馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

2013年 仕事納め。

2013-12-31 15:17:49 | 日記

12月30日(月)

本日で平成25年度仕事納め。

午前10時半、日本橋の金融機関へ行き

昨日受け取った手形を取り立て手続き。

人形町へ歩き、整体院で首吊り治療。

通常は空いていて待つことはないのだが

これから9連休になるので、治療者は多く暫し待つ。

12時半 治療終了。

直ぐ近くの人形町交差点に行列。

玉ひでの全国的有名な親子丼を食べるための待ち人。

一度は食べるが二度は食べない玉ひでの親子丼。

 

14時事務所に戻り、最近オープンした「ラーメン居酒屋」で坦々麺を食べた。

中級辛さを食べたが旨いのだが、辛すぎてスープは残した。

 

15時 ネット販売での最後の出荷だ。

年末でも注文があり、ガラスペン、羽根ペン

海援隊ピンバッジ諸葛孔明ペンダント等を出荷。

 

佐川急便に出荷依頼するが、15時で受付は終わっていた。

慌てて、宅急便で出荷。

 

本日でネット販売出荷は終わり

来年1月6日より出荷。

長い休みなので、ネット検索が上昇して

6日には、かなりの数量の発送になる。

 

16時半 スカイツリーの展望台にいるデザイナー女性から

メールが送られた。

カメラで撮った写真。

隅田川に総武線の鉄橋、その先に両国橋

両国橋の手前に神田川が注ぎ込む。

合流点に弊社に事務所があり

双眼鏡で覗くと、弊社窓明かりが見えるそうだ。

彼女は親族7人で、これから浅草の有名な天丼を食べる。

 

午後5時 息子夫婦と東日本橋で焼肉を食べる。

   

二人はこの店の焼肉が気に入っている。

19時半 店を出て浅草橋地下通路を通って馬喰町駅へ。

通路にはホームレスのダンボールハウスが点在。

 

追い払っても直ぐに戻る。

寒い冬の夜を過ごすにはここしかないのだ。

駅ホームは閑散としていた。

 

本年もどうやら苦境ではあったが越せた。

周囲の応援があってこその生きている。

事務所に来てくださる方々に感謝。

 

一番は 零細会社から購入してくれる

お客様に御礼を申し上げます。


世間は狭いⅢ!九段スズキ本店 長野夫婦。

2013-12-30 16:10:35 | 日記

世間は狭いⅡに続く。

 

長野利男・美保子夫婦から聞かされた事に

同情と義憤に駆られた。

私の怒りには伏線があった。

ITの急速な広がりは、従来、職人が写植機を打ち

トレースして原稿デザイン版下製作業が衰退し

駆逐されつつあった。

学生時代の同期が写植版下製作の商売をしていた。

そこに共同で仕事をしていた男を紹介された。

仕事がなく苦境にあったので、長年取引のある

徽章バッジを商売にするエースメタルという会社を紹介して

デザイン 版下製作が出来るようにした。

又 長野が社長をしていた会社も紹介した。

ところが、長野の部下が、紹介した二人と

私の会社がしている仕事の情報を流し

こっそりと奪い取っていた。

長野は社長として、処罰して出入り禁止にしたと言った。

しかし、二枚舌で事実は黙認したのだ。

反ビジネスモラルの行為は、不正競争防止法に当たる行為であった。

私は長野の会社との取引を絶った。

 

その出来事があった後に長野夫婦は

当時日本橋にあった事務所に逃げてきた。

そして、自分の不明を詫びた。

 

私も騙され続けてきたので懸命に助けた。

3億円の借金も従業員と下請け、金融機関に肩代わりさせた。

借金が無くなり長野夫婦は大喜びだった。

長野は新しく(有)九段スズキ本店を作った。

 

九段スズキビル1階には社長を首になった(㈱スズキ徽章

4階には(有)九段スズキ本店

6階には長野利男、美保子夫婦と息子二人

何とも、異常な取り合わせの怨念ビルになった。

 

