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付録:奪われる日本(全文)~後半

2005年11月20日 | Weblog
■はずされる日本社会の安定化装置

 これらの記述から、米国側の狙いがおぼろげながら透けて見える。簡保の政府保有株式は完全に市場へ売却させ、「政府保証があるかのような認識が国民に生じないよう、十分な方策」を取らせる、つまり政府の関与を完全に断ち切らせる。純粋な民間会社となった簡保に対しては、外資系保険会社と「イコールフッティング」、つまり完全に対等な競争条件を要求していく。

 「民間企業と同様の……規制監督を適用」とは、簡保の所管官庁を現在の総務省から金融庁に移管させて、その立ち入り検査を受けさせるということである。また、「完全な会計の透明性を含む適切な措置」とはおそらくソルベンシー・マージンなどの公表を義務づけ、会計事務所の会計監査も受けさせるということであろう。金融庁が民間の会計事務所と連携しながら、金融検査や会計監査を通じて真綿で首を絞めるように、りそなを事実上の国有化へ、UFJを身売り同然の合併へと追い込んでいった経緯は記憶に新しい。

 さらに、簡保を独禁法の適用対象とし「その市場支配力を行使して競争を歪曲することが無いよう」公正取引委員会に調査させる、という筋書である。公取委は検察当局と連携しつつ、いままさに道路公団を追い詰めている。そう遠からず簡保と郵貯に対しても、民業圧迫・市場独占批判、会社分割要求などの情報戦が顕在化してくるであろう。要するに、米国にとって民営化はゴールではなく、簡保を弱体化させ、分割、解体、経営破綻に追い込み、M&Aや営業譲渡などさまざまな手段を弄して、簡保が擁している一二〇兆円にのぼる資産を米国系民間保険会社に吸収させることが最終的な狙いなのである。

 簡保は小口であることと、無審査という簡易な加入手続きを特色としている。もともと簡易生命保険制度は、民間の生命保険に加入できない低所得者にも保険というセーフティネットを提供することを目的として大正五年に創設されたもので、ビジネスと言うよりは日本社会の安定化装置なのである。それが米国人の目には単なる市場としてしか映らない。安定化装置をはずした後に日本社会がどうなろうと一切関心がない。

 「官から民へ資金を流せ」、「民にできることは民にやらせろ」というときの「民」は、日本国民の「民」ではない。日本社会の行く末に責任を負わない米国民間保険会社の「民」にほかならないのである。そう話すと「それのどこがいけないのか?」と真顔で問い返す人が必ずいる。深層心理の階梯まで無国籍化した日本人の増殖は、まさに占領以来のゆがんだ戦後教育の「天晴れな」帰結というほかはない。世を厭い隠棲したい衝動に駆られる。

 昨年六月三日、竹中平蔵大臣が取り仕切る経済財政諮問会議が採択した「骨太の方針二〇〇四」によって、小泉総理の長年の悲願であった郵政民営化が、正式に日本の国策となり、そのわずか三ヶ月後の九月十日に、四分社化を骨子とする郵政民営化の基本方針が、与党自民党の了解無しに閣議決定された。その十一日後の二十一日に小泉総理がニューヨーク国連総会の際に日米首脳会談に臨むと、ブッシュ大統領から郵政民営化の進展について質問された。この事実は外務省の公式サイトにも掲載されている。

 それをさかのぼること一年前の二〇〇三年八月上旬、竹中氏はワシントンに駆け込んだ。当時、竹中氏は金融担当大臣として大手銀行に不良債権比率半減を迫った「金融再生プログラム」や、りそな銀行の国有化の経緯における強硬姿勢のため、自民党から厳しい批判を浴び、更迭要求さえ突きつけられていた。しかしワシントンで米国政府高官から「竹中路線を支持」の言質を引き出し、「追い風」を受けて帰国する。

 八月九日の朝日新聞によると、訪米前、ある米財務省幹部が竹中氏周辺に対し「あまり強く『支持』を言うと、国内の政治状況に悪い影響を与えないか」と何度か念を押してきたという。なんとも玄妙な、阿吽の呼吸をしのばせるやりとりである。

 竹中氏はワシントン滞在中に朝日新聞の堀江隆特派員のインタビューのなかで「郵貯の資産総額は四大メガバンクの合計より大きい。それだけ大きい『国営企業』の存在は、市場経済に慣れ親しんだ(米国の)人たちには理解しがたいことだと思う」と発言している。民間銀行の不良債権処理の渦中という騒然たる時期において、郵貯の話はいささか唐突に響く。この竹中談話の二ヶ月後、二〇〇三年十月二十四日に提示された米国政府の『年次改革要望書』のなかに、次のような記述がある。
《V-D.民営化
 米国政府は、二〇〇七年四月の郵政民営化を目標に、小泉首相が竹中経済財政・金融担当大臣に簡保、郵貯を含む郵政三事業の民営化プランを、二〇〇四年秋までに作成するよう指示したことを特筆する。》

