎控除があって、相続人一人につき1000万円が加算されますから、・・・相続税はかかりません。」などと即答する芸当ができず、「調べてから回答します。」というしかなく、『実務』とはなるほど厳しいものか、と自分の知識の甘さにホトホト嫌気がさしていました。
 そんなこんなで、益々悶々とし何もかもが行き詰ってしまった平成9年の秋、知り合いから、たまたまFP(ファイナンシャルプランナー)という民間資格があるが勉強しないかと持ちかけられたことが大きな転換点となりました。
 “この資格を勉強することで自分がやってきた法律分野の周辺領域が埋められる。”また“それにより自分の得意分野を商品として自信をもって売り出すことで大きな柱がひとつできる。”とそれまで行き詰っていたものからようやく開放されるきっかけができたように思えたのです。
 そして、さらにそのように前向きに考えたことで、ようやく大切なことに気がついたのです。
 “振り返れば自分はこれまで明確な目的や目標をもって物事に取り組んで走ってきたのに、行政書士になってその明確な目的がないではないか。”と。



大勢の皆さんに読んで欲しいので、下記の2つのブログランキングにエントリーしています。
にほんブログ村 資格ブログへ 人気blogランキングへ

行政書士の原点に立ち返る(3)~代議士秘書時代の話(1)

2005年11月09日 | プロローグ
 前回、井出先生の奥様・和美さんの話をしたので、本題から外れますが、今回はいかに私が生意気な秘書であったかを振り返って話をしたいと思います。
 
 たまたま私の父が井出先生の高校の1年先輩であり共に生徒会長をしたというご縁で、平成2年に私の結婚式の仲人をしていただいたのが井出ご夫妻でした。
 平成4年に最後の受験と決めて司法試験を受験するも論文試験で敗退。受験を始めた当初からの決意、受験時代の後半生活を支えてくれた妻との約束もあり、キッパリと受験生活から身を引きことにしました。
 “とりあえず資格を持っているから田舎に帰って行政書士でもやるか。”と、同年12月に小諸に帰ることにしました。
 しかし、どこから情報が漏れたのか井出先生から「来年は総選挙があるから、それまでしばらく私の秘書をやって欲しい。」との依頼がありました。
 妻の反対があったものの、学生時代から政治に興味があったこと、当時の自民党政治に閉塞感を感じていたこと、井出先生の人柄を尊敬していたことなどの理由もあったり、“短期間であるし、全く未知の世界を覗くことは勉強になるだろう。”“国民の小さな声も秘書として国政に届けることができるだろう。”と私なりの明確な目標・目的を持つことができそうであったので、お引き受けすることにしました。
 そして秘書になるにあたり、井出先生にこう申し上げました。
―「私は、私なりの秘書像があります。政治家の秘書とは、国民の小さな声を代議士に伝え、国政に反映していただくのが仕事と考えています。従って、私が秘書を務める限りは、敢えて耳障りの悪いことを申し上げることにします。もしそれが嫌あれば、いつでも首を切って下さい。」と。
 今から考えると何と生意気で、無礼な発言であったかと思いますが、私は井出先生に対してこのように宣言し、秘書生活が始まったのです。



大勢の皆さんに読んで欲しいので、下記の2つのブログランキングにエントリーしています。
にほんブログ村 資格ブログへ 人気blogランキングへ

本田美奈子さんと井出和美さん

2005年11月08日 | 感じたこと、云いたいこと
 歌手の本田美奈子さんが7日、急性骨髄性白血病で亡くなられたニュースは、芸能界をはじめ一般ファンに大きな悲しみを広げています。
 私もミュージカル俳優となり、小さい身体ながらスケールの大きい、それでいて透き通った歌声をもって舞台で活躍されている彼女をテレビで知って、いつか生の舞台を是非観たいと思っていたので、大変残念に思います。ご冥福をお祈りしたい。

 ちょうど7年前の11月2日、井出正一先生の奥様・和美さんがやはり急性骨髄性白血病が原因で黄泉の国へと旅立たれました。
 井出先生の代議士時代に地元秘書であった私は、東京で活躍され地元へ帰ることのできない代議士に代わり、留守を預かる和美さんとよく後援会の会合や支援者のところへ伺いました(私が在籍した4年間は、代議士より過ごした時間が長かったのではないかと思います。)。いつも大勢の後援会の皆さんに囲まれていた和美さんは、多くの人に親しまれ、愛された人でした。
 妻として、母として、嫁として、政治家の妻として、一人で何役もこなされた和美さん。傍からみている私たちからすれば大変なことも多かったように思います。しかし、最後まで前向きに生きられた人でしたので、ご家族の方々がおっしゃっていたように短くも大変幸せな人生だったのだと思います。
 ただ残念なのは、井出先生が政治生活にピリオドを打ち、和美さんとともに新しい道に向かうことを決意された矢先に、しかも和美さんも白血病を克服しつつある中での急逝だったことです。本当は、もっと生きて沢山のことをやりたかったのだろうと思うと切なくなります。

