言うまでもなく、みんなが学校時代に習った論語です。
>>子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
子の曰わく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(した)がう。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。
先生がいわれた、「私は十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばがすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった」
以上、「論語の世界」というHP(http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/rongo.html)から、コピペさせて頂きました。
で、「七十而從心所欲、不踰矩」とは、要するに、古い脳の扁桃体の欲望のままに振る舞っても新しい脳の理性の制御を適切に受けている状態ってことです。つまり、古い脳と新しい脳の折り合いが付いている状態、野性と理性が調和した状態です。
紀元前5,6世紀の孔子の時代でも、人間が本能と理性を調和させるのに、やはり人生70年かかるんですね。人間って、ホントに進歩しない生き物ですねぇ。
この「論語脳科学説?」は、今日、通勤途中に突然思いついて、「おおっ!大発見!」と思いましたが、こうして書いてみると、あまりにも当たり前すぎる。
以前に何かで読んで、今日突然思い出しただけかもしれないという気になってきましたが。だって、イマドキだったら、どこにでも書いてありそうだもの。
ちょっと前のfer-matさんのブログの「平均年齢と平和社会」で、彼は、日本人の平均年齢が70才くらいだと小国寡民の良い国になると言うようなことを書いて見えましたが、70才という年齢設定の陰にはこのコトバがあったのでしょうかねぇ。。
どこかで、他に似たようなことを読んだ方がもしみえましたら、教えてください。
>>子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩、
子の曰わく、吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(した)がう。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず。
先生がいわれた、「私は十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばがすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった」
以上、「論語の世界」というHP(http://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/rongo.html)から、コピペさせて頂きました。
で、「七十而從心所欲、不踰矩」とは、要するに、古い脳の扁桃体の欲望のままに振る舞っても新しい脳の理性の制御を適切に受けている状態ってことです。つまり、古い脳と新しい脳の折り合いが付いている状態、野性と理性が調和した状態です。
紀元前5,6世紀の孔子の時代でも、人間が本能と理性を調和させるのに、やはり人生70年かかるんですね。人間って、ホントに進歩しない生き物ですねぇ。
この「論語脳科学説?」は、今日、通勤途中に突然思いついて、「おおっ!大発見!」と思いましたが、こうして書いてみると、あまりにも当たり前すぎる。
以前に何かで読んで、今日突然思い出しただけかもしれないという気になってきましたが。だって、イマドキだったら、どこにでも書いてありそうだもの。
ちょっと前のfer-matさんのブログの「平均年齢と平和社会」で、彼は、日本人の平均年齢が70才くらいだと小国寡民の良い国になると言うようなことを書いて見えましたが、70才という年齢設定の陰にはこのコトバがあったのでしょうかねぇ。。
どこかで、他に似たようなことを読んだ方がもしみえましたら、教えてください。
ソクラテスの死について、コメントしたいとずっと考えていた。昨日、人食いを食べた人が、それを理由に死罪となる法を制定する。しかし、最後の違反者は昨日、喰われた人食いになるのが本則だと思う。法ってとても卑猥なものだと思っている。では、何故ソクラテスがと言う疑問が残るが、アナーキーなオイラには回答不能の設問かも知れない。
みそ汁をお父さんの為につくる、ほりさんのお友達は、みそ汁が好きなのでしょうか、あまり好きではないのでしょうか、それが気になりました。
友人曰く、心神耗弱で責任能力が問わない法律は、権力者が身内をかばうための、最後の手段として作っておいたんじゃないかって。なるほど~と納得しちゃう。でも、その人は、それでも「悪法も法なり」と言っていた。
みそ汁の人は、私の昔の同僚の友人なので、ご本人がみそ汁好きかどうかわからなくてごめんなさい。その時の同僚曰く、「この方は、とってもご主人を愛していらっしゃるのよ~」でした。このとき、私は今よりずっと若かったし、「子供に作ってあげればいいのに」と思ったはず。