 「二〇〇四年秋」(九月)にニューヨークでブッシュ大統領が小泉総理に郵政民営化の進捗状況の報告を求めたのは、こういう事情だったのだ。そしてその二ヶ月後には、合衆国大続領選挙が迫っていた。

 郵政民営化法案をめぐる自民党内の攻防で、小泉・竹中側と党内反対派が互いに頑として譲らず、最後まで揉め続けた最大の争点が、郵政三事業のうち簡保、郵貯(金融事業)を分離して完全民営化(官営廃止)するか否かの一点だった。それは、まさに米国政府の対日要求事項、つまりブッシュ大統領の関心事の核心にかかわる部分であった。

 通常国会で岡田民主党は曖昧な姿勢に終始した。総選挙での歴史的敗北後、前原新体制となった民主党は郵政民営化の対案を出した。伝えられるところによるとその内容は、簡保を廃止し、既契約分は日本郵政公社の傘下につくる複数の保険子会社に分割譲渡し、五年以内に完全民営化するものだという。この通りの内容だとすれば、これはまさに米国政府の要望書から読みとれる目論見そのものだ。与党案よりも露骨に米国に擦り寄り、簡保の分割まで踏み込んで米国保険業界の狙いをむしろ先取りしている。前原民主党の正体見たり、の感がある。

■「対米迎合派」対「国益擁護派」の闘い

 結局のところ、郵政民営化問題の本質を最も鋭く認識したうえで、日本国民の代表として誠実に行動したのは、郵政民営化法案に反対票を投じた自民党の国会議員たちであった。
例えば、中堅では旧通産省出身の小林興起前衆議院議員、若手では旧大蔵省出身の小泉龍司前衆議院議員である。出身母体からして、両氏は郵政族ではなかった。旧通産省と旧大蔵省といえば、むしろ旧郵政省と激しくつばぜりあいを演じていた役所である。両氏が地盤としていた関東は、郵便局の存続に対する住民の切実度が低く、民営化してもほとんど失うものがない。東京一〇区に属する小林興起前議員の秘書は「郵政民営化法案への反対を説いても、なかなか地元支持者に理解してもらえない。逆に『自民党員のくせになんで小泉サンの足をひっぱるの』と小泉ファンからたしなめられてしまう」と苦慮していた。運命の衆院本会議の一ヶ月ほど前のことである。こうした事情を知れば、小林興起氏が反対票を投じたのは利権のためでも選挙区事情のためでもなかったことが歴然としている。議席を維持する保身だけを優先するなら、おとなしく賛成票を投じていれば済んだのだ。

 一方、小泉龍司氏は五月三十一日の衆議院特別委員会で『年次改革要望書』を示して竹中大臣を追及し、その後、自民党副幹事長の職を辞して衆院本会議で反対票を投じた。

 小林興起氏と小泉龍司氏が郵政民営化法案に反対したのは、米国政府の『年次改革要望書』を自ら子細に検証し、郵政民営化法案の中身を吟味して、その背後にある米国の国家戦略と、日本の国益を損なう危険性を正確に認識したからである。

 両氏は、今年の通常国会で成立した新会社法の中の「外国株対価によるM&A」の解禁を一年凍結させるうえでも中心的存在として奮闘した。そのことは三月十二日の日本経済新聞が実名報道している通りである。この外国株対価によるM&Aが解禁されれば、世上を騒然とさせてきたライブドアの堀江貴文氏、M&Aコンサルティングの村上世彰氏、楽天の三木谷浩史氏ら日本人に替わって、いよいよ外資が日本の大手企業買収の主役に躍り出ることになる。ちなみにホリエモンのニッポン放送株取得騒動をきっかけに、放送局に対する外資の敵対的買収への懸念が急浮上し、外資の出資規制を強化するため電波法・放送法が改正された。このとき郵貯と簡保についても民営化後の外資の出資を制限することを総務省が検討したがだめだった。放送事業と違って金融業については、外資の出資規制がWT0(世界貿易機関)協定で認められていないからだ。外資による郵貯や簡保の買収を法律で禁じるとWT0に提訴されてしまうのである。

 小林興起氏と小泉龍司氏はともに元経済官僚だけに、この種の複雑な法律の条文の行間に潜む危険性を見抜くだけの高いリテラシーを持っていた。そして自らの信念を貫いて行動した結果、権力の逆鱗に触れ、見せしめとして徹底的にいじめぬかれた。

 郵政民営化を唯一の争点とした先の総選挙の真相は、官邸とマスメディアが演出したような「改革派」対「守旧派」ではなく、「対米迎合派」対「国益擁護派」の闘いだった、というのが私の理解である。しかし真の国益を守ろうとした自民党の勇気ある議員たちの警鐘は、単細胞的常套句の連呼にかき消されてしまった。我々国民は「小泉劇場」に踊らされ、これらの政策通の国会議員たちから議席を剥奪し、その穴埋めに、小泉総理にひたすら忠誠を誓う公募の新人を大量に国会に送り込んだ。

