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考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

老人と子供とバリアフリー

2005年08月04日 | 物の見方
 以前から気になっていることで、どこかで誰かが書いてるにちがいないけど、一度自分のブログにちゃんと書いておきたかった。(たぶん、まだ書いてなかったと思う。)
 
 老人と子供は弱者という観点でひとくくりにされる。近年高齢者が増えているから、建造物のバリアフリー化が進んでいる。結構なことである、一見。
 私はひねくれ者である。
 
 もう何年も前からだが、体育の授業で足をくじく生徒が増えている。子供の時から舗装した道路しか歩いていないから鍛えられていない。よって、わずかな障害物やバランスの崩れで捻る。
 家の外が変わっただけでない。少し前を振り返ろう。昔の住居は、ちょっとした、ほんの2,3センチの段差が至るところにあった。子供は蹴躓きながら、転びながら、うまく対処することをだんだん覚えていった。それで、外の世界でも無意識に気をつけて歩き、危険を回避することがあっただろう。

 人間は、ものを握る。近頃の水道の蛇口は、バリアフリー対応で、ひょいと引っかければ水を出したり止めたりできるようになっている。(自動栓なんてのまであるが。)かつては、皆蛇口をしっかり握っていた。弱すぎても、堅すぎてもいけないように蛇口を締めていた。ドアノブも握っていた。ドアノブは病院では院内感染の原因になっていたり、問題もあっただろう。が、家庭で子供は、手を洗うために水道の蛇口を握り、移動するためにドアノブをしっかり握った。
 小さかった頃、水道の蛇口が堅くて苦労したのを覚えている。しかし、それで、私は「握る」という最も人間らしい行為を体得したのではないかと思う。今の子供に私の苦労はなく、その分人間だけが持つ「握る能力」トレーニングの機会が減っている。

 痴呆老人がいる家庭は自動栓が良いだろう。段差もない方が良いだろう。しかし、幼児がいる家庭は、「面倒くさい」のが本当は良いのだろうに。

 老人と子供は似ている。しかし、「将来」が大きく異なる。老人にとっての日常生活は、現在の維持が目的であって遠い将来のためのトレーニングでは決してない。しかし、同じ弱者ではあっても子供は違う。子供の日常は、遠い、本当に遠い、どうなるかなんて分かったものじゃない未来へのトレーニングなのだ。だから、その違いをしっかり見極めないと、バリアフリーは大きな間違いを犯すことになる。
 

2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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手ができてヒトは人間になった (ほり(管理人))
2005-08-08 22:01:28
>>子供が人間の絵を描くとき、手のない人が結構いる

そうです。



私も聞いたことがるような。。。モノが握れる手ができて初めてヒトは人間への道を歩むようになったはずです。そんなに大事な手、腕の存在を意識できないなんて、末世的ですよね。(たぶん、子供は自分が意識できてないから描かなかった。)

それに、不器用な子供が増えているそうですよね。絶対に関連してますよ。

ボタン一つで何でもできる理想的な環境が、人間を育てていくには都合の悪い環境になってる。



内田先生のあの本は、「先生」の立場で読むと、感情的に不愉快な部分があります。(苦笑)でも、あくまでも「弟子、生徒」の立場では相当真実でしょう。もっともこの立場でも多少不愉快ですが。(苦笑)

古典的な(美しい)師弟関係には、親密でいながら両者を隔てる「線」が必ずある。内田先生はそう思っているだろうし、私もそういうものだと内心思ってます。

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手のない絵 (ohki69)
2005-08-07 21:44:33
先日コメントしてみたら、丁寧なお返事を頂き、大変うれしく思いました。



あれに対しては、また後日ということにして、(あの内田樹先生の本はあまりよい本とは思えません。むしろあれを解説していたちくまのPR紙の対談の方がよかったと思います/結構前なのでいつの号だったか忘れてしまいました)今回は、この記事にコメントしてみようと思います。



といっても、まじめにってよりも、こんなんありましたけど、って程度です。



ええと、最近は幼稚園とか小学校とかの子供が人間の絵を描くとき、手のない人が結構いるそうです。顔と胴体だけで、腕がないこどもがいるって記事をどこかの週刊誌で読みました。AERAかYomiuri Weeklyだったか、忘れてしまいました。



これも、手を使わないように育てられたから、つまり、こどもに配膳の手伝いをさせたり、ゴミ捨てをさせたり、といった仕事をさせず、親がなんでもかんでもやってあげてしまったからだ、という解説が付いていたように記憶しています。



本文の趣旨とはあまり関係ないことを敢えて書いてみました。

ブログのデザインも一新された気分を反映してみました。
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