考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

年功序列と男尊女卑と作業能力

2005年12月29日 | 物の見方
 どこかで誰かが書いていたようなことでもあるし、こんな事書くと、とんでもない変な奴だと思われそうだなぁ。。。 まあ、自分とは関係ないどうでもいい話なんだ。

 能力主義とか男女同権は、能力差による個人差が社会集団内において大きくなるシステムだと思う。
 人間の能力差はかなり大きい。小学生でも大人を凌ぐ能力を発揮する場合だって多いし、もちろん、能力に男女差なんてあるわけない。ヘタな男より、能力のある女の方がずっと役に立つことは多い。「できる」か「できない」かなんて、露骨にわかることだ。
 で、昨今は、年齢や性別を問わない「能力差」を重視しつつ風潮がある。だから、年功序列で賃金が決まるのはおかしいと思われてるし、男女差も同様だ。自分ではどうしようもない年齢とか性別という変えようがないものを基盤にした悪しき過去の制度に対抗させるべきものとして、「個人の能力」という華々しい、社会に益するものを重視した方がずっと実利的で合理的な良い考え方だと思われている。

 が、あえて、異を唱えてみよう。
 
 年功序列は、簡単に言えば、「年を取るほどに生き甲斐が生まれ、得をする」システムである。偉くなった人の若い頃や子どもの頃を知っている人には、「あのハナ垂れ小僧が、、」てなことはしょっちゅうだろう。しかし、このシステムが十分にうまく機能していると、そのご本人さんの立場からしてみれば、かつてのハナ垂れ小僧だった自分にだって、明らかに若い人が頼ってくるようになるのだ。これは生きる甲斐ができてくる。他人に承認されるという欲求を持たない人はない。また、頼られることによって「おれもいい年になったのだから」という自覚が芽生えて「おれもがんばらなくっちゃ。」である。それ相応の働きだってせざるを得ないだろうし、するだろう。その上、(昔は、)「経験」という実に人間らしい「記憶」の力を発揮することもできた。だから、良かった。面白くないのは能力のある若い人である。しかし、時間が経って自分も年さえ取れば、必ずそういう役割が回ってくるのがわかっている。だからさして腹も立つまい。まあ、世の中、順繰りに平等だということだ。そのメリットに預かるためにはせいぜい長生きをしようではないか、ということにもなる。
 よって、最大のメリットは、だれでも、年を取れば、認められ、それ相応の尊厳を保ち、生きる甲斐が出来てくるシステムだったということがわかる。「みんな、長生きしよう。」それでまた、昔のことだから、途中でこの世を去る人も多かった。だから、生きることそのものも貴重だったし、長生きした人が貴重でもあったのだ。つまりは、年を取っても生きることに希望が持てた。
 しかし、これが崩れた現在の社会は「長生きするメリットと希望が減った」と言えてしまうのである。
 みんな長生きするから、長生きが希少性を持たなくなり、若者が年長だからという理由だけで年寄りを頼ることもなくなってくる。時代の変化が激しい。取り残された年寄りは何をなす術もない。よって若い世代の尊敬も得にくく厄介者扱いされやすくなる。で、「そんなこと知るか」くらいの強気の姿勢でいないと生きにくくなるのではないかな。強気になれない人は、それだけで「弱者」になってしまう。で、生き辛くもなる。と、結果的に、世の風潮は、何だか年功序列の時代より、良く言えば「元気で活気がある」、悪く言えば「弱者に厳しく荒々しく」なりそうだ。「教養」とか「文化」の逆を行くような感じである。教養や文化が長年を掛けて培われてくるものであるなら、ますますもって「長く生きる」ことを否定する根拠たり得てしまう。困ったことである。

 男尊女卑は、能力が大したことのない男性であっても「男だ」というだけで尊ばれ、それ相応に配偶者も得、子孫を残してこれたはずだ。しかし、どうやら女性というのは、自分の子孫を有利に繁殖させようと、より優れた相手を対象に選ぼうとする傾向もあるようだ。だから、実質的な意味での一夫多妻は大いにあり得たはずだ。社会に格差が大きかった場合には特にそうだろう。持てる者は配偶者(の類)も多く持ったはずである。しかし、社会がそれ相応に豊かになって皆が一様に配偶者を持てる時代になれば、男性優位の社会においては、女性本来?の好みに合わない相手であったとしても、マッチングが行われただろう。でないと数が合わなくなる。それぞれの女性に「高望みをするな。おまえに相応しいのはこの程度の男だ」と、相応の相手が配偶者としてあてがわれた可能性もある。で、それでそれ相応に子孫を繁栄させた。で、かつ、女性に力がないと、「貧乏人の子だくさん」となって子孫は繁栄し、人口が増加した。

