【入札談合の歴史】
16世紀末ごろ 入札制度が始まったとされる
1661年 江戸幕府が小普請奉行に談合を注意する文書
1889年 会計法を公布。国の発注を一般競争入札に
1900年 勅令で指名入札制度を新設
1902年 会計法改正。談合業者に2年間の入札参加禁止
1911年 東京中央停車場(東京駅)の建築工事の入札
1921年 会計法改正。指名入札と随意契約が行える範囲を大幅に拡大
1941年 刑法に談合罪を新設。原案を大幅修正し、処罰の対象を限定
1947年 独占禁止法成立
1949年 岡山県発注の土木工事の談合で、39人が談合罪などで起訴されるが、51年に全員無罪の判決
1973年 石油ショックを機にカルテルが多発
1974年 公取委が石油業界のヤミカルテルを刑事告発
1977年 独禁法改正。課徴金制度を導入
1979年 熊本県発注舗装工事の入札談合で熊本県道路舗装協会に排除勧告。建設談合を初摘発
1982年 静岡建設業協会などに排除勧告。ゼネコンは課徴金納付命令の対象外に。自民党の小委員会が「調整行為は違法ではない」と見解
1984年 公取委が建設ガイドライン作成。建設談合の摘発に枠
1990年 日米構造協議最終報告書に独占禁止法の運用強化盛り込む。公取委が積極的な刑事告発の方針を発表
1991年 公取委がラップ業界のヤミカルテルを刑事告発。石油ヤミカルテル事件以来17年ぶりの告発
1992年 独禁法改正。法人の罰金を500万円から1億円に
1993年 東京地検特捜部がゼネコン汚職を摘発
1995年 公取委が下水道談合を刑事告発。発注者側の日本下水道事業団の幹部も告発され、初の官製談合の摘発に
2003年 官製談合防止法施行、北海道岩見沢市の談合で初適用
2005年 公取委が橋梁談合を刑事告発
>談合の摘発は90年代に入って再開されたが、それは、日米構造協議での米国政府からの外圧によるものだった。
http://www.yomiuri.co.jp/features/bridge/200506/br20050626_r02.htm
(2005年6月26日 読売新聞より)
ここで特筆追記したいことがある。(『拒否できない日本』(関岡英之著、文春新書)等参照)
1986年頃、レーガン政権当時のアメリカは、日本の公共工事に是が非でも参加したいというアメリカの建設業者の陳情を受け、「関西国際空港プロジェクト」の国際公開入札を要求した。2年間の交渉の末、1988年に日本の建設市場の開放に関して、大型プロジェクトに限ってアメリカ企業への特例措置を設けることで合意した。
しかし、それだけではアメリカの建設業者はなかなか仕事を受注できず、今度は日本の「指名競争入札制度」に問題があると指摘し、マスコミを使って日本の公共事業の入札制度を「不透明で不公平だ!」と非難した。
同年、公正取引委員会によって2つの談合が摘発された。
①関西国際空港プロジェクトに関わった土木業界団体に排除勧告
②米軍横須賀基地工事に関わった建設業者140社へ追徴金を課す
いずれも、アメリカの利害が深く関わっているプロジェクトで、この年立て続けに談合が摘発されたのは果たして偶然だったのだろうか?
