考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

英語の続きのようなもの

2006年04月09日 | 教育
 quimitoさんにTBをいただいた。ブログにコメントをしようと思ったが、うまくいかない。TBいただけるのは有り難いことだと思う。

 日常生活は、「中学校の英語+それなりの語彙・語法」でこと足りる。で、私は、生徒に、込み入ったことを言いたいときには高校英語が必要になる、と言っている。語彙は豊富で表現は多様な方が良い。確かに文法なんぞは、そこまでしなくても、というか、読んだり使うためにはもっと違うアプローチがあるとは思うが。

 別のブログで、京大の入試問題は、ネイティブも違和感を覚える文体ではないかとあった。京大の問題は、きっと相変わらずの英文和訳だろう。しかし、内容が深く濃いからふむふむと面白い。高校生でこれが読めたら凄いと思う。
 大人になって、芥川でも漱石でも読むと、確かに文体は現代的でない。(今の小説は言葉が薄い。)しかし、文章の骨子が整っている。語彙の使い方が非常に論理的整合性に富み、しかも美しい。(前も書いたけど。)まさに日本「語」の小説を読んでいるという感である。だから、学校で学習すべきものとしてやはり相応しいと思う。母語だから、外国語だから、と言う観点による相違は、あるのかないのか、あるべきか考えなくて良いのか、私はよくわからない。京大の問題は、たとえればどこか異国の日本語入試問題に、芥川や漱石が出てるみたいなものなのか。それで良いじゃないか。この大学は、たぶん、英語ができるかどうかだけが知りたいのではない。論理的に読める才覚があるかどうかを見たいのだ。そうでなければ、大学の文献を読む素養を得られないからだろう。
 文章をなめるように読む読み方は、学校でしか行わない。けど、人生のある時期、抽象的思考が整い始める頃にそう言う読み方を学習するのは悪いことではないと思う。

 具体的に何を指してのことかわからないのだが、ま、自分のブログにふだん書いている様々な考え方をさしてのことだろう、「古い」と言われた。まあ、そうだなと思う。私は新しいことが、新しいから良いという考え方を取らないから、だからどうだと思ってしまう。人間は古今考えることもすることも、そう変わらない。
 

2 コメント

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古い (都下の人)
2006-04-09 09:09:51
「古い」というか、より正確に表現しようとすると「流行らない」ではないでしょうか。

「いまどき流行らない」(笑)

子供の成長には、そういう大人がいないといけないと思っています。
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不易と流行 (ほり(管理人))
2006-04-09 18:12:41
都下の人さん、いつもコメントをありがとうございます。



この間、タマタマ、英語の先生の「偉い人」と話をする機会があったのですが、「不易と流行」とおっしゃられ、気になってるところです。「流行」があるなら、何をもって「不易」とするのか。う~む。
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