馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

東電 逃電(その9)逃げる役員 追う現場長

2011-05-30 15:10:58 | 日記

「実は海水注入していました」。

「現場所長の独断でしました」。

又東京電力の隠蔽が明らかになった。東京電力も政府も現場主義を疎かにしている。前にも書いたように現場見ずに東電幹部、専門家、政治家、マスコミは報道。テレビに写る場面は官邸か東電本社からの報道説明のみ。首相補佐官や東電副社長が原発現場でマスコミも現場で互いに事実確認しながら報道説明しない。真実を知るのか怖いのか、それとも被曝を恐れているのか・釜ヶ崎から騙して作業員を原発現場で働かせるより、政治家が原発災害現場で働く事が最も国民を説得できる。

 

「所長の独断で行った」。

嘘つくな!公益企業で大企業で典型的管理組織の会社でありえない。

傲慢白髪うどの大木副社長が責任すり抜けただけだろう。

東電上層部は責任回避で逃げたのだろう。

決断を部下が迫っても判断出来ず沈黙したまま時間経過して

現場は決断した。

そして、上層部は政府に責任転嫁した。

サラリーマンで偉くなるには平社員の頃から責任回避して

危ないことには近寄らない、よけいな口出しはしない

決断はしない、上司の意を汲んでその通りに行動する。

黒猫だが上司が白猫だと言えば「はいその通りでございます」

そうやって忍従のサラリーマン生活を30年余り続けて

やっと役員になったのだから、突然未曾有の津波が自分達に襲って来た訳だから

立ち向かうことなど出来ない。

病院に逃げ込むか、部下に押し付けるか、それもダメになったから

よしみのマスコミ、政治家に泣きつき責任回避を企てる。

公務員でもなく公的独立機構でもなく税金は納め、みなし公務員でもない。

東電には対外的競争原理はないので内部競争のみが高い地位を得るための必要。

現場など下請け任せだから正確な情報を説明できない。

歪んだ巨大組織体質は外部からの攻撃には全く対応できずひ弱だ。

阿保缶政府が逃電の企業体質見抜けず振り回された。

口先商売人が見たこともないのにぺらぺらしゃべるが理解出来ない。

 

