12月31日(金)本年最後の日 AM8時45分
防風衣を着込み、手袋を着けて出かける。
朝陽が青空に輝きだした、谷津干潟を通り
香澄公園の芝生と樹林を抜け、メッセに着く。
マリンスタジアムを左手に過ぎて
東京湾最奥の海岸をウオーキング、砂浜を踏み海浜霊園を抜ける。
遊歩道をジョギングして、ららぽーと着
11時15分 自宅に着く。2時間30分の散歩。
歩き、ウオーキング、ジョギングしながら
今年を思い返した。
率直に辛い、苦しい、悩んだ日々だった。
1月に日本橋に25年間あった事務所を柳橋に移転
3月、20年以上 団体から受託業務を受けていたが
不況で解約となった。
新たな方向転換を試み苦闘の毎日
友人の闘病と死に向き合った。
秋の訪れとともに、妻の癌発症
そして私にも癌の疑いがあることが判明
妻は実母の介護と仕事と家庭で365日休みが無かった。
私の母も介護に近い状態。
核家族化が招いた自宅内で老いた親を面倒見られなくなった現実。
これらの事は医術の進歩、周囲の応援、社会の仕組みから
一定の解決は見えている。
しかし一番嫌な事は他にあった。
5年以上前 冬、夕方日本橋事務所に飛び込んできた夫婦がいた。
「会社を騙され乗っ取れそうなので印鑑持って逃げて来た」
具体的な事実は分からないまま私は同情して助けた。
助ける伏線はあったのだ。
この夫婦の会社の人間に理不尽な扱いを受け取引を断絶していたところだった。
夫婦はその事は「よく分からなかった、申し訳ないと謝罪した」
それから5年が過ぎた。
徐々にこの仮面夫婦の正体が,「水落ち石出る」がごとき現れた。
当初の懸命な努力と謙虚さが消え、傲慢、不遜、嫌味な
人間性が次第に顕著になった。
中国の諺 「路遥知馬力日久見人心」の言葉がある。
訳せば 馬の背中に乗り長い旅路を行けば馬の本当の力を知る
人間も長い付き合いをして、その人間の本心が見えてくる。
この夫婦は先代の義父から受け継いだ徽章バッジの会社を
贅沢三昧で食いつぶし、負債を3億円有りながらも
年収2千4百万、事務所家賃代として月100万円
年間収入3千6百万円ももらいながら
会社をシロアリのごとく、食いつぶし
懸命な企業努力もせず投げ出し、逃亡したのだ。
債務は従業員、金融機関、取引先に押し付けて
私の所に逃げて来たのだ。
親、兄弟姉妹と全て訴訟沙汰を起こし、
東京で相手にしてくれる取引先は皆無であった。
私はその業界について疎かった。
誰もが呼称した屑男の言動を信じて援助したのだった。
周囲から、危ない、おかしいと忠告された。
特に友人の警察幹部からは、従業員、金融機関、取引先
全てがあいつはNOと言っている野郎はダメだと言われていた。
確かに、逃亡する数日前に突然、私の所に来て
「社長を辞めました」と告げた。
私は羨ましいと言った、経営の苦しさ、従業員給与その他
毎月工面することが無くなり、私も辞めたいと言った。
実は辞めさせ所有するビルが担保なので返済を迫られたのだ。
経営者としてあるまじき行動、失格、逃亡だった。
そして 昨年から本性を現し、自分達夫婦の安全と幸せだけに執心
他の周囲で働く人達をあからさまに見下していた。
今年春、残された社員、金融機関、下請けに3億円相当の
負債を押し付けたのだ。
心ある経営者だったら、自己嫌悪に陥るが
長野利男は逆に大喜びで
3億円の借金をチャラにしたと自慢げに周囲に吹聴。
この男の頭は異常である。
無くなったので手の平返すように
私の所から去って行った。
入念に装っていた、洗練された立派な職業人としての顔を、
愚かでお人好しで鈍い私にも見破られ打ち砕かれてたのだ。
癌で亡くなったあいつも心配していた
元新聞社支社長も心配してくれた。
助けてくれた先輩達は
あいつは人間の屑、70年以上生きてきて
これほど、身勝手な夫婦に会わなかった。
私達が感じる良心はあの夫婦には、脳に欠けているから
世間の評価など気にしない。
長野利男、美保子夫婦の会社は
有限会社九段スズキ本店
九段にあった義父が創業したビルを売り払い
葉山の定期借地権中古マンションに逃亡。
虚飾の生活と友人のいない寂しい人生だ。
私が死去する時は親族、友人が野辺の送りに参列するが
この夫婦には参列者も無く
墓に小便掛ける人々で苔生すこともないだろう。
中身のない空虚な実態ない会社
仕入れ先は大阪と名古屋にある泥棒会社だけ
愚痴はこのへんで止めて
来年も苦闘の毎日 ウオーキングして体力つけよう。