その5年後の1993年には宮城県知事,茨城県知事,仙台市長やゼネコン幹部が贈収賄の容疑で逮捕されるという史上空前のゼネコン不祥事が発生。マスコミや世論から、談合や官民癒着の構造は公共事業の入札制度のせいであるとの非難が高まり、ついに1994年、日本政府は「公共事業の入札・契約手続きの改善に関する行動計画」を発表し、90年以上続いた指名競争入札制度が事実上の崩壊を迎え、この瞬間アメリカの長年の目標が達成された。
この後も(現在に至るまで)、アメリカは潤沢な情報量を使い、マスコミや世論を操作しながら圧力をかけ続け、日本独特の商習慣を打ち壊していく。
06年1月4日より施行される日本の独占禁止法の改正はその流れを汲んでこそ実現するものであることを申し添える。
16世紀末ごろ 入札制度が始まったとされる
1661年 江戸幕府が小普請奉行に談合を注意する文書
1889年 会計法を公布。国の発注を一般競争入札に
1900年 勅令で指名入札制度を新設
1902年 会計法改正。談合業者に2年間の入札参加禁止
1911年 東京中央停車場(東京駅)の建築工事の入札
1921年 会計法改正。指名入札と随意契約が行える範囲を大幅に拡大
1941年 刑法に談合罪を新設。原案を大幅修正し、処罰の対象を限定
1947年 独占禁止法成立
1949年 岡山県発注の土木工事の談合で、39人が談合罪などで起訴されるが、51年に全員無罪の判決
1973年 石油ショックを機にカルテルが多発
1974年 公取委が石油業界のヤミカルテルを刑事告発
1977年 独禁法改正。課徴金制度を導入
1979年 熊本県発注舗装工事の入札談合で熊本県道路舗装協会に排除勧告。建設談合を初摘発
1982年 静岡建設業協会などに排除勧告。ゼネコンは課徴金納付命令の対象外に。自民党の小委員会が「調整行為は違法ではない」と見解
1984年 公取委が建設ガイドライン作成。建設談合の摘発に枠
1990年 日米構造協議最終報告書に独占禁止法の運用強化盛り込む。公取委が積極的な刑事告発の方針を発表
1991年 公取委がラップ業界のヤミカルテルを刑事告発。石油ヤミカルテル事件以来17年ぶりの告発
1992年 独禁法改正。法人の罰金を500万円から1億円に
1993年 東京地検特捜部がゼネコン汚職を摘発
1995年 公取委が下水道談合を刑事告発。発注者側の日本下水道事業団の幹部も告発され、初の官製談合の摘発に
2003年 官製談合防止法施行、北海道岩見沢市の談合で初適用
2005年 公取委が橋梁談合を刑事告発
>談合の摘発は90年代に入って再開されたが、それは、日米構造協議での米国政府からの外圧によるものだった。
http://www.yomiuri.co.jp/features/bridge/200506/br20050626_r02.htm
(2005年6月26日 読売新聞より)
ここで特筆追記したいことがある。(『拒否できない日本』(関岡英之著、文春新書)等参照)
1986年頃、レーガン政権当時のアメリカは、日本の公共工事に是が非でも参加したいというアメリカの建設業者の陳情を受け、「関西国際空港プロジェクト」の国際公開入札を要求した。2年間の交渉の末、1988年に日本の建設市場の開放に関して、大型プロジェクトに限ってアメリカ企業への特例措置を設けることで合意した。
しかし、それだけではアメリカの建設業者はなかなか仕事を受注できず、今度は日本の「指名競争入札制度」に問題があると指摘し、マスコミを使って日本の公共事業の入札制度を「不透明で不公平だ!」と非難した。
同年、公正取引委員会によって2つの談合が摘発された。
①関西国際空港プロジェクトに関わった土木業界団体に排除勧告
②米軍横須賀基地工事に関わった建設業者140社へ追徴金を課す
いずれも、アメリカの利害が深く関わっているプロジェクトで、この年立て続けに談合が摘発されたのは果たして偶然だったのだろうか?
その5年後の1993年には宮城県知事,茨城県知事,仙台市長やゼネコン幹部が贈収賄の容疑で逮捕されるという史上空前のゼネコン不祥事が発生。マスコミや世論から、談合や官民癒着の構造は公共事業の入札制度のせいであるとの非難が高まり、ついに1994年、日本政府は「公共事業の入札・契約手続きの改善に関する行動計画」を発表し、90年以上続いた指名競争入札制度が事実上の崩壊を迎え、この瞬間アメリカの長年の目標が達成された。
この後も(現在に至るまで)、アメリカは潤沢な情報量を使い、マスコミや世論を操作しながら圧力をかけ続け、日本独特の商習慣を打ち壊していく。
06年1月4日より施行される日本の独占禁止法の改正はその流れを汲んでこそ実現するものであることを申し添える。