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大文字の認識が大事なワケ

2012年03月18日 | 教育
 私見である。
 英文をぱっと見たとき、大文字が目に入ってくることって、とっても大事だと思う。そもそも、大文字は「はっきりわかる」ことを目的にしているようだ。(と、ぐぐって、知った。)事実、私は経験的に、本を開けば大文字がぱっと目に入る。
 と、何でこんな「当たり前」のことを書くかというと、近頃大文字小文字の区別が軽視されているように感じるからだ。「外国人」である我々が英語を勉強しようとする限り、大文字小文字の弁別、区別の意識付けは非常に重要だと思うのに、生徒は、いい加減である。文の途中であっても、HeやIf、Itなど特定の語を大文字で書いて、全く、気にしない。気にならない様子だからだ。これで大量の英文を読むことは出来ない(厳密には、非常にしにくい)と思う。

 大文字がぱっと目に入ってくると良いことがある。
 一つは、文頭がどれかすぐに理解できることだ。
 これは相当に重要だと思う。「次の文がここから始まる」ことを知らせてくれるのが大文字である。ピリオドで文末は示せるが、ピリオドはちっぽけな点に過ぎないから存在感が薄かろう。ならば、「大文字」である。でかでかと存在感をアピールすることで文頭を示す。これは単なる「偶然」ではない。おそらく英語では、その必然性がある。この点で日本語と好対照をなす。
 古文をみるとわかるが、仮名交じり文なんぞは、そもそも英語のピリオドに当たる句点すらない。日本語は、おそらく、言葉をつないで、とにかく直線的に読んでいけば助詞の助けで意味が取れる。(ホント、「助詞」だね・笑)ところは、英語は、助詞がないから文意を取るために、「語順」が重要になる。この観点で、日本語と英語は「文」の読み取り方が全く異なる。英語において「順序」が大事なら、「どこから文がスタートするのか」という「文頭」に注意を向ける必要が重要であろう。これが、英文の始まりが人の目を引く大文字で始めるようになった理由ではないかと思う。

 もう一つ、英語で大文字が使われるのは固有名詞である。固有名詞を大文字で始めるというのも、やはり重要性の一つとしての特殊性を鑑みてのことではないかと思う。変わった綴りがあったとして、普通名詞ではないことを示す必要があるだろうし、また、motherも、myやtheなどが付かなかったら、固有名詞化したものとして大文字を使ったMotherの表記になる。大文字を用いることで同じmotherであっても特別な「特定のmother」であることを示すというわけだ。
 この大文字表記の陰には、私は定冠詞theとの関わりがあると想像する。通常、固有名詞にtheを付けることをしない。私見だが、おそらく、「大文字」にtheの延長線上にあるような機能が含まれるのではないかと思うのだ。
 病気を表現する場合、通常はtheを付けない。病気とは、空中に得体も知れず漂っている捉えにくいもの、という認識からである。(これは、「aとtheの底力」という本で知った。)よって、choleraにはtheが付かない。ところがcholeraが流行病になると、「ほら、あなたも知っているあの恐ろしいコレラ」というイメージでtheが付く。同様な考え方でインフルエンザは、なんと言っても「流行性感冒」だから常にthe fluと表記される。(ここまでは本の受け売り。)theには、こうした「他でもない、あの~」というイメージはあるわけだ。よって、固有名詞という「それしかない存在」を表記するには、敢えて「他でもない、あの~」の意味のtheを付けるとおかしなことになってしまう。the motherにtheが付くのは他のmotherと区別するためだという前提を取ると、もし、「アンさん」をthe Ann/ann と言うと、他にAnn/annが存在するという変なことになる。それでは困る。Annは「アンさん」ただ一人だからだ。この意味で、Annという大文字表記はMotherと同じ感覚なのである。これは、「大文字」を使った特殊性、唯一無二であることを示す理由にならないだろうか。私はこれで十分に説明が付くと考える(だって、整合性があるもの。)が、いかがだろう? 
 もちろん、同じ固有名詞でも海や川にはtheが付く。これは、前述の本にあるが、「そのすべては見えないもの」の一部分を指すための「ほら、あの~」のtheである。(the Tone River は、利根川の上流から河口まですべてを見渡せるわけでないから、「あなたが知っている(範囲の)~」という意味でtheが付く。逆に言うとtheを付けることによって、川が遠いところから発症し、遠いところに流れ行くものだということを暗示するのである。)the Smiths(スミス家の人たち) は、Smiths(アカの他人の複数のスミスさんの集団)との区別である。「あの(つまり、特定の)スミスさんたち」である。

 で、実は、ここからが言いたかったことだが、イマドキの生徒が大文字小文字の区別を明確にしない書字は、上で述べた英語の本質と相反するわけだから、彼らは決して本質的な英語の理解に到達しないのではないか、と危惧するのである。現に音読をさせると、文の切れ目関係無しに読む生徒がいる。こうした生徒には書字に問題を抱える生徒が多い。こうした生徒はどんなに単語を意味だけで覚えても、道は遥か遠いだろう。
 非常に多くの生徒が持っている「綴りのアルファベットの順番さえ出来ていれば良い」という考え方は大きな間違いである。(ま、そもそも、文字の書き方が変な生徒は出来が悪いことが非常に多い。)

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