氣楽亭 日乗

大阪生まれで奈良県広陵町の長閑で氣楽な田舎暮らしの氣功師が氣ままに綴る懐かしい昭和の年代記です。

公設市場

2005-11-27 09:09:12 | 懐かし商店街
戦後の復興と共に大都市やその近郊に住む住人の数が激増しまた。
物資不足が解消され闇市が終焉を迎え閉店していた商店や新規の商店の開店が増える。
中でも自治体が許可を出した「公設市場」(小売マーケット)が多数新設された。
昔から有った駅前商店街や「公設市場」を核にした商店街が繁栄します。
未だスーパーマーケットは有りませんでいた。

「公設市場」は小さな店舗が密集する利便性から消費者の支持を得て繁盛する。
一箇所で日常の買い物が全て賄えるので人気が有りました。
商店の側も比較的小資本で開業出来るので商人の子弟や復員者、引揚者が多数「公設市場」の店主になったのです。

私が懐かしく思い出すのは「土居市場」で京阪電鉄土居駅前商店街に有りました。
通学していた小学校の途中に有り何時も遊ぶ土居公園も近かったのです。

商店街の商店や「公設市場」の商店も店主から店の人達全部が地域のお客と密着した商売をしていました。
お客さんの家族構成から昨日の晩御飯の献立まで熟知しています。
「魚屋」「八百屋」「肉屋」「食料品店」はお客に今日の晩御飯の献立を提案しお客も受け入れる。
子供を買い物の使いに出しても変な商品を売ったりしません。
相互に信頼関係が築かれていたのです。

そんな「公設市場」が小学校の校区に3軒位は有りました。
商店が信用を失くすとお客は誰も相手にしない厳しさが有ります。

「衣料品」「時計眼鏡」「乾物」「塩干物」「野菜」「果物」「菓子」「食品」「魚介」「精肉」「米穀」「天麩羅」「惣菜」「玩具」「書籍」「豆腐」「昆布」「薪炭」「電器」「生花」「荒物」「雑貨」「手芸」「卵屋」「かしわ(鶏肉)屋」・・・
様々な小さな商店が一つ屋根の下で密集して商売をしていた「公設市場」が懐かしい。

駄菓子屋の思い出

2005-09-30 08:23:38 | 懐かし商店街
子供の時に毎日10円玉を握って近所の駄菓子屋へ駆けつけた。
未だ1円札が有った時代(昭和30年代初め)だから10円でも使いでが有ります。
その駄菓子屋はお菓子から玩具や模型まで売っているYというお店でした。
森永や明治、グリコなどの1流菓子メーカーのお菓子もあります。
高価で子供の小遣いではとても買えません。
大人に買ってもらうお菓子でした。

我々子供が買えるのは2流~3流の駄菓子メーカーの駄菓子です。
タバコの箱を真似たココアシガレット。(紙巻タバコに似せたチョコレート)
ハリスガムを真似たコリスガム。
名も無いメーカーの飴やセンベイなど。
大きな飴は1個1円ですセンベイは1枚50銭でした。
50銭と言う通貨は有りませんでしたが2枚で1円の勘定です。

5円で色々食べたい菓子を買って残りの5円でアテモノに挑戦しました。
1回5円の射幸心を煽るアテモノに魅了されていたのです。