を嗅げ、と言った。(madographosさんの受け売りである。)かわいいもので、早速匂いを嗅いでくれた子がいた。(低学年の授業である。)
「勉強はカラダでするものだ、手で書いて、声を出して読んで、自分の耳で聞いて五感全部を使ってするんだよ。目だけじゃダメだ」の続きで言った。
「単語によって匂いが違うんだよ。」と口から出任せを言った。「そんなわけないよ」と言う声も聞こえたが、後で考えると、そうだよ、単語によって「匂い」は違うんだよ。もちろん、抽象的な意味合いである。我ながら良いことを思い付いたものだ。(笑)
でも、紙の辞書は、使っていると「匂い」は変わってくるものである。手垢の匂いが付く。電子辞書にも手垢の匂いって付くのかなぁ?
手触りも確かに違ってくる。紙にクセが付くことがある。触った感触が変わってくる。
人間は、物質で出来ている。だから、アタマを使うときだって、身体中でモノを使ってする方が「入力量」が増えて良いに決まっている。
「勉強はカラダでするものだ、手で書いて、声を出して読んで、自分の耳で聞いて五感全部を使ってするんだよ。目だけじゃダメだ」の続きで言った。
「単語によって匂いが違うんだよ。」と口から出任せを言った。「そんなわけないよ」と言う声も聞こえたが、後で考えると、そうだよ、単語によって「匂い」は違うんだよ。もちろん、抽象的な意味合いである。我ながら良いことを思い付いたものだ。(笑)
でも、紙の辞書は、使っていると「匂い」は変わってくるものである。手垢の匂いが付く。電子辞書にも手垢の匂いって付くのかなぁ?
手触りも確かに違ってくる。紙にクセが付くことがある。触った感触が変わってくる。
人間は、物質で出来ている。だから、アタマを使うときだって、身体中でモノを使ってする方が「入力量」が増えて良いに決まっている。
昔々、辞書ではないですが、筑摩の2段組のなぜか誤植が多い文学全集は、匂いが好みに合わず、結局読まずじまいでした。読むのは、文庫。親は、なんのために買ったんだと言っていたような。。。そのうちに、黴くさくなってもくるし。。
先日、実家に帰ったら、母親が高校の時の教科書が出てきました。(さすがに匂いは嗅ぎませんでした。笑)開隆堂の3年生用のかな? シェイクスピアからの引用のレッスンまであって、何だか高度~。。
こんなのも、今の生徒に読ませてやりたいと思います。「出版の自由」とか「ユネスコとは何か」という課もあって、戦後気分もあるのかなと思いました。
ついでに、私の高三の時の漢文の教科書も見つかり(他の教科書もどこかにあるはずだけど。)、なぜか、定期試験問題まではさんである。(答案はなかった・笑・源氏と漢文が範囲のようで、私はたぶん、源氏では点を取れてないと思いますわ。)でも、漢文にしろ、こんなん、やったっけ?と思いました。「唐詩・論語・史記抄」が教科書のタイトルです。授業で全部はやれなかったようですが、それなりには勉強したみたい。(笑)白文をノートに写して訳などやったはずだけど、全然覚えてない。
しかし、脚注も多くて、辞書を引かなくてもわかるのは、イマドキと変わらないのかも。(笑)
(ついでに言うと、裏表紙に、自分のクラスと名前がマジックで書いてありました。母のには、奥付けのページにクラス番号名前が鉛筆で書いてありました。笑)
漢文は蜜柑色の表紙です。角川書店でした。教科書に、返り点やらいっぱい打ってあります。白文の掟とは厳しい学校ですね。
英語の教科書は、まさか、昭和24年の開隆堂ではないでしょうね。(冗談です。冗談。母のです。)
私は、三省堂のクラウンでした。高校1年で、「不思議の国のアリス」、「海からの贈り物」がレッスンに入ってました(と思う)。そのとき、初めて、英語の「文体」の違いを私は意識しました。
今の子も、分かるのかなぁ。。。分からないだろうなぁ。。(あの教科書では。。。)