氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

大飯原発再稼動 本当に必要?

2012-06-10 09:40:16 | 政治
「関電」が言う計画停電の恫喝に屈した「関西広域連合」や再起動ありきの「野田民主党政権」が目論む
7月中の「大飯原発再起動」は本当に必要なのか?

工場や公共鉄道網などのインフラは優先的に電力を融通せねばなりません。
しかし家庭用の電力は計画停電でも突然停電でもやればよい。
我々が育った昭和20年代後半から30年代前半には停電は茶飯事でした。
在宅医療で呼吸器など電力が必要な家庭には「関電」がバックアップ用のバッテリーを支給したら良い。

一日も早く「オール電化」や「ハッピープラン」を中止して節電体制を取れば良いと思う。
一度獲得した需要家は囲い込んで話さない電力会社の体質は卑しい。
未曾有の原発事故を起こしておきながら懲りずに再稼動を計画するなんて・・・

官僚や電力会社に政府も政党も関西広域連合も信用出来無いこの不幸・・・嗚呼
国民は自覚と自衛をせねば此の美しい国土を失いかねない。
増税と円高不況に国民の資産は目減りし融けて無くなる。


原賠機構 葛西委員(JR東海社長)の戯言

2012-06-09 08:45:00 | 政治
読売新聞6月8日朝刊より。
政府の「原子力損害賠償機構」の運営委員を務める「葛西敬之・JR東海社長」は7日読売新聞のインタビュー
に応じた。
福島第一原発事故で「東京電力」が背負う賠償などの巨額の負担について「どこかで割り切って国が負担しなけ
ればならない」と述べ、政府と東電で分担すべきだとの考えを示した。
しかし「東電」は7月に支援機構から1兆円の出資を受けて事実上国有化される予定だ。

此れからの莫大な賠償や保障はとどのつまり国の負担で結果は国民からの血税で負担する。
だから早めに「東電」は破綻処理し社員の企業年金や天下り官僚の首切りと整理再製させ「発送電分離」をせねば
成らない。
他の原発を持つ電力会社も原発を再稼動さすならば「東電」と同じく整理再生し真の電力自由化を目指せ!
国民は安心して生活出来ないしこれ以上電力を垂れ流すような生活は望んでいません。


国賊 丹羽中国大使を罷免せよ!

2012-06-08 10:37:38 | 政治
6月8日読売新聞報道による・・・

「丹羽宇一郎」駐中国大使が英紙「ファイナンシャル・タイムズ」の取材に対し「石原慎太郎」東京都知事
が尖閣諸島の買取を計画していることについて「実行されれば日中関係が極めて重大な危機に陥る」と懸念を
表明したことが7日明らかになった。
発言は7日付の同紙電子版に掲載された。

外務大臣はこのように日本国の国益を損ねる売国の輩を懲戒免職すべきだ!
このような売国奴を国賊と呼びます。

日本国と日本国民を馬鹿にするのも程が有る「沙汰の限り」だ!

宮田 征典 「八時半の男」

2012-06-07 13:11:05 | 懐かしい思い出
「宮田征典」投手「日本大学」から1962年に読売ジャイアンツに入団。
巨人に入る予定の日大の同級生「竹中惇」が中日ドラゴンズに引き抜かれた為に代わりの選手を求める巨人「川上哲治監督」の要望に
より「宮田」が入団することになりました。
この時は3年で辞めて実家に戻るつもりだったという。
その3年目に肩を脱臼して戦線離脱しそのことを父親に報告するとそのまま辞めて家業を継げと言われる。
が「宮田」はその言葉に反発しまず故障した原因を考えた。
それが肩回りの筋力が弱いことだと判ると鉄アレイや自作の器具でトレーニングを積みその結果抜群のコントロールを得る。

心臓に疾患を持つために先発投手として長いイニングを投げることが出来ず当時の「藤田元司」投手コーチの勧めもありリリーフへ専念。
当時はセーブ制度がなく先発中心の時代でリリーフ投手が登板する試合は敗戦試合であることが往々にしてあった。
「宮田」は持ち前の伸びのある直球やドロップの握りを微妙に変えて様々に変化させる「ミヤボール」そして正確な制球力で
同点試合・勝利試合に多く登板します。

1965年は69試合に登板し20勝(うちリリーフで19勝さらに現行の規定ならば22セーブを達成)投球回数164回2/3の好成績を収めた。
400勝を目指す現役晩年の「金田正一」の後を受けてロングリリーフすることも多く登板イニング数が伸びた一因と思われる。

