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雲上快晴

プーさん爺じが、何の変哲もない日々を綴る

火病の国、恨(はん)国

2019年01月26日 | 隠居の世迷言
 「私が地球上で最も嫌いな国は、韓国です」

 こう言うと、周りの人からは、

 「北朝鮮や中国・ロシアよりも?」

 と聞かれるのですが、北朝鮮や中国・ロシアは社会・共産主義の国であって、主義・思想の違う旗を堂々と掲げているわけですから、端から相容れる国とは思っていませんので、好き嫌いの感情を持つべき対象から外れているのです。

 それに対して韓国は、外見上は民主主義を標榜していて、いわゆる西側諸国の一員という位置づけにありながら、その振る舞いと言ったら、とてもではありませんが常軌を逸していると言わざるを得ません。

 歴史は都合のいいように作り変える、戦後のどさくさに紛れて竹島を不法占拠する、有りもしなかった強制連行による慰安婦・徴用工をでっち上げ、世界各国に像を建てまくっているにも関わらず、ライダイハンには頬被り、国と国との約束を国民感情で反故にする、などなど、その異常性は法治国家として考えられないことばかりです。

 大体、歴代の大統領が、誰一人としてまともな余生を送れない国なんて、韓国以外、何処を探しても見当たらないでしょう。

 元々、朝鮮半島という地理的条件から、歴代中国王朝の属国として辛酸を舐め続けさせられた歴史が、かの民族に 【火病】 を蔓延させ 【恨(はん)】 の精神を植えつけてしまったのかもしれませんが、時代が変わった現在においても、自らの足でその歴史を乗り越え自立しようとせずに、不遇の時代の怨念を昨日のことのように抱き続ける姿勢からは、未来志向の「み」の字も感じることはできません。

 そんな遠くない将来に、朝鮮半島は北高南低のパワーバランスで赤い統一国家になるのでしょう、そうなってからでの断交は、またややこしい事態が想定されますので、今のうちにきっぱりと縁を切っておくべきだと、私は思っています。

 隠居の世迷言ですけどね。


 行橋市議会議員【小坪慎也】さんの侍ブログ

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 サヨナラ韓国、また来て威嚇

撤退 そして 断交

2018年10月31日 | 隠居の世迷言
 『慰安婦問題』が行き詰まってきたら、今度は『徴用工問題』を吹っかけて来て、最高裁が日本企業に賠償を命じる判決を下した韓国という国。

 当の昔に解決済みの問題を、「まだだ、まだだ」と何度も蒸し返し賠償金を要求してくる国を、私は【当り屋国】と呼びたい。

 こんな国からは、さっさと企業を撤退させて断交すべきだと思う。


 徴用工という新たなタカリツール。安倍総理「国際法に照らして、ありえない判断。 日本政府としては、毅然と対応。」

国を憂う(世迷い言ですけどね)

2018年07月27日 | 隠居の世迷言
「あなたは、右ですか?左ですか?」
と聞かれたら、迷うことなく
「ド右です」
と答えます。

 一般的には、人間誰しも「自分はまともだ」と自認しているはずなので、「右でも左でもなく中道だ」と答えられる方が多いんじゃないかと思いますけれど、数年前に当時の社長から、
 「人は、自分の意見は正しい、バランス感覚も良いと思っているだろうけれど、自分の立ち位置は自分では見えないものだ。自分の立ち位置は、自分の右側には何人の人がいて、自分の左側には何人の人がいるか、ということを思い浮かべることで測るものなんだ。」
 と教えられました。

 で、早速、それまで関わってきた人達の顔を思い浮かべて、右と左に振り分けようとしたところ、右側に来る人は誰もいませんでした。(著名人なら沢山いますよ、例えば石原慎太郎さんとか高須クリニックの院長とか田母神俊雄さんとかね)

 なので、今の世の中では、私は『右』に位置づけられる部類に属しているということになってしまうのですが、本音は、
「世の中が左傾化し過ぎている、このままでは覇権主義国家の属国になってしまうぞ」
 と思っているのです。

 いつまでも蕎麦屋の話(モリ・カケ)をしている場合ではないんですよ。

 有事が起こらなければ、目が覚めないのかなぁ~


恵方巻

2016年02月03日 | 隠居の世迷言
 いつの頃からか、正月の松が取れたあたりになると「今年の方角は○○○」、「節分には恵方巻」というCMが流れるようになりましたねぇ、コンビニにも上り旗が立ち並んで。。。

 栃木県には、節分に恵方巻を食べるなんていう風習はありませんでしたので、最初何のことなのかさっぱり解りませんでした

 これって、関西以西の風習なんでしょ?
 それがいつの間にか全国区に格上げされて、意味も解らず皆が食べるから食べるってことになっちゃったんでしょうね。

 ホント日本人ていうのは、商戦に乗せられやすい民族ではありますね、クリスマスから始まって、バレンタインデイ、ホワイトデイ、ハロウィンなんかも最近急に盛り上がってきて。。。