 生きたくても生きられない人、生きられるのに命を粗末にする人、この世の中不公平だと思うことが多いのですが、私は和美さんに習い最後まで前向きに生きたいと思います。



大勢の皆さんに読んで欲しいので、下記の2つのブログランキングにエントリーしています。
にほんブログ村 資格ブログへ 人気blogランキングへ

『鼓響』20周年コンサート

2005年11月07日 | 休日
 7月30日の龍神祭りの記事で紹介しました信州御代田龍神太鼓保存会『鼓響』の20周年記念コンサートが5日に小諸文化会館であり、家族全員でその迫力ある太鼓演奏を堪能してきました。
 この20年間に地元龍神祭りの参加は勿論、カナダ世界民族芸能祭や長野冬季パラリンピック閉会式などの大舞台から各種イベント、結婚式など年間20回以上の演奏会をされているそうで、その芸術性の高さは折り紙つきです。
 私は今回で3回目の演奏会を聴く機会となりましたが、今回の演奏は今までの中でも特に素晴らしく、太鼓がもつ独特のリズムと力強さ、一糸乱れぬ迫力ある演奏は、心に強く響き、太鼓の魅力を存分に楽しむことができました。
 また今日の記念コンサートでは、小学校4年生から中学2年生までのメンバーで構成される『鼓響子供会』の皆さんの演奏もありましたが、練習の成果がしっかりとあらわれていました。
 さらに当日配布されたパンフレット(写真)もメンバーの手作りによるものだそうで、こちらにも感激しました。
 『鼓響』の皆さんにはこれからも是非素晴らしい太鼓演奏を私たちに聴かせていただきますよう更なるご活躍を期待しています。20周年おめでとうございました。



大勢の皆さんに読んで欲しいので、下記の2つのブログランキングにエントリーしています。
にほんブログ村 資格ブログへ 人気blogランキングへ

雑記(3)~職業病!? 慢性的な肩こり

2005年11月04日 | 感じたこと、云いたいこと
 学生時代までは“肩こり”とは無縁の生活をしていた。
「肩こりがひどくて...」などと人から聞くと羨ましくさえ思った時期があった。
 何てバカなことを羨ましがっていたのだろうと、今になって思う。

 やはり運動不足、体重オーバー、一日中パソコンに向かう時間が増えたことなどが主な原因であろう、今では慢性的な肩こりに悩まされている。
嘗て酷いときには1週間も首が回らなくなったり、長期間偏頭痛に悩んだこともあった。
 ここ数年は、あまり酷くならないうちに身体のメンテナンスをするように心がけるようにしていたが根本的な解決はできないでいる。

 3日前から風邪ではないのに頭が痛くて仕事が手につかないくらいになってしまった。オーバーワークがたったのだろうか、案の定、肩こりから来ているようだ。
 妻も私の症状を見かねて、肩を揉んでくれるが「まるで歯がたたない。」と直ぐに揉むのを止めてしまった。身体が悲鳴をあげているのが自分でもわかる。かなり重症らしい。
 仕方がないので今日は最低限の仕事をこなし、後は専門家に指圧をしてもらいオーバーホール。お陰で少しは軽くなった。

 「肩こりは職業病」などと云えば恰好いいが、単なるモノグサに過ぎないことを反省しつつ、減量と適度な運動を心がけていかねばと思う。“心身ともに健康でなければいい仕事ができないぞ”と自分に云い聞かせる半ぐれであった。



大勢の皆さんに読んで欲しいので、下記の2つのブログランキングにエントリーしています。
にほんブログ村 資格ブログへ 人気blogランキングへ

雑記(2)~みちくさ

2005年11月01日 | 感じたこと、云いたいこと

 今日から11月。今年もあと2ヶ月となりました。

 先月は、無料相談会など行政書士強調月間の関連行事、試験監督員、その他諸々の用事があり、本当に嵐のように過ぎ去っていきました。仕事も忙しく季節の移り変わりもあまり感じることなく、心の余裕などありませんでした。

 今日は、仕事で久しぶりに軽井沢に行ったのですが、小諸と違い、いつの間にか風も冷たく、既に晩秋。つい先日まで暖かかったのが嘘のように森の木々も紅葉が終わりかけ冬支度を始めていました。
 秋晴れで浅間山も綺麗に見えたので、しばし“命の洗濯”。若干時間に余裕があったので、車で久しぶりの“みちくさ”をしてみました。

 子どもの頃は、毎日“みちくさ”して帰ってきたのに、気がつけば大人になってからは“みちくさ”などしていませんでした。
 特にこの時期はリンゴなど果物が美味しい時期で、よく通学路を外れてはリンゴ畑でリンゴをいただいて(...断ってですよ。)帰ってきたな、などと思い出しました。

 私のベストポジションである追分のある場所で浅間山を堪能し(写真)や鬼押出手前の峰の茶屋まで1時間程度の“みちくさ”ドライブを楽しみました。

 自然に癒されたのでしょうか、暫くぶりに心に余裕が感じられました。
 また明日から頑張るぞ!!


大勢の皆さんに読んで欲しいので、下記の2つのブログランキングにエントリーしています。
にほんブログ村 資格ブログへ 人気blogランキングへ