 小泉総理のワンフレーズに比べ、反対票を投じた自民党議員たちの説明は国民にわかりにくかったと、したり顔で指摘した識者が多い。だが「政治はわかりやすくなければダメ」などというのは衆愚政治の極みであって、成熟した民主国家なら本来恥ずかしくて真顔で言えるようなことではない。日米保険協議以来の長きにわたるいきさつのある大問題を、説明責任も果たさず、ただ「イエスかノーか」という二者択一に矮小化して国民に信を問う、などというのは容認しがたい欺瞞行為である。「自己責任」の名の下に、最終的につけを払わされるのは我々国民なのだから。

■次なる主戦場は健康保険

 郵政民営化法案が成立した今、事情を知る者は次なる主戦場を凝視している。それは公務員数の削減でも、政府系金融機関の統廃合でもない。それらは真の葛藤から国民の注意をそらす当て馬に過ぎないのだ。この国には米国の手垢にまみれていない、もうひとつの官営保険が存在することを忘れてはならない。それは健康保険である。国民生活に与える衝撃は、簡易保険の比ではない。「民にできることは民にやらせろ」という主張がまかり通れば、健康保険も例外ではいられない。既に第三分野(医療・疾病・傷害保険)は外資系保険会社にとって、日本の保険市場を席巻する橋頭堡になっている。

 日米間には「日米投資イニシアティブ」という交渉チャンネルが存在する。二〇〇一年の小泉・ブッシュ首脳会談で設置されたもので、詳しい説明は外務省ホームページに譲るが、対日直接投資を拡大するという大義名分のもとに、外資の日本企業に対するM&Aを容易にするために日本の法律や制度の「改革」を推進してきた原動力である。毎年報告書が作成されており、経済産業省のホームページで閲覧することができる。二〇〇四年版の『日米投資イニシアティブ報告書』に、米国側関心事項として次のような記述がある。

 《米国政府は、日本における人口動態の変化により、今後、教育及び医療サービス分野における投資が重要になってくることを指摘した。そして、これらの分野において米国企業がその得意分野を活かした様々な質の高いサービスを提供できること、またそうした新たなサービスの提供が日本の消費者利益の増大に資するものであることを指摘した。米国政府はこれらの分野における投資を促進するため、日本政府に対し、当該分野における投資を可能とするための規制改革を要請した。》

 その具体的な要望事項のひとつとして、米国政府は混合診療の解禁を挙げている。また二〇〇四年三月十二日の日本経済新聞も、米国務省のラーソン次官が日本の医療分野への外国資本の参入拡大を期待する意向を表明し、混合診療の解禁を求めたと伝えている。

 米国が日本に解禁を求める混合診療とは、保険が利く「保険診療」と、保険が利かない、つまり厚生労働省が認めていない「保険外診療」(自由診療とも言う)を同一の患者に行うことである。現在は認められていないため、日本で未承認の薬などを使うと、本来保険が利く診察代や入院費などにも保険が適用されず、かかった費用全額が自己負担になってしまう。しかし混合診療が解禁されると、厚生労働省が認めていない部分のみは自己負担だが、診察代や入院費など通常の経費は保険でカバーされるため、日本で未承認の新薬や治療法をより利用しやすくなる。患者にとってはけっこうな話に聞こえる。

 しかし米国がなぜ日本に混合診療の解禁を熱心に要求しているかといえば、厚生労働省が認めていない薬や治療法を使う「自由診療」については、製薬会社や病院などが値段を自由に決められるため、収益性が高いからである。保険が利く「保険診療」のほうは、診療報酬の単価や薬の価格を政府が統制しており、高騰しないよう抑制されているのだ。

 混合診療が日本で解禁されれば、日本で未承認の米国の「世界最先端」の新薬や治療法がどっと参入してくるだろうが、それは米国側が自由に価格を設定できるため、日本の医療費の水準とはまったく異なる価格で提供されるようになる。利用できるかどうかは、患者の病状よりも所得水準によることになる。医療保険制度研究会編集『目で見る医療保険白書』(平成十七年版)によって日米の医療費を比べてみると次の通りである。
      一人当たり医療費   総医療費の対GDP比
 米国  五九一、七三〇円   一三・九%
 日本  三一〇、八七四円   七・八%

 米国は、一人当たり医療費でも、総医療費の対GDP比率でも世界一であり、その「世界最先端」医療は、同時に世界で最も高価な医療でもある。政府が「社会主義的」な価格統制を行っている日本より、市場経済にゆだねている米国の方が医療費が高いのだ。

 このため、混合診療が解禁されて米国の新薬や治療法が入ってきても、何らかの保険でカバーしない限り高くて受診できない、ということになりかねない。そこで、混合診療が解禁されると、民間保険会社にとって自由診療向け医療保険という、新たなビジネス・チャンスが発生するのである。つまり、公的医療保険がカバーしない領域が拡大するということは、民間保険会社にとっては新たな市場の創出にほかならないのだ。ここに、米国の製薬業界、医療サービス関連業界、そしてかの保険業界が三位一体となって、日本に対して公的医療保険を抑制しろと圧力をかけてくるという構図が成立するのだ。