 しかし、男女同権となると、ダメな男は女から全く相手にされなくなる可能性が出てくる。(年収300万以下では結婚できない、という近頃の話もそうだ。)女性は相変わらず有利な子孫を望むだろう。となると、能力の高い(というか、)甲斐性のある相手を求めることになる。で、基本的には男女ともに強者連合のような能力の高い者同士のマッチングが生じ、それに、まれに+αが加わる寸法にもなるのだろうか。
 となると、子孫の傾向はどうなるのだろうかな? 男性に関しては甲斐性の有無が子孫繁栄に影響を与えることになろうか。(これは人間社会における一種の淘汰であろうか。)また、これとは別に、女性に教育が与えられ、付随的に支配力というか一種の権力を持つようになると子どもの数が減るという現象があるから(養老先生が書いていた、インドのケララ州とか。)子孫の数はそんなに増えないことになるのだろうか。まあしかし、「強者連合」になると、意外に子どもの数は増えそうな気もするが、強者連合カップルの絶対数は少ないから子孫の数もそう増えないか。+αにしても、一人当たりの子孫の絶対数が多くなるはずはない。
 と言うことは、社会全体として少子化傾向が進むということである。

 つまり、荒っぽく概観すると、昔は皆が年を取りたがり、子孫の絶対数を繁栄させて人口増加に向かっていたということである。現在は、長生きに関して途中で降りようとする人が出てきてもおかしくなく(現実にそういう人の数は多く)、また、それとは別に少子化も進み、人口減の社会に突き進んでいくということになる。

 で、思うんだけれど、子どものうちから能力を最大限に開花させて、それで幸せなんだろうか。人生、やることなくならないのかなぁ。年功序列は、その点で、制度的に、幸せや生き甲斐を長時間保たせてくれたんじゃないのかなぁ。

 バイオリニストの五島みどりさんなんかは天才少女から巨匠になりかかっているらしいが(文藝春秋で読んだだけだけど。)、まれな例であろう。スポーツ選手などでは、若いときに名を馳せて後の人生に狂いが生じる場合だって多そうである。子どもの能力を早期から発揮させるんだったら、その点、余程賢くやってかないと、こんなはずじゃなかったのに、になりかねない。大人の鑑賞対象じゃないのだから、一人の人間の人生として、近くでしっかり見てやる人がいないと、そう言う子は意外に不幸だろうな。うまくいったら、最高だろうけれど。

 話はずれてきたが、(いずれ書こうと思っていたことだが、)今は「作業能力」の時代である。時代の変化が激しいというのは、作業がどんどん進んだりいろいろ変化しているからだ。だから、「技能」が重視される。何事においてもである。しかし、それが究極の意味で「何のためか」は案外に問われない。これはもちろん最も深い意味での「生きる」ことに関連しての「何のためか」である。(で、こっちの方は、時代が変わって人々の暮らしが変わっても、さして変化はしないものだと思う。藤原先生だっけ? 情緒は一代限りだと言っていたことと関係するだろう。)
 拝金主義も作業能力に関与する。より良い「作業」はカネを生むからだ。産学協同なんてのも、この類である。科学者は大変だ。だから、教育も「作業能力」をひたすら問題にする。最も深い意味での「何のためか」は問わない。だから若者は時に(しばしば?)迷走する。いや、迷走するなら、まだまし、かもしれない。考えなくなる。(まあ、考えなくても生きてはいける。オケラだってアメンボだってみんな生きているのだから。しかし、考えるのは、たぶん、人間だけなのだ。)
 「何でも良いから作業的な欲望を持て」と言っている社会である。そう言う人にはまだ生き甲斐を感じやすい社会かもしれない。(あ、ここでの「作業」は技術だけじゃないよ。「ある一定方向をひたすら推し進めていく力」だから。その「一定方向」の意味は問わずに。)

 で、「あんたはなんだって?」って? 私は「作業」に余り興味がないつまらない人間です。で、ぐじぐじと役に立たないどうでも良いことを考えるのが好みなんです。(笑)

 それだけ。以上、ただ書いただけ。最後まで読んで下さってどうもありがとう。
 

7 コメント

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面白い話ですね (yo)
2005-12-30 16:14:19
年功序列の話からコロコロときれいにころがった話ですね。また、いろいろ考えさせられました。

関係ない話かもしれませんが、わき上がってきた想いをコメントさせてください。

少し前、スティービーワンダーが新作発表に合わせて来日していたけれど、ずいぶんと新作が待たれていた天才アーティストだったと思います。その彼が10年くらい前にインタビューに応えていた言葉を思い出しました。

