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馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

産業用両面テープで思ったこと。

2019-03-23 11:31:40 | 日記

3月21日(木)春分の日

午前10時 薄曇り、風もある。

東関道を東京方面に向かう。

海老川大橋1

船橋港を跨ぐ海老川大橋を渡り切ると信号を左折。

海岸への道を歩く。

大手鉄工メーカーの工場群がある。

大型貨物船により、鋼材の荷捌き可能なのだ。

休日なので、大型トラックの出入りがなく

無機質な建物がひっそりと佇む。

 

昨日 アマゾンショップに掲載した

業務用両面テープの注文を受けた。

 

 

 

納品場所が自宅から近く、ウオーキングがてら

どのような会社が使うのか知りたいと思った。

 

大手鉄工メーカーの下請け工場であろう

俗に言う 町工場が周辺に密集している。

栄町工場地帯

そこからの注文であった。

鉄素材に強力に貼りつくテープ。

 

どのように使用するかは分からない。

住宅街ではないが

木造アパートが町工場の間に点在。

アパートから東南アジア系と若者が

数人出てきて自転車で出かけた。

おそらく、周辺の工場で働いているのだろうか

 

駅方向には、日本語学校があり、

昨年12月に理事長殺害事件があった。

 

日本の若者が嫌う仕事を東南アジア諸国の若者が支えている。

 

弊社は、主に東南アジア諸国で、キャラクターグッズを制作するが

https://www.sanshoright.co.jp/

 

高度な技術を必要とする産業用製品を製造するには、日本国内でしか製造できない。

しかし、大手メーカーは、中小零細の下支えがなくては成り立たない。

 

4月1日は改正入管法が施行。

外国人就労が大幅に拡大する。

 

中小零細の人手不足解消を目指す。

 

しかし、中小零細は個人事業主が殆ど。

 

数年後には高齢化が進み、後継者もなく廃業。

そうすると、就労できない外国人労働者が溢れる。

 

現在 トランスを製造する会社も

https://www.takase.online/

後継者をどうするか問題がある。

 

日本でしか出来ない熟練の技。

海外工場では繊細なトランス製造は難しい。

東南アジアの若者に習得させても日本で経営者になるのは不可能、

自国に技術を移転しても経営は成り立たない。

 

アメリカのように貧しい白人と貧しい移民が

生きるために対立。

トランプのような、馬鹿すぎる指導者が現れる。

 

中国は55の民族

台湾は本省人、外省人、原住民

朝鮮半島は北と南。

 

憎悪の衝突。

 

日本は、そうあって欲しくない。

 

 

海老川大橋2

 


トランス製作 0.08ミリ銅線を巻く。

2019-03-21 17:22:17 | 日記

3月19日(火)

トランス製作の最初の工程作業。

ボビン(糸巻機)に0.08ミリの銅線巻きをすることになった。

茨木にある下請け工場での製造が事情で、出来ない。

9千個製作しなければならない。

 

コンピューター制御の巻き線機。

1万回巻き付ける。

時間にして2分50秒。

トランス0.8ミリ銅線巻き1

では、巻き付けるのをじっと見ていれば良いにではない。

平準に凹凸なく巻きつけ、銅線が切れてしまうのを監視。

それから、絶縁テープを巻き

リード線も装着する。

72歳での手習い。

容易ではない。

トランス 0.8ミリ 銅線巻き2

 

時間をかければ、製作できるが

納期を順守が困難。

又、社内での女性3人を使えば

人件費等の費用対効果で赤字になる。

無償で私と妻が製作できるようにならなければ!

 

問題が生じた。

巻き線機は4台あるが

0.08ミリの銅線を巻く冶具が一つしかない。

冶具製作は、日本国内メーカーでは高価である。

急遽、台湾の2部上場のプレスメーカー

取締役海外営業本部長 ケニーに連絡をとる。

製作は可能だが、設計図が必要。

私の中では理系頭脳は空っぽ。

設計図など作れない。

社長である弟が、簡単ソフトで設計することになった。

 

生前の親父は、造船所で溶接を担っていた。

小さな金属削りの技術を習得している職人は

日本では少ない。

次回 零細工場の問題 続く。 

 タカセ産業のトランス

 https://www.takase.online/


無呼吸症候群入院検査。

2019-03-18 09:55:20 | 日記

3月16日(土)