 敵の出方を読むには、公的医療保険制度が日米両国でいかに違っているか、その径庭を知悉しておくことが重要である。私は米国に行ったことがないが、過去数年、様々な文献を学んできて最近思うことは、日本と米国とが、いかに懸け離れた価値観に基づいて運営されている国か、ということだ。彼此の懸隔を最も酷薄に思い知らされる機会は、恐らくかの国において訴訟に巻き込まれたときと、病気に罹ったときではないか、と想像する。

 日本は国民皆保険といって、すべての国民が公的保険でカバーされている。大企業に勤める人は会社ごとにある健康保険組合、中小企業に勤める人は国が直接運営する政府管掌健康保険、自営業者や退職者などは各市町村が運営する国民健康保険など、働き口によって手続きが分かれてはいるが、すべての国民が公的保険に加入できるようになっている。このため、誰でも保険証一枚あれば、どこの医療機関でも費用のことはあまり気にせずに安心して診察を受けることができる。これは、ひとの命にかかわる医療は、貧富の格差にかかわらず、すべての国民が平等にアクセスできなければならない、という価値観に基づいた制度である。ただしこれは高負担・高福祉、つまり「大きな政府」を前提としている。

 米国には、国民皆保険制度は存在しない。公的保険制度には加入制限があり、高齢者・障害者限定のメディケアと低所得者限定のメディケイドの二種類しかない。伊原和人・荒木謙共著『揺れ動く米国の医療』(じほう)によると、米国民のうちメディケアで約一三%、メディケイドで約一一%しかカバーされていない。しかもメディケアは薬代をカバーしていないため、高齢者は民間保険にも重複して入らなければならない。このため国民の約七〇%は民間保険会社の医療保険に加入しているという。医療に関しても、文字通り「小さな政府」、「民にできることは民にやらせろ」という米国流の市場原理主義的イデオロギーが貫徹されているのだ。

 民間保険会社の保険料は、もちろん市場原理が貫徹される。例えば大企業の社員は、会社が一括して保険会社と契約するので、大口顧客として保険会社に値引き圧力をかけることができるため保険料が割安となり、低負担で「世界最先端」の医療を受けられる。

 一方、保険会社は大口契約で削られたマージンを小口契約で補填しようとするため、自営業者、退職者など個人で保険に入ろうとする人などには割高な保険料を請求する。その結果、所得の低い人ほど保険料が重くなるという負担の逆進性が常態化している。「小さな政府」で個人の自己負担が小さくなるわけではなく、むしろ逆なのである。

 このため、メディケイドでカバーされている低所得者層と、民間保険会社の保険料を負担しうる富裕層との中間に、公的保険にも民間保険にも入れない無保険者層があって、二〇〇二年にはそれが四四〇〇万人、国民の約一五%にもなっているという。無保険者は費用を心配するあまり、よほどの重症にでもならない限り病院にも行けず、行ったところで診察を拒否されたり、診察代を払いきれなかったり、といったトラブルに陥る。米国では医療費負担にともなう個人の自己破産が、クレジットカード破産に次いで多いとも聞く。病気に罹ることはまさに人生の破局に直結する。

■長生きしたければもっとカネを払え

 こうした事情の帰結なのか、0ECDの調査によれば、米国は世界最高の医療費を費やしながら、平均寿命、乳児死亡率、いずれも先進国で最低であり、WHOの二〇〇〇年の報告でも米国の医療制度の評価は世界第十五位と悲惨である。米国医療の実態は、「小さな政府」が国民経済全体的には高負担・低福祉をもたらすことを示唆している。一方、日本の医療制度は米国より安い医療費で、WH0から世界第一位の評価を得ているのだ。この歴然たる事実は、市場原理の導入による医療の効率化を喧伝する「改革」論者を顔色なからしめるものがあるはずだ。

 にもかかわらずその日本で、来年の通常国会に向け医療制度「改革」が推し進められている。昨年九月、小泉総理は唐突に、混合診療の解禁について年内に結論を出すよう関係閣僚に指示した。竹中大臣が仕切る経済財政諮問会議と、オリックスの宮内義彦会長が議長である規制改革・民間開放推進会議が連携して推し進めたものの、日本医師会と厚生労働省が激しく抵抗したため、昨年は本格的な解禁が先送りとなった。