30年前、労組書記長としてスト決行日指令を出すと

途端に出張だとして逃げてしまう組合員が必ずいた。

通常会議では勇ましい攻撃的言動する組合役員に限って

秋闘、春闘の決断をする会議には出て来ない。

匿名の手紙が届き嫌がらせ文面が書かれていた。

年賀状に「大儀親を滅す」と書いてくる上司。

会社側に媚びているのだろうが

会社側もそのお調子者を利用するが

書記長の私は無視するから、更に私へ説得力ない非難が集中する。

社側労務課長は社内的には傲慢不遜で嫌われ者だった。

当初激しい喧嘩もした、時間外ストもした。

その結果要求賃金で妥結したが、その後、前書記長と労務課長の

「交渉員メモ」なる書面が出てきて、文面には今後の賞与についての

取り決めが書かれていた。

妥結額を下回る賃金が明記されていたのだ。

会社側は労務課長の直筆サイン実印と社判、

組合側は 労組名ゴム印、書記長ゴム印、個人名ゴム印 三文判

まさかこのような裏交渉メモの存在になす術なく

組合員に説明ができなくなってしまった。

今更、前書記長に確認してもかわいそう。

やはり、私は騙されたのだ苦渋に眠れぬ日々が続いた。

労使関係は裏交渉であろうと合意事項は守らなければならない。

管理部長と、交渉員メモの件で話しをした。

「会社と秋闘で合意した、互いに約束は厳守する」

「しかし、交渉員メモについて組合員は存在を知らない

従って、組合員に説明するために、交渉員メモを公開します」

「説明方法はメモをコピー印刷して組合速報に載せることにします」

「又全国オルグして説明します」。

管理部長の顔色が青ざめた。

密約がバレテしまえば企業モラルが一気に瓦解

社員の不信感と上部組合組織からの圧力がかかるのは必至だ。

会社側は交渉員メモを破棄した。

正義とか悪とかではなく組合が弱ければ

日米修好通商条約のように一方的に不平等条約なるのだ。

私にとっては賃金が安くても良かった、

仕事も賃金も福利厚生も私には不満はなかった。

商売なのだから利益なければ分配は少なくなる。

公平感のある労働協約締結と本社の補完業務的仕事からの脱却と

仕事にあった誰もが納得する客観的基準を元に人事賃金体系構築を望んだ。

続く

  

本日のランチ

 


信州 中の湯

2011-05-28 23:19:45 | 日記

528日(土)金太郎が北アルプスの中の湯に行った。

新聞社OB会の集まりで地元新聞社が幹事なので長野になった。

温泉に浸かり、一杯、多杯飲んで又上高地散策を楽しむ。

いいなあ! 俺も行きたい。

貧乏会社はゆとりが無い。

北アルプスは昭和488月に行ったきりだ。

山岳部同期が前穂高北尾根で転落死した。

85日に遺体収容で行ったのが最後だ。

その前は

 厳冬期立山から槍ヶ岳縦走

4年生4人、3年生2人、2年生3人 1年生2

総勢11

私は1年生だった。

昭和421224日上野夜行列車で富山に行き

美女平のケーブル階段をアイゼンで登り

弥陀ヶ原をラッセルして立山を登り

薬師岳を登り、槍ヶ岳の氷の穂を登攀

雪崩の恐怖の槍沢を駆け下り

翌年昭和43124日に

上高地に下山、既に下山予定日を過ぎていて

捜索隊が上高地まで来ていた。

30日間の過酷な登山だった。

暗闇の釜トンネルを抜けると中の湯があった。

そのトンネル内にはトンネルを手掘りした朝鮮人の遺骨が

埋まっていると言われていた。

又、冬山遭難遺体を雪解けまで安置する場所でもあった。

当時本当に秘湯だった。

生きて帰れて中の湯で雪降りしきる露天風呂に浸かり

暖かい飯と野沢菜と味噌汁と日本酒は

40年経ったいまでも忘れられない。

昭和433月に前穂高北尾根の雪稜登攀して

中の湯に泊まった。 なぜか蛸の刺身を食べた。

強烈な思い出として残っている。

梓川沿いの雪道は一般客が来ることは出来なかった。

厳冬期の湯宿は老夫婦二人で守っているだけで

宿泊客は殆どいなかった。

今では一般観光客が上高地周遊で泊まる。

中の湯も当時の場所から少し移転した。

もう一度行きたい。

 

1968年3月前穂高北尾根

当時根性あったな!


逃電 東電 その8 責任回避

2011-05-26 23:15:06 | 日記

書記長になって初めての労使交渉秋闘に勝利して12月なった。

組合主催のクリスマスダンスパーティー行うことにした。

東京の各営業所の女性組合員は140人以上が参加した。

会場は私がレストラン事業部で皿洗いをしていたので

会社のレストランと会議ホールを使用した。

会社側は組合主催のパーティーを冷ややかに見ていた。

   

