馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

半世紀前のアイビーファッション (7)円安に翻弄される息子 暗転!

2024-06-06 07:57:56 | 日記
6月5日(水)駅ビルへ買物 
店頭に小川軒の臨時出店。
暫し ガラスケースを眺めたが買うのを諦めた。




先年、娘が結婚した亭主のご両親に小川軒レーズンサンドウイッチ 贈った。
広島に居住。喜ばれた。
小川軒

先輩が現在オーナーで仕切る。
大学体育会執行部委員長であった。
12年前、御茶ノ水のレストランへ、
同期で剣道部出身警視庁元警視と
合気道部主将でビヤホール支配人とで
御茶ノ水のレストランでご馳走になった。
格好いい先輩で、正しくミッション系のキャンパス
蔦の絡まるチャペルの坂道をアイ・ビーファッションで
ミニスカートの女子大生と下って行く。


青春映画そのものシーンであった。
文豪が通う店として知られる。
夏目漱石、三島由紀夫ら文豪たちが通い、食べ、書き残した東京の洋食店
当時新橋にあった〈小川軒〉では、牛の尾のシチュウ、オムレツ、チキンカツ、マカロニとトマト・ソオスの牛肝煮、ポタアジュ、牡蠣(かき)フライなどをたんまりたっぷり食べてなお飽き足らず、味の記憶を動員して空想の宴を催し『饗宴』という作品に昇華させている。
さらにサンドイッチ、前菜、サラダ、ロオスト・ビイフなどを詰めてもらって家へ帰っても食べていたというのだから、「小川軒には、週に一度ずつは、きまって吉田健一氏の酔った笑い顔が」(『わが百味真髄』)と檀一雄に述懐されてしまうのもむべなるかな。なお、1964年に代官山へ移った〈小川軒〉を訪ねた客の第1号は、こちらも食いしん坊を自認していた志賀直哉だったとい
う。


(6)円安に翻弄される息子 高齢者はまだ働けるぞ‼

続きです。
愚かな仕入れ先に、仕入れを拒否され、
新たな活路を求めて飛び立った。
後輩のバックアップで台湾メーカーの取引が始まった。
まだ、パソコンがやっと大企業に入った時代。
連絡手段は電話とFAX。
デザイン等のデータは。CDロムに挿入してEMSで送る。
台湾メーカーのステーショナリー類ケースをカバンに詰めて営業先を回った。




従来と違うデザインスタイルと廉価がマッチングして
バブルでの剰余金は、企業が税金納めるより、宣伝広告費として活用。
売り上げも急伸。
危機を乗り越えた。
しかし、好事魔多しの事態が生じたのだ。
台北の後輩から電話は入る。
「合弁会社は年内に閉鎖解散します」
呆然と聴き入る。
返す言葉がない。
又もや、活路を断たれたのだ。
今度は、人的摩擦障害ではない。
台湾との合弁会社の役割は終わったのだ。
商売は暗転
続く


時の流れに身をまかせ - テレサ・テン(フル)