 今年、経済財政諮問会議は戦術を変え、医療費総額の伸び率に数値目標を導入し、公的医療費を抑制する仕掛けを作ろうと画策している。そうなると公的保険の給付範囲をせばめる必要が出てくる。つまり、政府が価格や報酬を抑制している公的医療保険が利く分野が減らされ、外資を含む製薬会社や民間医療サービス業者が自由に価格や報酬を決められる「保険外診療(自由診療)」の分野が拡大されることにつながる。公的医療保険に代わって保険外診療分野をカバーする民間医療保険への二ーズも発生する。それは日本の医療制度に市場原理を導入し、公的医療保険を「民」すなわち米国の製薬業界、医療関連業界、そして保険業界に対して市場として開放することにほかならない。米国政府は初年度九四年以来一貫して、医薬品と医療機器分野を『年次改革要望書』の重点項目に位置づけているのだ。

 「長生きしたければもっとカネを払え。払えない年寄りは早く死ね」。ホリエモンは「人の心はカネで買える」と言い放ったが、「人のいのちもカネで買える」時代がまさに到来するのだ。

 かくも重大なテーマであるにもかかわらず、先の総選挙ではどの政党も医療制度問題をまともな争点にせず、逃げをうった。小泉圧勝を受け、経済財政諮問会議や規制改革・民間開放推進会議などの「改革」推進勢力はいよいよ居丈高となり、今や破竹の勢いである。すべては「民意」の名の下に正当化され、もはや誰にも止めることはできそうもない。その結果がどう降りかかろうと、決定を下した我々国民の自己責任というわけだ。

 『年次改革要望書』は今年で十二冊目を数える。すでに十年以上の長きにわたって、既成事実を積み重ねてきた。たとえ来年、小泉総理が退陣したとしても、『年次改革要望書』とその受け皿である経済財政諮問会議や規制改革・民間開放推進会議が命脈を保つ限り、米国による日本改造は未来永劫進行する。それを阻止できるものがあるとすればそれは、草の根から澎湃と湧き起こり、燎原の火の如く広がる日本国民の声のみである。


  
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付録:奪われる日本(全文)~前半

2005年11月20日 | Weblog
奪われる日本――「年次改革要望書」米国の日本改造計画
警告リポート、米国に蹂躙される医療と保険制度、関岡英之(全文)
――ついに簡保120兆円市場をこじあけた米国の次なる標的は?我々の健康と安心が崩壊する。――

 一世の耳目を聳動した郵政民営化法案がついに成立した。この一法案が、衆院本会議での五票という僅差での可決、参院本会議での十七票という大差での否決、衆議院の即日解散、そして九月十一日総選挙での自民党の地滑り的勝利と「2005年体制」の成立という劇的な帰結をもたらした。日本の将来長きにわたるであろう、さまざまな禍根を残した2005年最大の政治課題は、すべて小泉総理の思惑通りに決着した。今年の過半の時間とエネルギーを費消したともいえる郵政民営化とは、畢竟何だったのか。

 この郵政民営化問題には、結局最後まで、おおやけにはほとんど語られなかった側面がある。日本の構造改革の本丸、あるいは政治家小泉純一郎氏の個人的執念、などと取り沙汰されてきたこの問題の背後には、米国からの執拗な圧力という、もうひとつの知られざる因子が、通奏低音のごとく伏流していたのである。

 数年後の日本はどうなっているか。どんな分野で規制が緩和され、新たなビジネス・チャンスがうまれるのか。どの法律や制度が、どう改正されるのか。経営の中長期計画や、株式の投資戦略などを検討する際、必読の文献が世にある。

 『年次改革要望書』という外交文書がそれで、一九九三年の宮澤・クリントン日米首脳会談で合意されて以来、日米両国政府が相互に提出しあってきたものだ。過去十年間、日本で進められてきた「改革」のかなりの部分が、日本政府への米国政府の『年次改革要望書』の要求を忠実に反映したものだ。今年国会で成立した新会社法しかり、改正独禁法しかり。そして郵政民営化法もまたしかりである。その歴然たる従属ぶりは、「恒常化された内政干渉」とでも表現するほかはない、主権国家として尋常ならざるものだ。

 『年次改革要望書』は機密文書でもなんでもない。情報公開法の手続きもいらない。私はインターネット上で偶然この文書を見つけた。在日米国大使館のウェブサイトでその日本語版が公開されており、いつでも誰でも無料で閲覧することができる。

■米国が要求し続けた簡易保険の廃止

 いまからちょうど十年前、一九九五年十一月に米国政府から日本政府へ提示された『年次改革要望書』のなかに、郵政三事業のひとつ簡易保険に関して次のような記述がある。 《米国政府は、日本政府が以下のような規制緩和及び競争促進のための措置をとるべきであると信じる。……郵政省のような政府機関が、民間保険会社と直接競合する保険業務に携わることを禁止する。》

 それ以来、米国政府は簡易保険の廃止を日本に要求し続けてきた。一九九九年の要望書ではより具体的な記述になっている。
 《米国は日本に対し、民間保険会社が提供している商品と競合する簡易保険(カンポ)を含む政府および準公共保険制度を拡大する考えをすべて中止し、現存の制度を削減または廃止すべきかどうか検討することを強く求める。》
 「民にできることは民にやらせろ」、つまり官業としての簡保を廃止して民間保険会社に開放しろというロジックの淵源は、米国政府の要望書のなかにあったのだ。

