今から1000年以上も昔の平安時代に生きた3人の女性たち、清少納言・和泉式部・紫式部。
それぞれ宮中に仕えた時代は、清少納言が西暦993年頃~1001年頃
和泉式部と紫式部は、西暦1005年頃~1012年頃と言われています。
紫式部が書いた『紫式部日記』には、少し前に宮廷を去った清少納言について
辛辣な評が載っています。
・・清少納言という人は、得意顔で漢字を書き散らしていますが
その知識はまだまだ未熟で、不足なことばかりです。
彼女のように好んで人と違うことを望む人は
最初は面白がられても直ぐに飽きられ
その行く末は決して、良いものにはならないでしょう・・
その当時は、男性の教養とされていた漢詩の知識を駆使した『枕草子』と
華やかな宮廷生活を自慢気に書き記した清少納言は
控え目な紫式部とは根本的に合わなかったのでしょうか。
また『紫式部日記』には、和泉式部についても評が残されています。
紫式部と和泉式部は同時期に宮仕えをしており、面識があったと思われるとのこと。
・・和泉式部という人は素敵な恋文を書いているようですが
彼女には感心できないところが多々あり‥。
とは言え、日常的な手紙には即興の文才があり和歌も上手です。
彼女は閃きで和歌が詠める天才なのでしょう。
「頭の下がるような才能がある歌人」とまでは、思いませんが・・
和泉式部は恋多き女性で、『源氏物語』にも彼女をモデルにしたと思われる一節があり
真面目な紫式部としては、感心できない「浮かれ女」と思っていたかも‥。
遥か遠き平安の世に生きた女性3人が遺した和歌や文章から考えるに
Kimitsku的には、清少納言が最も好ましく思われます。
自分の才能を発揮して存分に生きた、今どきウーマンだったような‥
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