日本軍の全員が聖人君子だなどと言った事はないし、これからも言わない。
お互いが傷ついた。お互いが傷つけた。
そうとしか言い様がないし、いえないじゃないか。
それで「オレは憎い。永遠に憎んでやる」と言われたら、黙って身を引く以外に方はないだろう。
誰が呼ばれもせず歓迎もされない場所にアホ面下げて「すんまへん」などとやるんだ。
お前等、やるかい?北アイルランドに行ってやってみな。
一々言いたくはないが、オーストラリアのおっさんにクソ偉そうな事を言われる筋合いはないぞ。
明らかに国際法に則っていないリンチ裁判(東京裁判)で、同じく連合軍の国々からやってきた弁護人達を頭ごなしに否定し追放し、挙句の果てに自分で検事と裁判長と兼務したのはオーストラリア人だろう。アボリジニをブチ殺したのもお前等だ。
その国、今では1,000人以上の中国人スパイが蠢動するオーストラリアからやってきた大使如きに
「招待してないけどさー、でもさー、それでもなんかしてれば、ちっとは許してやるのによぉ」
なんて言われるなど、忌々しい事この上ないわ。
イギリス人だってなあ、お前等の先祖がやった事は覚えているのか?習っているのか?北アイルランドの話は学校できっちり教えないそうじゃないか、ええ?無知な日本の若者は確かに多いよ。我々だって恥ずかしいと思っているんだ。だが、やつらに訊いてみたことはあるかい?日本は戦争で何をしたのか、って。へいこら頭下げてくれるぞ。自虐史観がしっかり掏りこまれているからな。それすら知らないってのは、あんたらが「別にどうでも良いよ」と言っている“日本の若者”とすら、特にコミュニケーションとった事がないって証拠じゃないか。
日本軍の中にいた権威主義のバカ共が酷い事をしたのは申し訳ない。犠牲者の方々には心からご冥福をお祈り申し上げる。
だが、一方的に「残虐だ」「非人道的だ」「永久に許さんぞ」「歴史を教えていない」などと言われてもだな、我々としては死者相手以外には、下がる頭も下がらんのだよ。
もっかいやる気かい?その一方的で見下し馬鹿にした態度と徹底的に日本を日干しにしようとした態度が原因でこんな事になったんだろうが。
最初から、こちらが求めているのは公正さだ。それ以外に何もない。認めてくれなんて言わんよ。お前等なんぞに認めてもらいたくもない。お前等が認めるべきは、己の歴史だろうが。
お前等こそ歴史に学べ。
4. Ex-PoWs find it hard to forgive horrors of the Death Railway
By Sebastien Berger at Hellfire Pass
The Telegraph: August 16, 2005
↓少しでもお役に立ちましたら是非。
お互いが傷ついた。お互いが傷つけた。
そうとしか言い様がないし、いえないじゃないか。
それで「オレは憎い。永遠に憎んでやる」と言われたら、黙って身を引く以外に方はないだろう。
誰が呼ばれもせず歓迎もされない場所にアホ面下げて「すんまへん」などとやるんだ。
お前等、やるかい?北アイルランドに行ってやってみな。
一々言いたくはないが、オーストラリアのおっさんにクソ偉そうな事を言われる筋合いはないぞ。
明らかに国際法に則っていないリンチ裁判(東京裁判)で、同じく連合軍の国々からやってきた弁護人達を頭ごなしに否定し追放し、挙句の果てに自分で検事と裁判長と兼務したのはオーストラリア人だろう。アボリジニをブチ殺したのもお前等だ。
その国、今では1,000人以上の中国人スパイが蠢動するオーストラリアからやってきた大使如きに
「招待してないけどさー、でもさー、それでもなんかしてれば、ちっとは許してやるのによぉ」
なんて言われるなど、忌々しい事この上ないわ。
イギリス人だってなあ、お前等の先祖がやった事は覚えているのか?習っているのか?北アイルランドの話は学校できっちり教えないそうじゃないか、ええ?無知な日本の若者は確かに多いよ。我々だって恥ずかしいと思っているんだ。だが、やつらに訊いてみたことはあるかい?日本は戦争で何をしたのか、って。へいこら頭下げてくれるぞ。自虐史観がしっかり掏りこまれているからな。それすら知らないってのは、あんたらが「別にどうでも良いよ」と言っている“日本の若者”とすら、特にコミュニケーションとった事がないって証拠じゃないか。
日本軍の中にいた権威主義のバカ共が酷い事をしたのは申し訳ない。犠牲者の方々には心からご冥福をお祈り申し上げる。
だが、一方的に「残虐だ」「非人道的だ」「永久に許さんぞ」「歴史を教えていない」などと言われてもだな、我々としては死者相手以外には、下がる頭も下がらんのだよ。
