先日テレビ東京で映画「カサンドラクロス」(1976)を見た。えらく顔の掘りの深い女優がいるなと思ったらソフィア・ローレンであった。このころ42歳。
目も口も大きい。最後に列車の中で活躍した医師役のリチャード・ハリスとキスするときソフィア・ローレンの口が相手を呑みそうなくらい余っていた。
印象的な顔の造作のなかで特にまぶたの面積が異様に広い。そこにシャドーが入って退廃的な感じが不思議な色気を加えていた。
そのとき、女のまぶたに異様な関心を持つ男の話を小川洋子が書いていたのを思い出した。
2001年『まぶた』という題で新潮社から短編集として出されている。
ほとんど内容を忘れていたので再び読んでみた。
内容は、海辺の町に住む15歳の主人公は中年男Nが貧血で倒れた場面に遭遇する。彼を介抱して恋をして島にある彼の家へ通う。主人公はプールに通っていてシャワーを浴びながら彼の愛撫を受ける。男はまぶたを撫でることに執着する。娘は誰かに見られていると感じるがそれは男の飼うハムスターで、ハムスターは病気でまぶたを切除されていた。
はっきりいってもの足りなかった。わずか34ページほどの掌編としてはいろいろな糸口をつくり過ぎたきらいがある。
男が桟橋で来るという郵便為替を待つシーンなどまぶたに関してそう効いているとも思えない。
それよりも娘が愛される様子はもっとたんねんに描くべき。中年男が若い娘のまぶたになぜそう惚れこむのかといった内面など題名にふさわしいところの掘り下げをすべきではなかったか。
男にはまぶたにひかれた女がかつていて彼女を亡くしている。その生まれ変わりのような娘に出会ったようだが、そのへんの叙述がもっとあっていい。
川端康成の『眠れる美女』ほどの集中力がほしい気がした。
新潮文庫の表紙は無難に若い娘の絵を熨せているがいまいちインパクトがない。
これより映画「カサンドラクロス」におけるソフィア・ローレンのまぶたはアンニュイであり多くを物語っている。