 これらの要望はいずれも、保険分野におけるアジェンダ(協議事項)として提示されている。米国が十年来一貫して標的としてきたのは、郵政三事業のうちの簡易保険のみであり、郵便事業と郵便貯金にはほとんど関心を示してこなかった。なぜなら、米国政府の背後で圧力を加えてきたのが米国の保険業界だからである。これは機密事項でもなんでもない。

 米国生命保険協会のキーティング会長は本年二月に来日し、自民党の与謝野馨政調会長と会談し、郵政民営化について陳情している。二月九日付の朝日新聞のインタビューのなかで、郵政民営化についてキーティング会長は「米国の生保業界にとって最も重要な通商問題だ」と明言している。郵政民営化問題には、日米保険摩擦という知られざる側面がかねてから存在してきたのである。

 『年次改革要望書』という隠微なメカニズムによる米国の日本改造というテーマを世に問うた『拒否できない日本』を昨年四月に文春新書として上梓して以来、私は郵政民営化についてもさまざまな先からコメントを求められるようになった。その際、しばしば問いただされた二つの点についてここで確認しておきたい。

 ひとつは、小泉純一郎氏が政治家として郵政民営化を唱え始めたのと、米国からの要求とはどちらが先か、という点である。私が調べた限りでは、小泉氏の方が先である。簡保に関する米国政府の要望について米国の公式文書で確認できるのは一九九五年が最初である。初年度一九九四年版の要望書には簡保については記述がない。

 一方、小泉氏は一九九二年に宮澤内閣の郵政大臣に就任したとき既に郵政民営化を提唱しており、一九九四年には共著で『郵政省解体論』を上梓している。一九九五年以前から、日米の当局者が水面下で簡保について交渉していた可能性は排除できないが、少なくとも公表された文献に依拠する限りでは、小泉氏の方が米国より数年先行している。従って、小泉氏が郵政民営化を持論としたのは、米国の圧力がきっかけではないことは明白である。

 しかしそのことが、十年も前から米国政府が公式の外交ルートで簡保の廃止を要求してきたということの重大さを減殺するとは思えない。日本の郵政事業の民営化、つまり官業としての簡保を廃止して民間保険会社化することを、なぜ米国政府が執拗に要求しているのか。米国の国益にとって郵政民営化はどんなメリットがあるのか。郵政民営化の是非について国民の審判を求めるなら、少なくとも客観的な事実のひとつとして、簡保をめぐる日米交渉の経緯についても判断材料として公明正大に提供されてしかるべきであった。先の総選挙にあたり国民に対して説明責任が果たされなかったことは残念に思う。

■日本は米国に次ぐ世界第二の保険大国

 いまひとつ困惑をおぼえるのは郵便貯金の扱いである。夕刊紙などの電話取材で、私のコメントとして「郵貯・簡保三五〇兆円をハゲタカ外資が狙っている」と記載してよいか、と同意を求められることがある。そうした場合、私は必ず断ることにしている。なぜなら、郵貯については米国の公式文書で言及されていないからだ。不思議なことに米国政府は歴年の『要望書』のなかで郵貯に対してはほとんど関心を示していない。なぜなのかその理由はよくわからないが、裏づけがとれない以上、郵貯と簡保を同列に論じるわけにはいかない。そこで「簡保一二〇兆円を米国の保険業界が狙っている」というコメントなら掲載してよい、と返事をすると大概、落胆の溜め息がかえってくる。それではインパクトがない、ということらしい。

 しかし一二〇兆円だけでもドルに換算すれば一兆ドルを超える。これはサミット参加国カナダのGDPよりも大きい。これほどの規模の市場が新たに開放されるなどということは数十年に一度あるかないかだ。日本人は日本が外からどう見えているか、わかっていないのではないか。簡保の話だけでは夕刊紙のネタにはならないかも知れないが、世界の保険業界にとっては空前絶後の商機なのだ。

 保険という商品は、毎月決まった金額の保険料を長期にわたって支払い続けることができるだけの収入の目処がある顧客がターゲットとなるため、国民の大多数がその日暮らしに明け暮れる発展途上国ではそもそも市場が成立し得ない。保険がビジネスとして成立する有望な市場は先進国に限られ、米国、日本、イギリス、ドイツ、フランスの五カ国のみで世界の保険市場の八割近くを占めるといわれている。

 なかでも日本は米国に次ぐ世界第二の保険大国である。日本人は農耕民族的メンタリティーからか、将来に対する備えのために現在の消費を犠牲にする、保険という商品に心理的抵抗感が希薄で、生命保険の世帯加入率が極めて高い(商業民族である華人、インド人、アラブ人はいざという時の備えとして保険よりも貴金属を選好する傾向がある)。日本は世界の保険会社にとって、まさに垂涎の的ともいうべき魅力的な市場なのである。