もっかいやる気かい?その一方的で見下し馬鹿にした態度と徹底的に日本を日干しにしようとした態度が原因でこんな事になったんだろうが。
最初から、こちらが求めているのは公正さだ。それ以外に何もない。認めてくれなんて言わんよ。お前等なんぞに認めてもらいたくもない。お前等が認めるべきは、己の歴史だろうが。
お前等こそ歴史に学べ。
4. Ex-PoWs find it hard to forgive horrors of the Death Railway
By Sebastien Berger at Hellfire Pass
The Telegraph: August 16, 2005
彼が建設を手伝った「死の鉄道」の砂利の上に立ち、遂にここを離れる事が出来なかった友人達を思い、ジョージ・リーの目に涙が溢れた。
「ここで死んだ人々を覚えている」
と84歳のオーストラリア人が語った。
「何人死んだかすら忘れたが、多くはコレラで死んだ。一日に2~3人死んだ。最高は一日に28人だった。大きな焚き火を作って、投げ込んで焼いた」。
日本軍が6万人の連合軍捕虜と20万人のアジア人労働者を使って建設したタイ・ビルマ鉄道において、最も長く深い切り通しであるヘルファイア・パスの垂直な壁の間で、彼は語った。
殴られて、餓えさせられて、働かされすぎて、彼等は死に、260マイルの鉄道にある数千の枕木のそれぞれが、人の命を課しているのだ、と語った。半数がイギリス人の戦争捕虜の死亡率は20%だったが、夜にはランプが光と影を落とす所謂ヘルファイア・パスでは、死亡率は70%に上った。
鉄道の他の箇所で働いていたリー氏はこう語った。
「ワシは軍曹だった。ワシの連中が働かんと、奴等は殴れと命令した。殴らないと、奴等はワシを殴ったもんだ。辛い昔話さ」。
切り通しに設けられた記念碑の下に、彼は8つの木製の十字架と共にケシを置き、そして、体長が悪く切り通しを下る事が出来なかった他2名の元戦争捕虜と共に、シンプルな漆黒の御影石製の記念碑に一分間黙祷した。
しかし、戦後端坑夫として働いたリー氏は、日本人に対して何の恨みも抱いていない。
「全く気にならんよ。特に若い連中はな。だが、奴等は何にも告げられておらん」。
日本軍は侵略の際に捕虜を虐殺するよう命令し、リー氏も60年前シンガポールで彼が働いていた飛行場が完成したら、捕虜は全て射殺されると言われた。
「そう長くなかった。もう13日さ」。
彼についてきた息子と孫息子に頷いて、彼はこう付け加えた。
「こいつらがここにいることはなかっただろうなぁ…原爆がなかったらさ。ワシだってここにはいなかっただろうさ」。
車椅子に乗ったベイデン・ジョーンズ84歳は、彼の鉄道に関する最もはっきりとした記憶は「仕事、仕事、また仕事さ」と語った。
彼はこう言った。
「餓え、赤痢、なんでもかんでも…働き続けるのさ。仕事から戻ってきて座って、死を決断した友人達がワシにはいたよ。奴等はもう耐えられなかったのさ。木かなんかを背に座ってさ、ただ死ぬんだよ」。
「ワシは若い人達に対してなんにも恨む事はないが、国として奴等を憎む。あんな残酷な事や色々全て、必要なかったのさ。奴等はあんな事しなくたって、仕事は完成できただろう。ワシは奴等を決して忘れないし、決して許さんよ」。
ボビー・ランダース84歳は、最後のアボリジニ人戦争捕虜であり、この鉄道建設作業に3年と半年の間従事した。
「オレはジャップが憎いね」
と彼は言った。
「クソ野郎共だ。オレはあの間抜け共に背中に傷をつけられたんだ。奴等はオレの仲間を大勢殺した。俺達が死の行進をしている時、オレがアンタを助けられず、アンタが俺を助けられず、じゃなかったら奴等がアンタを銃剣でブッ刺しただろうさ。だからオレはあのクソ野郎どもが大っ嫌いなのさ」。
全員クイーンズランドのイプスウィッチ出身の彼等は、昨日、クワイ川の橋から2~3マイルの所にあるKanchanaburi戦争墓地の式典に出席した現在唯一の生存者である。
2名のタイ人演奏家がラッパでLast Postを奏で、旅行者達が墓の間を歩く中、約200名の親戚と関係者が記念式典を行い、花輪を置いた。
式典に日本人出席者はなく、花輪も送られなかった。
「彼等は招待されていないし、来なかった」
と、タイのオーストラリア大使ウィリアム・パターソンが語り、こう付け加えた。
「(正式に敬意を表する事は)謝罪のように見えるだろうし、日本へも大きな波及があっただろうに」。
↓少しでもお役に立ちましたら是非。