インタビューワ「最近、新作が出ませんね。若い頃、年間に3つもアルバム(しかも2枚組)を出していたじゃないですか。」

スティービー「ぼくも歳をとったからね。そうやって期待されても、そんなにアイデアややる気がたくさんでるわけではないんだよ。」

彼も自分のペースで折り合いをつけてやっているのだなと思います。

長い人生。どんな「作業」とつき合うかは、極めてパーソナル欲求とせめぎあう問題として考えていかないと、燃え尽きてしまうのではと考えます。尻を叩かれてするようなことがないようにしたいものです。
本年もよろしく (ほり(管理人))
2006-01-01 20:37:20
 yoさん、あけましておめでとうございます。旧年中は、お世話になりました。コメント、どうもありがとうございました。



 ふと思いついたのは、私がよく考える「作業」と「意味」の問題で、「意味」を問題にするというのは、非常に豊かな社会であるか、あるいは、非常に貧しい社会であるかのどちらかだろうなってことです。共通するのは、たぶん、両方とも、「自分の思い通りにいかない」ってことじゃないかなと。貧しければ、生命の危機に怯えることになるだろうし、豊かであれば、なんだか暇をもてあます。ともに、心理的な意味での「満ち足りなさ、満足感」が感じられる背景です。



 貧しさから豊かさへ移行しようとしている時期が最も「作業」が重視されるのでしょうか。プロジェクトXのような、戦後日本の復興は、まさに「作業」の時代でしたでしょうから。



 だから、「作業」とのつきあい方は、その人が何を欲するか、何を豊かさとして求めるのか、という、おっしゃるとおり、非常にパーソナルな問題になるのでしょう。



 しかし、人間の欲望は、集団としては「限りない」ものであっても、個人レベルではかなり「限りある」コトも多い。それで、すでに満ち足りて希望を持てない気分が閉塞感のようなものを社会にもたらしているのかもしれない。私自身、個人的な欲望が、きっと少ないのかもしれないので、そう考えるだけかもしれませんが。



 う~ん。。。初思考でした。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

訂正 (ほり(管理人))
2006-01-01 21:10:38
文中の「満ち足りなさ、満足感」じゃ、意味が通じないや。「満足感」じゃなくて、「不満」でした。(初間違い)
年功序列賛成 (madographos)
2006-01-06 22:10:05
あけましておめでとうございます。私は,男尊女卑はともかくも,年功序列賛成派です。年功序列のもつ安心感は,とても大切だったのではないかと最近とても思います。やはり,長幼の序は,大事ですよね。今年もよろしくお願い申し上げます。
安心感のありがたさ (ほり(管理人))
2006-01-07 02:44:36
madographosさん、あけましておめでとうございます。コメントをありがとうございます。



ヒトは「安心」を求めて文明化してきた部分も大きいと思います。年を取ると「安定」を求めるのは、子どもは保守的で安定感がないとちゃんと育たないから、子どもを育てる年になると人間は安心や安定を求めるんじゃないかと。変化や流動を求めるのは若いというか、まだ一人前じゃないってことじゃないかと。そう考えると、日本人が幼稚化してる現状がわかる気がする。(ただの思いつきですが。)



男尊女卑については、男性は書きづらいかもしれませんね。

能力の低い男性が男尊女卑を唱えるのは(私にとって)理屈に合っている。(あ、男性に嫌われそう。。)

「雌鳥歌えば家滅ぶ」ってのは、どこから来るのかなと思います。養老先生が、「男は男らしく、女は女らしくせよ」というのは、放っておくと男は優しく、女は活発になるからだと何かで書いてたけれど、そういうことでしょうかねぇ。

クラス編成で、40人の男子に1名女子を入れても、その女の子はちゃんとやってくけど、逆だと、途端に男の子はダメになるとは、昔からよく言われてるような。高校教員だった私の親も言ってたし、女子の多い学校だと男は女子ほど元気がない気がします。



本年もどうぞよろしくお願いいたします。
クラスのパワーバランス (madographos)
2006-01-07 19:15:39
確かに,クラスのなかで女子が多いと,男子の元気がなくなるのは事実ですね。なぜでしょうか??
染色体でしょうかねぇ (ほり(管理人))
2006-01-08 20:20:29
madographosさん、難しい問いですね。

そうですねぇ。。

子どもの世界では、やっぱり、女子の方がおませで、成長が早い。(元々は人類が生き延びるためでしょうが。)だからでしょうか。

で、年を取ってくると、厚かましい。(笑)なぜなら、地に足をつけて育ちます。アタマより身体が先に動くというか、より物体的というか。形而下的というか。で、人間、どんなに高尚なことを考えていても、所詮は、生命体として、まずは形而下的存在であることが第一だから。



クラスだと、男子は女子に遠慮しちゃうみたいに見えますよね。



だから養老先生がおっしゃるとおり、女の子が元気になりすぎないように、「女の子はしとやかに」なのでしょうねぇ。



ところで、「ハーレム」ってのは、前提条件として、お互いに「その気」がないと生じ得ない、特殊な状況なんですね、きっと。(←なにこれ。)



でも私、いろいろ真面目に考えてるんです。

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