 このため日本の民間保険市場は早くから米国の市場開放要求のターゲットのひとつにされてきた。一九九三年、宮澤内閣の時に始まった日米包括経済協議の四つの優先交渉分野のひとつにも保険が選ばれている。翌九四年、日本政府は保険市場の規制改革を受け入れた。九五年、保険業法が半世紀ぶりに大改正され、保険新商品の開発と保険料率が自由化され、また生命保険と損害保険の垣根が撤廃されて相互参入が可能となった。

 ところがこの改革に抵抗勢力として鬨の声をあげたのは、意外にも、日本に既に進出していた米国系保険会社であった。理由は、第三分野と呼ばれる医療・疾病・傷害保険にあった。この分野は生命保険にも損害保険にもなかなか参入できなかった外資系保険会社がニッチ(すきま)として日本に開拓した市場だった。規制改革によって第三分野で国内大手保険会社との競争にさらされると、外資系保険会社の既得権益がおびやかされることになる。日本において、外資が改革に抵抗するという珍しい図式がうまれた。米国は規制改革・自由競争の錦の御旗をかなぐり捨てて、なりふりかまわず既得権益の擁護を要求した。

 米国の保険会社、とりわけアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)のモーリス・グリーンバーグ会長が当時のクリントン大統領に猛烈な圧力をかけ、日米間で一年間におよぶ再協議が行われることになった。当時、日本側の交渉当事者だった榊原英資氏は『日本と世界が震えた日』(中央公論新社)のなかで、グリーンバーグ会長の共和・民主両党にまたがる政治力はかなりのものだったと述懐している。

 日米保険協議は九六年に再合意が成立し、第三分野での外資の既得権益を保護するための「激変緩和措置」として、外資系保険会社にとって特に重要だったガン保険、医療保険、傷害保険の三つの商品について、日本の大手保険会社は二〇〇一年までの四年間、日本での取扱いを禁止または大幅に制限されることになった。

 米国系保険会社は、第三分野を事実上独占することで日本での知名度と営業基盤を固め、近年、保険市場の本丸である生命保険分野にも攻勢をかけている。今年六月二日の日本経済新聞の報道によると、AIG傘下の生命保険三社は二〇〇四年度、新規保険料収入でついに国内最大手の日本生命を抜き、首位にたったという。

 AIGはアリコジャパン、AIGエジソン生命、AIGスター生命という三つの生命保険会社、AIUとアメリカンホーム・ダイレクトの二つの損害保険会社を日本に擁している。米国の民間格付会社スタンダード・アンド・プアーズ社は、アリコジャパン、AIGエジソン生命、アメリカンホーム・ダイレクトを日本生命や東京海上日動よりも上位に格付けしている。このうち、AIGエジソン生命は一九九九年に経営破綻した東邦生命を、AIGスター生命は二〇〇〇年に経営破綻した千代田生命をそれぞれ買収したものである。

 日本の中堅・中小の生命保険会社は二〇〇〇年前後に経営危機・経営破綻が相次いだが、そのすべてが、以下の通り外資系保険会社に買収された。
・東邦生命→GE(米)→AIG(米)
・千代田生命→AIG(米)
・平和生命→エトナ(米)→マスミューチュアル(米)
・協栄生命→プルデンシャル(米)
・オリコ生命→プルデンシャル(英)
・第百生命→マニュライフ(加)
・日産生命→アルテミス(仏)
・日本団体生命→アクサ(仏)
・ニコス生命→クレディ・スイス(スイス)

 経営破綻の理由は、バブル崩壊にともなう株安や低金利によって運用利回りの逆鞘が恒常化したことが主因であったが、直接の契機となった一因として見逃せないのは、先にも触れた、一九九五年の保険業法の大改正である。

 改正保険業法では、保険会社の経営の透明性を高めるためという大義名分で、「ソルベンシー・.マージン」という新たな基準が導入された。これは、端的に言えば保険会社の保険金の支払い余力をはかるものさしである。支払い余力には、保険会社が保有する株や土地といった資産の含み益の一部も算入された。

 経営内容の透明性を高めること自体はけっこうだが、タイミングが最悪だった。株価や地価が底なしの下落を続けるバブル崩壊の真っ盛りにこのような基準を導入すればどういうことになるか、素人でも想像がつく。週刊誌やマネー雑誌などがさっそく特集を組み、生保各社のソルベンシー・マージンのランキングを喧伝した。支払い能力に不安ありとされた保険会社には解約が殺到し、次第に体力が弱まって数年後に次々と経営危機に陥り、最終的には外資に買収された。

■日本の生保はベビーちゃん

 保険業法の半世紀ぶりの大改正をうながしたのは米国の圧力だったことは既述の通りだが、ソルベンシー・マージンの導入も米国の要求によるものかどうかは文献では確認できない。しかしこの顛末から連想されるのは、銀行業界におけるBIS規制のケースである。