 世の中全体に直ぐに普及・拡大するのは、情報社会の象徴なのでしょうけれど、何でもかんでも金太郎飴のように取り入れるっていうのは「没個性」に繋がってしまうんじゃないかと、他人事ながら心配にもなりますねぇ~

 そんなわけで、私は恵方巻を食べたことはないし、今後も食べることはないでしょう。

 節分には、豆まきとイワシの頭に限るのです




今年も何度も聞かされました

2016年01月31日 | 隠居の世迷言
 「新年明けましておめでとうございます」

 立派な肩書を持った人たちが大きな声で・・・

 社内広報誌でも、社長・副社長・常務の皆さんの新春対談特集の一行目に・・・

 旧年が明けるから新年になるのであって、新年は明けないんですよ、「頭が頭痛だ」って言ってるようなものなんですけどねぇ

 どんどん日本語の使われ方が崩れていきますねぇ、「ヤバい」なんてのも良い意味で使いだしていますものね。

 まあ、世迷言ですから。。。

釈然としませんね

2015年11月13日 | 隠居の世迷言
 湯本に「湯の岳」という小高い山があって、頂上からの見晴らしが素晴らしいという話を聞いたものですから、女将さんがやってきた先週の土曜日に行ってみました。

 あいにく靄がかかっていて視界が悪く、晴れていればさぞや綺麗だろうと思える紅葉も ↓ な感じでした。



 帰る途中、山の中腹にある「丸山公園」に立ち寄って散策していましたら、何やら大きな慰霊碑が建っている場所に出ました。



 ただ、慰霊碑の前にある献花台が景観を損ねているような気がして、近づいてみると、、、



 如何にも取ってつけたような献花台で、後ろが見えないように隠しているように感じたので、後ろに回ってみると、、、



 ありました、「建碑のことば」なる建立の経緯を綴った石碑が。

 この慰霊碑は、第二次世界大戦後、海外から引き上げてきた人たちが中心となって、異国の地の劣悪な環境下て命を落とされた方、祖国を目前した引き上げ船の中で病に倒れ亡くなられた方達の霊を祀るために建てられたものだと書かれていました。

 その文面の中には、引き上げが遅々として進まなかったことなどへの国に対する非常に激しい憤りも書かれてあって、多分そのせいでお上から「隠せ」とのお達しが出たんじゃないかと、、、この碑を建てた方達は悔しい思いをしているだろうな、、、と。

ここに刻まれている言葉が真実であるはずなのに、、、こういう歴史を伝えなければいけないはずなのに、、、


 深く一礼をしてきました。

不思議な体験

2015年10月28日 | 隠居の世迷言
 先日、不思議な体験をしました。

 その日は、長い時間同じ姿勢で座っていなければならない行事があって、やたら肩が凝ってしまったのです。

 夜になっても凝りが取れずに、そのまま寝床に入りいつの間にか眠ってしまったのですが、そこで夢を見たのです。

 その夢というのが、ベッドでうつ伏せになって、マッサージを受けているというものでした。

 夢の中の私は、「ああ、気持ちいい、そこそこ、効くー、凄く楽になったぁ」と喜んでいて、そのうちに夢か現か解らない状態で目が覚めたのです。

 そしてビックリ、何と前日の肩凝りがすっかり治っていて軽い軽い、もしかして「小人の靴屋さん」ならぬ「小人の揉み屋さん」なんていうのが存在するのかと思ってみたり

 段々と現から魂が抜け出しかけているのでしょうかねぇ~


PS:いつもは四つ足で暮らしているのに、何を思ったか、急に後ろ足二本で立ち上がった拍子に、「ギックリ腰」になってしまった熊さんのところにも現れてくれればいいのにね、「小人の揉み屋さん」

会社の真ん前に

2015年10月27日 | 隠居の世迷言
 会社の目の前にあった駐車場が閉鎖されて、代わりにファミマが出来ました、今週の金曜日にオープンするみたいです。





 会社の近くには、セブンイレブンとローソンが道を挟んで対置していましたが、ファミマが加わって巴戦が繰り広げられることになりますね。

 コンビニは確かに便利ですけれど、美味しそうに見せるためにご飯に油が吹きかけてあるとか、惣菜の野菜は中国から仕入れた薬まみれの屑野菜だとかいう風聞もありますよねぇ。

 ホントのところはどうなんでしょうか?

 ちょっと話がずれますが、拙い私の卓球指導の経験則では、大会の時にコンビニ弁当を持ってくる子供に本当に強くなった子はいませんね。

 安直に便利なものに走ってしまっては、大切な何かを肌で感じることができないと思うのです。

 「便利」を否定する気持ちは毛頭ありませんが、手間を掛ければできるものなら、その時間を作る努力をしてもいいんじゃないかと。。。

 隠居の世迷言でした