 

悪徳芝信用金庫のブログ確認して

 

病院へ向かう。

16時半 病院受付へ。

土曜日 夕方なので、院内は閑散

カウンターには男性が一人。

私を見ると、名乗らないのに

男性が私の名前を呼ぶ。

「すいません 入院手続書類をお渡しするのを忘れていました」

確かに 今日が入院日なのだが、なかったのだ。

 

5階のナースセンターに向かう。

個室指定なのだが、ツインベッドでの個室使用になった。

早速 全身シャワーを浴びてレンタルパジャマに着替えをする。

何故 直ぐにシャワーを浴びるのか?

後に、成る程と理解した。

18時 シンプルな夕食が出る。

19時 男性看護師?らしきが

小型発電機のような機器を室内に入れた。

台上にパソコン

幾重もの電線が繋がっている。

両足 ふくらはぎ

お腹 胸 頭部、左人差し指に

糊とテープで装着。

布製ネットを頭から被せ

目元と口だけを挟みで切り取る。

30分程経過。

それから、女性看護師に機器操作を指示。

洗面所の鏡で全身を見る。

愕然!

あたまにはネットを被り、ヘッドギアを装着した姿は

あの!あの!オウム真理教信者が身に着けた姿と同じ。

 

20時 テレビとスマホを交互に見ながら22時になる。

 

排尿が問題なのだ。

個室でないため、機器を装着したまま

トイレにいけないのだ。

看護師が機器チェックに来たので

電源コンセントを外してもらってトイレへ。

やれやれしんどい。

午前0時、枕が違うのか寝付かれない。

看護師が入ってきて機器のチェック。

排尿を知らせる。

電源コンセントを外してトイレへ。

看護師が睡眠剤をくれる。

これでは、夜半頻尿は辛い。

尿漏れパンツを履く。

午後3時 排尿切迫感で目覚め。

起床もせず排尿。

更に時は判らないが寝床で寝たまま、排尿パンツに放出。

午前6時起床。

看護師が、機器類を外す。

無呼吸症候群検査機

直ぐに シャワー室直行。

頭髪等に付着した糊を洗い流す。

着替えて玄関に向かう。

何で こんなに早く退院させるのか?

訳は、平日、サラリーマンが、そのまま

会社へ直行可能だから。

 

漁港を抜けて8時帰宅。

船橋漁港 AM8時 無呼吸症候群検査帰り。

娘が出かけるところだ。

 

真っ白な可愛らしいスニーカーに

若草色のロングパンツ、キャメルのジャケットを羽織り

大きなコットンバックを肩から背負い

髪は一束に纏め竜馬風

直線的 原色化粧で際立たせる。

急いで出てゆく。

 

妻が言った。

今日は 仕事ではなく、毎年開かれる

代々木公園でのアイルランドフェスティバルにて

アイリッシュダンスを出演。

 

普段 目立たないキャリアガールから

ダンサーに変身するのだ。

娘にとって、唯一の心身の癒しなのだ。

 

 

 

 


明け方 まだ娘が帰宅しない。

2019-03-14 18:10:35 | 日記

 

2月に異動でブラック職場に戻ったが

 

2月半ばから、最終電車の帰宅になった。

入浴を済ますと午前3時。

起床は6時半。

妻が作る弁当も半分残し

夕食は食べず

帰宅後、ケーキか饅頭を食べるだけ。

月~金までは、時間差で娘の姿は見られない。

顔はげっそり。

 

一昨日は終電車を乗り過ごしタクシー帰宅。

3月12日

午前2時 まだ帰宅していない。

3年前帰宅駅近くで通り魔に殺害された事件があった。

 

午前5時 まだ帰宅しない。

妻が起きて言った。

娘からメールで

「審議が長引いて答弁書作成を繰り返す。

帰宅は出来ない」。

 逆にホットした。

安全であれば良いのだ。

その夜も終電で帰宅。

午前2時 入浴をしていた。

午前7時半 ベランダから、娘が急ぎ足で駅に向かうを

消えるまで見送った。

しかし 使命感と責任を果たすべき執念は凄まじい。

 まだまだ 日本は大丈夫だ。

 

