考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

一皮めくった視点と具体的な話題

2009年05月24日 | 教育
読解の授業で、私はよく文と文の関係を問う。求める答えが、後の文が前文の理由になっているとか具体例になっているとかいう類だが、これが意外にできない。具体的な内容で答える生徒がそれなりにいる。

勿論、問うからには、常日頃、問いに答えられる読み方で教えているのだが、それでも自分だけの力で文と文の繋がりを見いだすことが困難な生徒がかなりいる。彼らの意識に、文同士の関係性なんてどうでもよく、それよりも個別の語句の意味などの方が重要だという考えがあるかのようだ。理由は予測がつく。試験で答えるべき内容は、関係でなくそこに書かれている具体的な説明だったり訳だったりするからだ。しかし、問いに答えるときには、その問いの意図をきちんと汲み取らないと正しい答えにはいたらない。この際、重視すべきことが、文と文の関係だったり、語句と語句の関係、段落同士の関係だったりするのである。しかるに、そこまで深く思いが至らず、どうしても具体例な語句や表現に終始してしまう場合、成績の伸びは頭打ちになる。真に読めないのである。語句などに表出しない部分まで読み取ってそれで初めて読んだことになると私は思うのだが、なかなか難しいようだ。

それでも、みんなが大学に合格する。そこそこ良い大学にもちゃんと合格する。大学で、きちんと一皮めくった視点からの読み方ができるまで学習してくれれば良いけれどと思う。通り一辺やって、自分は何でも理解ができていると思うことほどこわいというか世に迷惑なことはない。

勉強をする、というのは、そこまでできてやっと基礎に到達したということだと思う。

3 コメント

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日差しに影が深まるように (わど)
2009-05-25 09:50:18
この問題も大切なものに触れていらっしゃるように思われますので、また生意気にコメントを。
一般に文と文などの「関係」は、文章のなかでは明示されませんよね。ですから先生からの問いになっています。対象者(読者)を初心者に設定しているとかの場合にかぎり、くどくどしく関係の説明があったりしますが、そんな文章は読めたものじゃないのが普通なので。
むしろ「関係」を明示しないほうが面白い文脈になります(確信)。この理由は、不親切ではなくて、「味わい」とか呼ばれる現象に関係していると思われます。明示されない「関係」は、本が投げ捨てられないかぎり、読者によって捜索されるからです。ときどきそれは、読者による捏造だったり創造だったりするのですが。たとえば短い言説、俳句を例にとれば一目瞭然。そこに語句や文の関係は、まったく明示されません。ですが、接続詞などで明示されていないことが、むしろ俳句の味わいを深めていると考えられます。
この事情を、可視化されたものと不可視なものとの二重構造化に基づく深度と、おれは簡単に理解しています。とすると、一部の生徒たちは、不可視なものに触れようとしないことに。
こうしてこの問題は、先生がおっしゃっている結果主義とか情報化、ポイント的勉強法などと深い内的関連を持っていることになるようです(そのおつもりだったかも)。そのうち、ご指摘になっている事柄すべてが、ドーンと密接につながりあう時がくるんじゃないかと想像します。そしてその発見は、教育における近代批判とでもいいますか、未来の教育論へと続いているんじゃないかなと、でかい期待にドキドキしてブログを拝読させていただいています(笑)。
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不可視は抽象 (ほり(管理人))
2009-05-25 22:37:41
わどさん、コメントをありがとうございます。

私の言っていることを一歩進めたコメントで、ありがたく思います。私が自分の舌足らずを補足説明しなければならないコメントではなく、広がっていく感じが嬉しいです。

俳句のような文学的なものまでは考えていませんでしたが、確かに、そうですね。文学の世界ほど、不可視のものが意味を持ちますね。

まあ、上記の内容は、説明的な文章の読み方の指導です。英語の文章は、ほとんどが非常に論理的な説明の仕方になっているので読みやすいはずなのですが、思考方法によるのか、これがなかなか。

>一部の生徒たちは、不可視なものに触れようとしないことに。

私は、勉強の目的は、「見えないものを見る力」を養成することだと思っています。(まあ、そう言ったとき、「見えない物が見えるわけない!」と国語の先生に怒って言われたことがあるけど、異次元の世界のようでした。)抽象化がまず、それだと思ってますが。言葉から数、何から何まで全てがそうだから。

ところで、自分の中では、全てが繋がってると感じてるんだけど、表現し得てないのだろうな。(笑)
「考え」というのは、巨大な分子構造のようなものだと思ってるので、どこをどのように切り取るかで、言いたいことがあれこれ変化して見えるものだと思ってます。

ご期待に添えるかどうかわかりませんが、今後ともご贔屓にお願いします。
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追記 (ほり(管理人))
2009-05-25 23:05:41
 「わかりやすさと情報化と成果主義」の記事は、実は「勉強が好きな子が少ないワケ」の続きでした。書き損ねたことがあったと思って書きたしたら、時間が経ってたもので、ちょいとばかり抽象的になったわけです。
 でも、今回のこの記事は、読解力が身に付けている人は少ないものだなぁ、と思って書いたものです。
 東浩紀氏だって間違えるのだから、仕方ないのかな。
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