だと思った。
昨日の「仕事の流儀」で、思った。
茂木さんが、「首位打者をとったら云々(だっけ?)」と、具体的な科白は忘れたが、「もう、そこまでいったらいいんじゃないの?」ってな発言をしたら、イチローは「何かを目指している」みたいなことを言った。「それが何かはわからないが」と付け加えて。
この人は、「野球」という「学問」の実践者であると同時に、学者だと思った。スポーツの世界は、常に「競争」の世界、つまり、「誰が誰より強いか」という「相対的な関係」で評価される。だから、球界で一番を取って、「はい、頂点に立ちました。終わり。」で良いはずのものだ。しかし、彼は違う。「何かわからないけど、それ以上」を求めようとする人なのだ。「それが何かわからないもの」を目指すのは、「絶対」を求める学者だからだ。「学者」というコトバに違和感があれば「芸術家」でもいい。彼は技術的に、既に「ああすればこうなる」ことを知って実践が出来る。そう言っていたし、現実そうだ。彼は既に、「プロ」の域を超えていると言える。「プロ」と「職人」はほぼ同義であろう。「職人」は、プロとして合格点を取り続ける仕事をする人である。一度の満点を取るより80点以上を持続できる力が要求される。しかし、学者や芸術家は違う。イチローは、彼らと同様に「答えのない芸術や学問」の領域に足を踏み入れている。
「実践者」だから、「感覚」を重視する。だから、彼は自分専用の特製バットにだけ触れる。他人のバットに決して触らないのは、自分の感覚に余計な違和感を取り込みたくないのだろう。想像でしかないけれど、わかる気がする。家にいるときは、毎日奥さんの作る同じ味のカレーライスを食べる。家での生活はルーティーンである。「いつもと同じ感覚」を維持したいのだろう。それで、野球においてのみ「違い」を鋭敏に感じ取って対処する感性を養うのだ。飛んでくるボールに同じボールは決してない。常にビミョウに異なっているのだから、その度ごとに瞬時に応対を変える感性が必要になってくる。彼はそれに備えている。だから、彼は、ボールの芯にバッドをこれも芯に当てることができる。「ホームランを打つのは難しくない」のだ。
いままで私が見たテレビのイチローの話は、野球についての具体的なことだけを語っていたから面白いと思ったことがなかった。でも、今日のは違った。
で、ついでに言うと、茂木さんは、あの質問から察するに、考え方の根底で学者を止めたのだろうと思った。
昨日の「仕事の流儀」で、思った。
茂木さんが、「首位打者をとったら云々(だっけ?)」と、具体的な科白は忘れたが、「もう、そこまでいったらいいんじゃないの?」ってな発言をしたら、イチローは「何かを目指している」みたいなことを言った。「それが何かはわからないが」と付け加えて。
この人は、「野球」という「学問」の実践者であると同時に、学者だと思った。スポーツの世界は、常に「競争」の世界、つまり、「誰が誰より強いか」という「相対的な関係」で評価される。だから、球界で一番を取って、「はい、頂点に立ちました。終わり。」で良いはずのものだ。しかし、彼は違う。「何かわからないけど、それ以上」を求めようとする人なのだ。「それが何かわからないもの」を目指すのは、「絶対」を求める学者だからだ。「学者」というコトバに違和感があれば「芸術家」でもいい。彼は技術的に、既に「ああすればこうなる」ことを知って実践が出来る。そう言っていたし、現実そうだ。彼は既に、「プロ」の域を超えていると言える。「プロ」と「職人」はほぼ同義であろう。「職人」は、プロとして合格点を取り続ける仕事をする人である。一度の満点を取るより80点以上を持続できる力が要求される。しかし、学者や芸術家は違う。イチローは、彼らと同様に「答えのない芸術や学問」の領域に足を踏み入れている。
「実践者」だから、「感覚」を重視する。だから、彼は自分専用の特製バットにだけ触れる。他人のバットに決して触らないのは、自分の感覚に余計な違和感を取り込みたくないのだろう。想像でしかないけれど、わかる気がする。家にいるときは、毎日奥さんの作る同じ味のカレーライスを食べる。家での生活はルーティーンである。「いつもと同じ感覚」を維持したいのだろう。それで、野球においてのみ「違い」を鋭敏に感じ取って対処する感性を養うのだ。飛んでくるボールに同じボールは決してない。常にビミョウに異なっているのだから、その度ごとに瞬時に応対を変える感性が必要になってくる。彼はそれに備えている。だから、彼は、ボールの芯にバッドをこれも芯に当てることができる。「ホームランを打つのは難しくない」のだ。
いままで私が見たテレビのイチローの話は、野球についての具体的なことだけを語っていたから面白いと思ったことがなかった。でも、今日のは違った。
で、ついでに言うと、茂木さんは、あの質問から察するに、考え方の根底で学者を止めたのだろうと思った。
いつも興味ふかく 拝見してます。
久しぶりですね。 イチローのテレビについて
同感でした。
皆さんは如何かな。 相変わらずご活躍下さい。
とんちん漢
ちょっと本文推敲しました。(文才がないので、UPしてからも、いつもよく推敲するのですが。。。)
録画してなかったのが残念でした。
本年もどうぞよろしくお願いします。
またいろいろと学ばせていただきたいと思います。
イチローの番組は見逃してしまいましたが、やはりあの人は職人の域を超えて、まさに芸術家ですね。
一番すごいと思うのは、ここ数年優勝から遠ざかっているマリナーズにいて、あの打率をコンスタントに達成していることです。調子のいいチームで好成績を残すことはそう難しくはないと思いますが、いくら自分ががんばってもチームが勝てないという状況の中で、あの好成績を保つモチベーションを維持していることは、本当にすごいと思います。
邪推ですが、イチロー夫妻に子どもがいないのも何となく納得できます。あれだけ自分のコンディションの維持にこだわっていては、日常のペースを乱しまくる育児などとても許容できないでしょうから…。
>調子のいいチームで好成績を残すことはそう難しくはないと思いますが、
これって、まさに、そうですね。何か、全体の雰囲気みたいなものが大きな力を与えてくれるのか。
おっしゃるとおり、「いくら自分ががんばってもチームが勝てないという状況」というのは、チームのためだけに頑張ってるんじゃないってことだと思います。それこそ、「芸術家」としての「何かわからないもの」を目指しているからできるのかなとtaketyannさんのご意見を読んで思いました。
>邪推ですが、イチロー夫妻に子どもがいないのも何となく納得できます。
ええ、私も全く同じことを思いました。
えっと、たかが野球の中に無限をかしらね。
しっつれいしましたぁ~
>たかが野球
「されど野球」って、ところでしょうね。
まあ、何にしても、「芸術」の全ては「コドモの遊び」の延長線上にあり、そこに「わからない何か」を求めようというのが、脳が肥大した結果生じたことではないのかなぁと思います。
イチローにとっては、野球が「内的違和」を生じさせるものではないのかなぁ。。
人によって、それを感じるものは異なるから、「なんでそれに?」という疑問も生じる。
日本のマンガが面白いのは、「内的違和」を読む人に生じさせるからで、アメリカのそれが面白くないのは、生じさせないから、とか。
ん? なぜマンガって? 内田先生を思い出したら、養老先生が思い浮かび、だったら、マンガだと。(笑)で、内的違和とマンガを繋げたら、↑が思い浮かんだというわけです。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。