中国では、一人っ子政策の弊害が顕著だ。

労働人口の主要な若者だが

働かない軟な一人っ子ばかりで

直ぐに仕事を辞めてしまう。

私がサラリーマン時代

労組書記長の時

従業員の7割が女性。

大半が20代。

彼女達は、賃金アップより、福利厚生的要求が強かった。

それなりの家庭で育ち、勤務条件が

残業も少なく、過酷なノルマもなく

職場環境が快適、オシャレであることを望んだ。

労使交渉では、組合が唯一交渉できる条件闘争として

 36協定

 

を武器に福利厚生の充実を迫った。

女性を味方にすることによって労組は強くなり

結果的に、優秀で可愛い女性が増えた。

 

しかし、書記長としては、サービス残業の禁止を掲げながらも

現実は、書記長として役目とは裏腹に

深夜まで仕事した。

営利企業で働く限り、仕事への真っ当な責務であり

言い逃れは出来ない。

娘は、電通女子社員の自殺を

「仕事が過酷と言うより職場環境に

寛容な気配りしてくれる上司がいなかったのだろう」と呟いた。


74才の先輩 単独スキー登山。

2019-03-13 10:30:10 | 日記

昨日 体育会育山岳部の先輩からメールが届いた。

以下 全文

 

3月9日長野県菅平の根子岳にスキー登山に行ってきました。

 

天気は快晴、雪山は眩しく絶好の登山日和でした。

朝9時、奥ダボスのリフトを降り登山開始(標高1550m地点)。

途中シールの緩みに悩ませられながら、必死の思いで(何度も引き返そうと思いましたが)なんとか頂上直下の展望箇所に到着。展望を楽しむ間も無く、スキーを脱いで山頂(2207m)に11時30過ぎ頃到着。山頂は天気は良かったのですが風が強くブリザード状態でした。

 

頂上では、祠に100円(少ない!)のお賽銭を奉げ世界平和?を祈願して参りました。

 

尚、頂上での写真を撮りたかったのですが、デジカメが寒さの為?調子が悪く撮影を断念。

その後へたくそなスキーで何度も転びながら、ようやく12時30分ごろ登山開始地点に帰着。

 

ここで電池を入れ替えて再度写真撮影を試みましたところ撮れたのが添付した写真です。

(゜-゜)電池が放電しておりました。

 

思えば貴殿と八幡平や尾瀬、それと草津白根山方面(田代も同行)にスキー登山に行きましたね。

あれから何年たちましたかね。

又行きたいですね。

 

根子岳

 

 

 

先輩は74歳。

単独での山スキー登行。

 

50年前春 学門をくぐり入学です。

 銀杏並木とチャペル間の坂道を上がる。

上がり切った石畳に学生服にくせ毛のまん丸顔立ちが

笑顔で近づいてきた。

山岳部への勧誘であった。

優し気な人懐っこい表情。

シゴキで有名な大学山岳部。

出身地を尋ねられた。

そうすると、横浜のローカル電車で一つ手前の駅名に

住んでいるいと勧誘する学生は言った。

危なくないなと勘違いして入部した。

 

 

それから50年以上の先輩後輩の関係。

 

4年間 毎年 160日間も山登り

 

 

学業成績は、地上線から鼻で息をゼイゼイ吐くほど。

 

先輩と二人での積雪期八幡平縦走

 

 

現在の安全快適な雪山装備品もない時代

 

 

有名な八甲田山雪中行軍遭難事件

 

と同様な恐怖を体験した。

 

 

先輩は、現在74歳

私と同様、サラリーマン社会に馴染めず

ドロップアウト。

ゴム関連の自営業になる。

私の仕事でもゴムの技術で窮地を救ってくれた。

 

実益と趣味を兼ねて、信州方面での現場作業になると

奥さんと車で出張。

車内には、テント、他装備食料等を積み込む。

宿泊は、テント。

飲む 食べるも、キャンプ場でする。

近場の温泉に浸かる。

 

会津 奥只見に古民家を所有して一昨年

雪籠りを楽しんだ。

 

元気 元気だ。

凄い!

先輩のような、質素でありながら実に充実な老後を送っている。

 

私もこうありたい。

 

三浦雄一郎の商業的パフォーマンス

その映像を見ると不愉快になる。

 

昨年7月には、先輩達と白馬岳 麓 回遊