取引先から見離されたので、私が全力で支え

台湾から戻った息子が海外から仕入れをした。

私の諸先輩方々も同情して無償で応援と手伝いをした。

歳月を経て仕事も回り出した。

長野夫婦にも余裕が生じた。

それと共に、彼ら夫婦にも変化が現れた。

入念に装っていた虚飾の仮面が剥がれだしたのだ。

 

3億円の負債を押し付けた会社の社長は先代に仕えた

職人さんが社長になった。

長野は大笑いしながら言い放った。

「今度の社長は3億円など返せない」

「あいつは首吊り自殺するしかない」

 

私は長野の言葉が信じられなかった。

居酒屋で聞いた紳士が言った。

「長野利男は月収150万円、何もしない女房は月収50万円」

「会社の家賃として月100万円を貰っていた」。

年間3千6百万円の収入を得ていた。

毎年赤字決算であるのに、贅沢三昧だった。

これでは負債は増加していった。

追い詰められて実印を持って

無責任な夜逃げして、周囲に多額な負債を肩代わりさせた

罪の意識も後ろめたさを微塵も感じていないのだ。

 3億円の借金がチャラになった男は

「日本で俺しかいない」と自慢げに吹聴したのだ。

スズキ徽章は、数メートル先のビルに移転した。

通りにスズキ徽章と九段スズキ本店の看板が現れた。

道行く人達には奇妙に写り、両社にトラブルが生じたことが推測された。

スズキ徽章は九段スズキビルを退去したので

入居当時の敷金返還を迫った。

応じないため 

追放された会社と金融機関から、事務所家賃保証金三千万円の返済で

訴訟を起こされた。

又、長野利男の実兄も助けていて

九段スズキビルで一緒に仕事をしていた。

突然、兄弟喧嘩をしだした。

金銭の取り合いで、実兄とも訴訟になった。

長野夫婦の金への異常な執念が顕在化したのだ。

居酒屋での老紳士からの聞いた事情でも

長野美保子も姉と相続で裁判沙汰になった。

この夫婦は親兄弟と骨肉の訴訟合戦を繰り広げていたのだ。

親族間の遺産争いは世間にはよくある話だと聞いていたが

実際に目の当たりにして身内同士の醜い争いに溜息だ。

 2013年12月30日15時半

スカイツリーから弊社女性が家族と展望台の望遠鏡で

弊社事務所を見ていた。窓は見えたが、手を振ったが逆光で見えなかった。

 

続く 世間は狭い 九段スズキ本店 長野夫婦


世間は狭いⅡ (有)九段スズキ本店。

2013-12-29 17:39:20 | 日記

12月29日(日)昨日

アクセスランキング を見たら順位4423位

総ブログ数 1.969.132

この数字はどのような解析なのだろう?ありえない。

 

去年の12月30日 衝撃的な会話に出くわした。

自宅近くの居酒屋に夜9時過ぎに入った。

カウンターに数人がいた。

白髪の温厚そうな紳士の右隣に座った。

何度か隣合わせで飲んでいるので

挨拶するし、名前も知っていた。

居酒屋の対面マンションに夫人とお二人だけの生活。

しかし、奥様は病で長期入院中だった。

そのため、居酒屋で酒と食事をして、

翌朝の食事用オニギリ等も頼んでいた。

 

二人で取り留めない会話をしていたが

業界が同じであることが判明。

共通する取引先、担当者の話が出た。

その中で、九段にあるバッジ・徽章を扱う会社の話になった。

老紳士は驚くべきことを言った。

「あの会社の前の社長は長野利男と言ってね」

「デタレメ社長なので、みんなして追い出したんだよ」

長野利男の名前が飛び出したので、衝撃と驚きだった。

聞けば、紳士は社長をしていて

長年、長野が社長をしていた会社と取引をしていた。

 

仕事もしないでゴルフと女房と温泉旅行、夜は高級レストランで食事

贅沢三昧の浪費で3億円の借金を作った。

自称 義父から受け継いだオーナー社長気取りだった。

 

薄給に耐える従業員、無理難題を要求して下請け虐め

金融機関に返済もままならなくなった。

さすがに、深刻な状況に金融機関役員は返済を迫った。

経営改善を指導したが、10人いた従業員は全員が

長野の下では働きたくないとして退社を通告。

下請け会社の集まりである会員企業も全て

長野が社長である限り仕事はしたくないと告げた。

 

