205505 著書『「特捜」崩壊』(石塚健司氏)にみる検察の国家観②~ロッキード事件における東京地検特捜部の秘話
猛獣王S ( 30代 営業 ) 09/04/29 PM10
205504の続きです。
『検察の国家観』(田中良紹の国会探検)リンクより転載します。
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ところで本書にはロッキード事件の「秘話」も紹介されていて、田中角栄とは別の有力政治家の口座に2億円余りの入金がある事を国税査察部が割り出していたが、東京地検は三木内閣の反発を買わないため事件にするのを見送ったとある。ロッキード事件で東京地検特捜部を取材した経験のある私は、あの頃日々取材をしながら、日本の権力機構にメスを入れ、病巣を摘出する権限を与えられた検事は、どこでどのような国家観を育み、それに誤りはないのだろうかと考え続けていた。
結果として東京地検はロッキード事件の全容を解明せず、にも拘らずマスコミはそれを指摘するよりも東京地検を「最強の捜査機関」と賞賛し、田中的「金権政治批判」に狂奔した。その世論誘導によって「利益誘導政治」は「悪い政治」の代名詞とされ、政治資金は「規制」するのが当たり前と思わされた。それ以来政権を求めない野党とマスコミは事あるごとに「金権政治批判」を繰り返し、政治家の手を縛って官僚支配を有利にした。
後に私はアメリカ政治を取材する事になり、「利益誘導」こそ民主主義政治の基本であり、政治資金の「規制」よりも政治資金の「透明化」こそ民主主義政治に大事な事だと知るようになる。ロッキード事件は日本人に欧米では当たり前の民主主義とは異なる考えを植えつけ、それを民主主義だと錯覚させた。
今回の小沢秘書逮捕事件では検察OBからも特捜部の捜査手法に批判が上がっている。「政治資金収支報告書の虚偽記載」で「逮捕」というのはこれまでになかった事だからである。これに対して検察内部からは「時代が変わったのだ。グローバル時代には情報の開示義務がより大きな意味を持つ。それだけに虚偽記載の罪も大きくなる」との解説がなされていると言う。小沢秘書逮捕は「時代の要請」という論理である。それが事実なら、日本の検察は民主主義国家の検察なのか、その国家観を根本から疑ってみる必要がある。
「グローバル時代になった」と言うのが理由ならば「アメリカの情報公開制度」を念頭に置いた話なのだろう。アメリカの情報公開制度は「政府の情報」を国民に知らしめる事が目的である。それは国民の税金よって収集された情報は国民に帰属するという極めて民主主義的な考え方に立脚している。しかし日本の情報公開の現状はとても「グローバル時代が到来した」とは思えないほど官僚の守秘義務に守られている。日本では国民の税金によって収集した情報を官僚が私物化して国民に開示しない。にも拘らず政治資金報告書の記載で、実態のない嘘ならともかく、間違い程度を罪に問う事が情報公開を理由に認められるはずがない。
先日、日本記者クラブで会見した宗像紀夫元東京地検特捜部長は、「起訴」をする権限を持つただ一つの組織である検察を「監視・監督できるのはマスコミしかない」と言った。そのマスコミは「監視・監督」どころか検察の思うがままの情報を垂れ流す「ポチ」に成り下がっている。そうした中で石塚氏の「『特捜』崩壊」は検察の将来にとって貴重な材料を提供してくれた。今度は検察の国家観がどのように醸成されているのかを分析してもらいたい。
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猛獣王S ( 30代 営業 ) 09/04/29 PM10
205504の続きです。
『検察の国家観』(田中良紹の国会探検)リンクより転載します。
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ところで本書にはロッキード事件の「秘話」も紹介されていて、田中角栄とは別の有力政治家の口座に2億円余りの入金がある事を国税査察部が割り出していたが、東京地検は三木内閣の反発を買わないため事件にするのを見送ったとある。ロッキード事件で東京地検特捜部を取材した経験のある私は、あの頃日々取材をしながら、日本の権力機構にメスを入れ、病巣を摘出する権限を与えられた検事は、どこでどのような国家観を育み、それに誤りはないのだろうかと考え続けていた。
結果として東京地検はロッキード事件の全容を解明せず、にも拘らずマスコミはそれを指摘するよりも東京地検を「最強の捜査機関」と賞賛し、田中的「金権政治批判」に狂奔した。その世論誘導によって「利益誘導政治」は「悪い政治」の代名詞とされ、政治資金は「規制」するのが当たり前と思わされた。それ以来政権を求めない野党とマスコミは事あるごとに「金権政治批判」を繰り返し、政治家の手を縛って官僚支配を有利にした。
後に私はアメリカ政治を取材する事になり、「利益誘導」こそ民主主義政治の基本であり、政治資金の「規制」よりも政治資金の「透明化」こそ民主主義政治に大事な事だと知るようになる。ロッキード事件は日本人に欧米では当たり前の民主主義とは異なる考えを植えつけ、それを民主主義だと錯覚させた。
今回の小沢秘書逮捕事件では検察OBからも特捜部の捜査手法に批判が上がっている。「政治資金収支報告書の虚偽記載」で「逮捕」というのはこれまでになかった事だからである。これに対して検察内部からは「時代が変わったのだ。グローバル時代には情報の開示義務がより大きな意味を持つ。それだけに虚偽記載の罪も大きくなる」との解説がなされていると言う。小沢秘書逮捕は「時代の要請」という論理である。それが事実なら、日本の検察は民主主義国家の検察なのか、その国家観を根本から疑ってみる必要がある。
「グローバル時代になった」と言うのが理由ならば「アメリカの情報公開制度」を念頭に置いた話なのだろう。アメリカの情報公開制度は「政府の情報」を国民に知らしめる事が目的である。それは国民の税金よって収集された情報は国民に帰属するという極めて民主主義的な考え方に立脚している。しかし日本の情報公開の現状はとても「グローバル時代が到来した」とは思えないほど官僚の守秘義務に守られている。日本では国民の税金によって収集した情報を官僚が私物化して国民に開示しない。にも拘らず政治資金報告書の記載で、実態のない嘘ならともかく、間違い程度を罪に問う事が情報公開を理由に認められるはずがない。
先日、日本記者クラブで会見した宗像紀夫元東京地検特捜部長は、「起訴」をする権限を持つただ一つの組織である検察を「監視・監督できるのはマスコミしかない」と言った。そのマスコミは「監視・監督」どころか検察の思うがままの情報を垂れ流す「ポチ」に成り下がっている。そうした中で石塚氏の「『特捜』崩壊」は検察の将来にとって貴重な材料を提供してくれた。今度は検察の国家観がどのように醸成されているのかを分析してもらいたい。
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