女性社員は若く美人が多いので内外で有名だった。

当時の人事担当者が聡明な女性より容姿を優先して採用した。

まだ、女性差別をなくした雇用機会均等法は施行されていなかった。

今だったら糾弾されそうだ。

パーティーは大成功だった。

主要な組合役員を女性にしたことによって小さな職場から

皆が参加してくれた。

組合の動員力には会社側労務課長は驚き羨ましがった。

ダンスパーティー2日後、体調が悪く腸が重苦しく

熱もあり動けなくなって自宅で休んでいた。

電話が鳴りでると、都内の有名保健所からだった。

内容は驚くべきことだった。

「先日のクリスマスパーティーで多数の食中毒患者がでています。

その件でお話したいので来て頂きたい」

生牡蠣による食中毒だった。参加者が多く冷蔵庫に入りきらず

テーブルに数時間置いてあった。

2日後女子社員が40人以上休み、書記長の私も中毒で

寝床に入ったままだ。

会社側は当初激怒して組合書記長が業務に支障を生じさせたとして

責任追及しようとした。

しかし立場は逆転したのだ。

会場レストランは会社経営であり、組合はお客様なのだ。

責められるのは会社側になった。

保健所に呼ばれ、状況説明した。

偉そうな方々が5人もでてきた。

今回の食中毒事件に非常に興味津々なのだ。

有名企業で会社経営レストランを使用して敵対関係の組合主催のパーティーで

食中毒が起きた。それも多数の女子社員が病院へ駆け込み

食中毒と判断され、病院から保健所に通報された。

当初、会社側は「ざーまー見ろ」!と言っていたが大混乱したらしい。

居並ぶ保健所の担当者は組合書記長が今回の食中毒でどのような対応するかに

注目していた。

組合が会社側を訴えるか否かを聞かれた。

私は「社内的問題であり、保健所、病院にも公に説明して

組合速報にも事実関係を掲載するので外部解決はしません」

と答えた。 居並ぶ担当者は残念そうな表情だった。

会社側と食中毒発生で交渉することになったが

レストラン事業部は既に下請け会社にレストラン経営を丸投げしていた。

交渉相手は下請け会社の社長だった。

会社は逃げたのだ。逃電と全く同じだ。

私は下請け会社長を軽食喫茶勤務時代に知っていた。

温厚で有名なレストランの総調理長もしていた。

又実際にレストランで調理してくれたコックも知り合いだった。

少しでも売上に貢献したいと私は考え、コックも少しでも

安くおいしい食事を提供したいと思ったのが、善意が裏目にでてしまった。

解決策は会社休んだ日は欠勤、有給扱いにしない、1日の休みは

2万円賃金補償することで合意した。

会社側は食中毒に関しては一言も触れず、逃電と同様会社幹部は責任逃れした。

現在でも大企業は30年前と変わらずに隠蔽して、責任回避して逃げ回る。

聞いた話では、食中毒で会社側は保健所に高級ウイスキーを持参して

穏便な計らいを頼んだらしい。

現在だったら役人の首は飛んでいただろう。

1年後、下請け会社の社長は亡くなった。

その頃から私は死神と呼ばれ、私と対立すると危ないと言われるようになった。

続く


LEDロゴプロジェクター

2011-05-26 15:46:49 | 日記

526日(木)午後DHLでサンプル到着

LEDロゴプロジェクター

有名な美人演歌歌手が映し出される。

慎重に検品する。

早速、お客様にサンプル発送する。

劇場販売用で納期指定が厳格ではないので

ゆとりをもって検品が出来て

精神的に安心感がある。

 

本日のランチ アンチョビパスタ

 


LEDライト付キーホルダー受注

2011-05-26 11:55:47 | 日記

526日(木)朝、信用金庫から注文がきた。

LEDライト付キーホルダー1万本製作依頼だ。

納期が713日指定。

かなり厳しい工程作業になる。

大震災を受けて中国でもLED注文が増加して

生産が間に合わない。

   

7月初旬から節電体制になるが、もしもの停電に備えて

信用金庫がお客様に配る。

信用金庫の販促品は、ティッシュ、タオル、洗剤等の家庭用品だったが

珍しいことだ。

担当者も今までは年寄りが販促品を決めていたが

若手感覚に任せた、そして状況から見てタイムリーな

販促品としてLEDライトキーホルダーを選んだそうだ。

 

地震も停電も無いことを願うが、311日の大震災で

深夜、両国橋を渡る人々を見た時、一条の光が不安を

少しは取り除けると感じた。