長野夫婦は泣いて、社員、金融機関幹部、下請けに謝罪したが

誰もが取り合わなかった。

性根が腐っていて嘘泣きを見抜いていた。

 

義父が営々と築き上げた会社譲渡と借地権付きビルを

返済することで合意した。

 

そして、印鑑を押す段階でビルの6階の自宅住まいに戻ると言って

実印を持って非常階段から下りてそのまま逃亡した。

 

老紳士の話を聞いて全身に悪寒が走り

心臓の動悸が激しくなり震えた。

 

「逃亡したって、どういうことですか」と訊ねた。

「女房も忽然と居なくなっていたんだよ」

懸命に捜索したのだが居所は掴めなかった。

「後日 分かったのだが、馬鹿な男がいて夫婦を匿った」

 

私は声も出せず呼吸が止まった。

老紳士に言った。

「その馬鹿な男は私のことです」

 

老紳士も驚きで言葉を飲み込んだ。

「夜、夫婦で逃亡して日本橋の私の事務所に飛び込んで来ました」

「たまたま、台湾で留学中の息子も帰国していました」

 

事情を聞くと「従業員と金融機関の専務に騙されて

借金を負わされたので逃げた」と言った。

 

老紳士に言った。

逃亡先は「あなたが住むマンション一階のペンションに泊めさせ

今 飲んでいる居酒屋で食事しました」

 

世間は狭いのブログを8月25日に書いた。

同じくこの居酒屋での奇遇で秘密を知ったのだ。

 

次回に続く

 


伊豆城ヶ崎海岸からお香典が届く。

2013-12-29 01:01:12 | 日記

12月28日(土) 夜知り合いに メールで「喪中につき新年のご挨拶をご遠慮します」と送信した。

本年4月1日 義母92歳で老衰死した。

毎年、横着して年賀メールが多いのだが

少ないながらも年賀郵便も出している。

12月初旬に伊豆城ヶ崎海岸にお住まいの友人から

お香典を頂いた。

私が喪中葉書を出したので、お気遣い頂き感謝です。

7年前、東京から伊豆に転居された。

ご夫婦二人で広い庭に木々と花々を植えられ

今では見事な花を季節ごとに開花させ

花便りとして写真を季節毎にメールで送ってきてくださる。

  

2009年5月に訪れてから行く機会が遠ざかっている。

 

私がサラリーマンをしていた頃、そして労組書記長当時

経営側労務課長として交渉担当窓口だった。

 

当時、使用者側大義と労働大義が激しい労使交渉としてせめぎあった。

ストライキ敢行寸前までもつれた。

ブログに度々掲載しているが

思想的問題有り、破壊者として退社を余儀されたのだ。

一課長の立場での裁量権は限られていた。

しかし個人的には、心の奥には、通底する互いの心情があった。

周囲では、「触らぬ神祟り無し」と私を避けた。

責任も感じていたのか、労務課長は私が退社後の行く末を心配した。

前任の労務課長も心配した。

お二人は退社する私に慰労宴開いた。

私の父が客死した葬儀にも列席して頂いた。

労組役員は私への送別会も開かず

葬儀にも来なかった。

保身のための人間性を見せつけられた。

人生 「日暮れて道遠し」

後戻りは出来ず、徒手空拳で荒波に妻子抱えて漕ぎ出した。

 

後に二人は関連会社の社長になった。

 

あれから32年の歳月が経った。

今も変わらぬ厚情がある。

辛い時にも陰ながら応援してくださる。

 

訊ねて伊豆の海と山々に行きたい。

 


軍師 黒田官兵衛ピンバッジ製作。

2013-12-28 18:00:00 | 日記

12月27日(金)

午後3時 事務所に戻ると、スワロスキードラゴン彫刻ボールペンの製作中。

  

注文を頂いたが、直ぐに完売。

弊社オリジナルで製作には手間と時間がかかるので

至急注文に追いつかない。

正月明けに発送しなければならない。

 

2014年 NHK大河ドラマ 軍師黒田官兵衛

岡田準一主演で放映される。

家紋バッジを製作した。

黒田官兵衛家紋ピンバッジ