 BIS規制とは、銀行の自己資本比率規制のことで、これが八%を下回った銀行には国際金融業務を認めないとする国際協定である。ここでも自己資本に株式の含み益の一部を算入したため、バブル崩壊の過程で日本の銀行は自己資本比率の維持に苦慮し、国際金融市場から次々と撤退を余儀なくされた。日本国内においても貸し渋り、貸し剥がしといったクレジット・クランチ(信用収縮)を引き起こし、不良債権問題を拡大し、平成不況を長引かせた遠因となった。

 このBIS規制の導入が、日本の銀行を弱体化させ、国際金融市場での覇権を挽回しようとした米国金融界の高等戦術であったことは、東谷暁氏が『BIS規制の嘘』(日刊工業新聞社)で的確に論証している。この本は、同じ著者・版元による『グローバル・スタンダードの罠』とともに、私が銀行員から物書きに転身する上で、いわば認識の土台を築きあげる手引き書となった。刊行後数年を経た現在も、その価値をいささかも減じていない。「構造改革」が加速化されつつある現在こそむしろ、再読吟味されるべき文献である。

 それにしても昨今、日本の生保各社の存在感は見る影もない。一九八〇年代後半のレーガン、ブッシュ(父)二代の共和党政権時代、米国の巨額の財政赤字を支えるために米国債を大量購入して「ザ・セイホ」ともてはやされていた時代を直接知る者として隔世の感がある。当時、私も民間銀行の証券投資部門で米国債や円建て外債などの外債運用を担当していたが、米国債の入札があるたびに、大蔵省から生保各社に「今月はいくら応札されたんですか」とヒヤリングがあったと市場のこぼれ話として漏れ聞いた。護送船団方式の時代に御上からこうした電話が毎月かかってくればゼロ回答は難しかった。その頃、日本では、米大統領選挙で共和党のブッシュ(父)が敗れて対日強硬派が多い民主党政権が成立したら一大事だという危機感があったのだ。しかし日本側の秘かな願いも虚しく、民主党のクリントン政権が誕生。あたかも日本側の腹を見透かしたように、徹底的な日本バッシングを開始した。対日強硬派の急先鋒だった民主党のベンツェン上院議員が財務長官に就任するや、ドル安容認発言を繰り返し、日本を円高攻勢で締めあげてきた。

 生保各社が保有する米国の長期国債はたちまち為替含み損を抱えたが、売却すれば損失が表面化するため、売りたくても売れないジレンマに陥った。米国の市場関係者は当時、「飴玉をとろうとしてビンに手を突っ込んだら抜けなくなってべそをかいているベビーちゃんだ」と日本の生保を嘲笑した。

 思い返せば、日本の民間保険市場は、過去二十年以上にわたって米国にさんざん蹂躙されてきた。あらためて日本国内を見わたせば、カナダのGDPに匹敵する規模を有する簡易保険がまだ米国の手つかずのまま横たわっている。保険市場をめぐる日米間の過去二十年にわたる歴史を振り返ったうえで改めて考えれば、郵政民営化の本質は、一二〇兆円にのぼる官営保険の市場開放問題だということがわかる。

 しかしただ民営化しただけでは国内最大手の日本生命の三倍近い規模の巨大な民間保険会社が誕生するだけのことだ。もちろん、米国が望んでいるのはそんなことではない。米国は民営化後の簡易保険とその資産一二〇兆円を、どうしようと考えているのか。

 それを推測させる要求事項が、二〇〇四年十月十四日付の米国政府の日本政府への『規制改革要望書』に列挙されている。
《Ⅱ-A.郵便保険と郵便貯金
 日本郵政公社の民営化が、経済財政諮問会議の求める民間企業との間の「イコールフッティング」を完全に達成し、また日本の保険および銀行分野に公正な競争をもたらすために、米国政府は日本政府に以下の方策を取るよう求める。
Ⅱ-A-1.民間企業と完全に同一の競争条件を整備する。それには次のものを含む。
Ⅱ-A-1-a.郵便保険と郵便貯金事業に、民間企業と同様の法律、規制、納税条件、責任準備金条件、基準および規制監督を適用すること。
Ⅱ-A-1-b.特に郵便保険と郵便貯金事業の政府保有株式の完全売却が完了するまでの間、新規の郵便保険と郵便貯金商品に暗黙の政府保証があるかのような認識が国民に生じないよう、十分な方策を取る。
Ⅱ-A-1-c.新規の郵便保険、郵便貯金および他の関連業務との間の取引がアームスレングス(引用者注・従来不即不離だったものを完全分離すること。ここでは金融業務と非金融業務の完全分離を指している)であることを保証するため、完全な会計の透明性を含む適切な措置を実施する。また、日本郵政公社の金融事業と非金融事業の間の相互補助の可能性を排除する。そして
Ⅱ-A-1-d.新規の郵便保険と郵便貯金が、その市場支配力を行使して競争を歪曲することが無いよう保証するため、独占禁止法の厳格な施行を含む適切な措置を実施する。》

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