後楽園球場の場内アナウンスを担当していた「務台鶴」が宮田が登板する時間帯が「午後8時30分(8時半)」前後であることに気づき
「宮田さんはよく8時半頃に登板するのね」と発言したことがきっかけになり「8時半の男」との渾名が付けられた。
20勝目は10月6日「阪神タイガース」戦で8回から2イニングを走者を出さずに抑えて達成する。

なんとも懐かしい「八時半の男」でした・・・

山口鉄也 新記録ならず・・・残念

2012-06-06 11:08:32 | 日記
「山口鉄也」投手昨日の「ソフトバンク」戦で9回から登板したが一死後「明石」に右越え本塁打を浴びた。
 25試合目で失点「セ・リーグ新記録」の更改は不可能に成った・・・残念。

しがし「杉内俊哉」投手は早くも8勝目を挙げる・・・オメデトウ!
これからのプロ野球が面白くて楽しみです、

祝 巨人軍 山口鉄也

2012-06-05 09:47:56 | 日記
巨人軍の「山口鉄也」投手が「大魔神」に並びました!
セ・リーグ最多・開幕以来24試合連続無失点記録が1998年に横浜「佐々木主浩」投手がマークした記録に並びました。
リリーフ投手の無失点記録はとても困難な事で祝福したい。

「山口鉄也」記録を伸ばせ・・・

小西得郎

2012-06-04 10:01:27 | 懐かしい思い出
「小西得郎」さんは我々の世代にとつてとても懐かしい野球解説者でした。

東京で1896年7月10日に生まれ「三高」「明治大」へ 明治大学で八代目の主将をつとめ卒業後は広く後輩を指導し
野球技術の向上に献身しました。
プロ野球創立以来「大東京」「名古屋」「松竹」「大洋」の各球団監督を歴任し「松竹ロビンス」監督として
「セ・リーグ」初の優勝をもたらします。
野球評論家としても一家をなし1955年5月からNHKでプロ野球中継の解説者として活躍しました。
「そりゃーもう・・・なんと申しましょうか・・・」というおなじみの台詞と「志村正順」アナウンサーとの名調子で
全国に知られます。

1977年6月9日没。
「野球殿堂」入りは生前に果たしている日本球界の先駆者です。

完全試合

2012-06-03 08:29:31 | 懐かしい思い出
巨人軍歴代選手の「完全試合パーフェクト・ゲーム」達成者は二人だけでした。
プロ野球史上初は・・・
「藤本英雄」1950年6月28日 「西日本」青森市営球場にてです。
もう一人は・・・
「槇原寛巳」1994年5月18日 「広島」 福岡ドームにてでした。

歴史有る巨人軍なのに・・・ただ二人だけ・・・
それ程「完全試合パーフェクト・ゲーム」達成は困難な事なんです。

巨人軍 ノーヒット・ノーラン 其の二

2012-06-02 09:57:08 | 懐かしい思い出
昨日はセ・リーグの巨人軍歴代投手を挙げましたが大事な大投手を忘れていました。
日本のプロ野球史上初のノーヒット・ノーランを成し遂げたのは「沢村栄治」投手です。
1936年9月25日「大阪タイガース」甲子園球場にて其の新記録は達成されました。

「沢村栄治」投手は1937年40年にもノーヒット・ノーランを成し遂げている。
生涯三度の大記録は前人未到であります。

それ故に「杉内俊哉」投手は巨人軍歴代9人目の投手に成ったのでした。

巨人軍 ノーヒット・ノーラン

2012-06-01 10:27:23 | 懐かしい思い出
連日の「高橋由伸」によるVホームラン善哉!

歴代巨人軍投手のノーヒット・ノーランを挙げて見よう。
「杉内俊哉」がセ・リーグ歴代の39番目でした。

1) 「藤本英雄」 1950年 6月28日 「西日本」
4) 「大友 工」 1952年 7月26日 「松竹」
16)「堀内恒夫」 1967年10月10日 「広島」
17)「城之内邦夫」1968年 5月16日 「太洋」
19)「渡辺秀武」 1970年 5月18日 「広島」
24)「加藤 初」 1976年 4月18日 「広島」
27)「槇原寛己」 1994年 5月18日 「広島」

「杉内俊哉」は歴代巨人軍投手の8人目の快挙です。
記録を見ると何だか面白いデーターが出てくる・・・
相手球団は「広島」がなんと半分の4試合も有ります。
其の月の18日が3試合も有る・・・

シンクロニシティか?
興味は尽きませんなぁ・・・