考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

雑誌の教育特集は異常

2006年10月10日 | 教育
 ビジネスマン家庭向けの教育誌や総合雑誌類での教育特集は、今の公教育がいかに異常かを如実に表している。公教育がしっかりとしていれば、こんな特集は組めないはずだ。聞いた話だが、学習塾会社から一般企業に転職したある人は、取引先とのコミュニケーションに教育を話題にすると言う。人間関係を構築できるらしい。(←オイオイ、それ、なんだよぉ。)世のお父さんたちは、子どもの教育で悩んでいるのである。

 「教育が売れる」状況は異常である。「教育に皆が関心を持つのは良いことだ」と考える人がいたら浅はかである。関心とは、なんらかの問題が生じたときに持たれるものである。物事がスムーズに動いているとき、人がそのことに関心を持つことはない。「うまくいって当たり前」だからだ。
 子どもなんてものは、どこのウチにもいるのだ。なのに、子どもに関わる外部情報を仕入れる知恵やカネがかかるのは、異常としか言いようがない。例えば、日常食するコメの値段や品質が急激に異様に変わったら、誰しも異常だと思うだろう。今の教育環境は、本質的にそのようなものである。「教育なんて、カネにならない」それが正常な状況である。なのに、次から次へと業者が参入してきているようだ。こんなバカげた話はない。(それで、高学歴社会を賄っているとも言えようが、本末転倒である。)この状況は、まともな子育てができてないということだ。(で、ついでに書くと、教育公務員の給料が下がるとしたら、ますますこの傾向が助長される。わかってるのかな?)

 たかが教員風情の私がブログに教育論を書いているのも異常である。うん、ほんと。作文は子供の頃大嫌いだった。だって、書くこと、なかったんだもの。それが、今では書くことがある。どんどん、出てくる。
 このブログも、始めてからもう2年近くになろうとしている。何でこんなに書くことがあるのだろう?と自分でも感心する。(笑)当たり前すぎて、本来教員が書く「必要のない」ことを私は書いていると思う。まあ、無意識下のことを穿り出して言語化していると言うべきか。

 おーい、「組織」よ、ちゃんと機能しろ。
 今は、あちこちで多くの人が、私のように教育について論じている。個人が自己を主張をする社会は、システムがうまくいってない社会だと養老先生が書いてるよ。(と、少々拡大解釈した。)
 人間は社会的動物だから、システムが大事なのだ、きっと。「個人」は、まあ、その次。それで、その方がきっと個としても、幸福に人生を全うできるものではないかと思う。

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