5月30日(水)朝10時総武快速で馬喰町駅下車
地下通路を通り両国橋側に出る。
昨日、地下通路に目がチカチカする標識が側溝に並んでいた。
ホームレス排除の為だと分かる。
昨年、通路中央に鉄丸棒で中央を分離してホームレスのダンボールハウス住居を
建築出来ないようにした。
29日朝
暫くの間、ダンボールハウスは撤去されたが今冬の寒さ厳しさに耐えかねて
住居が並び出した。
そして昨日、赤標識が並べられるとダンボールハウスは無くなっていた。
しかしきょうの朝通ると、ダンボールハウスが再び建設?されている。
30日朝
知恵を絞っての対策だろうが限界。
次は地下通路を埋める以外ない。
不況で増加するホームレス。
生活保護費不正受給して優雅な生活人達。
懸命に働いてギリギリの生活する人々。
消費税上げても将来生活が見えない日本。
20年前の日本は何だったのだろう。
狂乱の時代の付けが今落とされた。
5月29日(火)4月に関西にある高級紳士服の店に試験的に
イタリア・ダライッティーのボールペンを卸した。
昨日 、追加注文がFAXで大量きた。
6月17日(日)父の日に向けて飛ぶように売れていると書いてあった。
ガラスペン
弊社の販売ルートはファッション関係のメーカー、店舗が多くなった。
スティショナリーも異業種からの問い合わせが多く
実用品、販促品又は高級ブランド筆記具での販売が主であったが
おしゃれ身装品のアイテムになっている。
身に着ける衣類によって、又はバッグにより
コレクション的筆記具からその日ために選んでいる。
5月25日(金)午後6時頃から立ち飲みに行った。
20時40分、少し酔いが回って柳橋に戻って来た。
橋から事務所の明かり見える。
ホットした。
マーキング(放尿)しなければならないほどの状態だった。
事務所玄関ノブを回すが回転しない。
閉まっているのだ。
デザイナー女性が用心の為ロックしているのだと思い、インターフォンを押す。
暫く待つが扉は開かれない。
瞬間、嫌な予感駆け巡る。
彼女は帰ったのだ。
私が戻ると思い明かり点けて帰った。
鍵は事務所内に置いてある。
暫し呆然とするも限界に達していた。
時間的余裕はなかった。
柳橋はグリーンライトが灯り、時折車、自転車が通り欄干で煙草吸う人もいる。
いつも事務所窓辺から見おろしている
橋の横にある正岡子規の句碑の陰で膨張が破裂臨界に達した。
頭を空白にして目をつむりマーキングした。
第一の問題は解決した。
次ぎに弊社マドンナに電話かけるが呼び出し音が鳴るだけ
息子にかけるがやはり呼び出し音のみ、妻にもかける、空しき音がする。
柳橋欄干で暫し佇む。
事務所内に入れないのは6年ぶりだ
当時、弊社の取引金融機関担当者が私の娘の奨学金入金通帳を
横領して事務所に立て篭もって以来だ。
携帯電話が鳴る。
マドンナからだ。状況を話すと「今新宿にいるので戻ってもよい」と言う。
息子からもかかってきた。風呂から出た妻からもかかってきた。
結果、私は定期券とスイカカードがあるので
事務所内は灯り、パソコン、上着を置いたまま、又作業ズボンで帰ることにして
明日、妻が持っている鍵で開けることにした。
翌26日(土)午前10自宅を出る
船橋駅前で少女が歌っている。
ストリートミュージシャンではなく本格的歌手だ。
音楽の素養のない私でも上手なのが分かる。
妻は母親の見舞いで病院へ
娘はアイリッシュダンスの練習で新宿へ
11時事務所に着く。
室内の電気消し、パソコンも閉じた。
昼飯は 浅草橋の名店天竜で久しぶりに味噌ラーメンを食べる。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1311/A131103/13090701/dtlrvwlst/1028721/
午後 ブログを書いた。
3時 両国橋を渡り隅田テラスを歩き吾妻橋へ向かう。
テラスは土曜日なのでジョギングする人が多い。
汗ばみながらテラス沿いのブルーテント通りを歩いていると
ホームレス風の中年オジサンが少し大きめのテントに向かって
「親分!親分!」と叫んでいる。
ここも組織化され縄張りがあってホームレス親分がいるのだ。
昨年10月に隅田テラスで釣りしていたら、ホームレスに間違いられ
取調べられた。
http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/69cab56817460898e69b714926a64dc0
将来
もらい得の生活保護を受けるか、ホームレスになるか考えた。
河本準一のような有名人でもないので
もらい得の生活保護受給?今後難しいようだ。
そうするとホームレスが増加するか?
訳の分からんこと考えていると、うんこビル前に着いた。
吾妻橋には人力車並び、袂ではスカイツリーの写真を売っている。
首を真上に上げなければ見えないツリーのテッペン。
このような見上げ方は谷川岳衝立岩の下に立った時と同じだ。
携帯電話のカメラではてっぺんまで撮影できない。
確か衝立岩も600メートルの長さだった気がするが?
その場所目指してぞろぞろ歩く人群れに入った。
開業最初の週末なので、ツリー前に到着したが周囲は狭い道に
群集と声張り上げる警備員で大混乱。
大地震が起きたら下町は破壊と劫火で
この辺りはどのようになるのか?
東京都慰霊堂を参拝すると深刻な気持ちになる。
http://www.kmine.sakura.ne.jp/shinsai/shinsai.htm
何処も見ずに京成押上駅から16時の電車に乗車。
17時に居酒屋あんこうに入る。
NO1デブの自治会長が飲んでいた。
居酒屋では私がNO2の腹デブと言われている。
女性議員蓮舫のお言葉
「2番ではだめなんですか」?
NO1には成りたくないので
順位が下がれば下がるほど良い。
互いの腹をなでて、膨らみ具合を確認している。
負けたのでNO2のままだ。
今日もウオーキングして一杯飲んで楽しい一日でした。
5月25日(金)午後3時 人形町の整骨院で首と腰の牽引をする。
帰りは人形町の小路をぶらりぶらりしながら事務所へ向かう。
日本家屋の料理屋があって、横路からひょいと和服女性が現われる。
ミシュラン三ツ星の濱田屋があり、政治家が密談して騒がれた。
おいしい飲食店があるが、バブルの頃は少しだが
徘徊したことがあった。
江戸文化の香する街並みの散策していると
登り旗が翻る建物があり、
武久夢二ギャラリーと書かれている。
ガラス越しに武久夢二グッズを見る
気後れして店内には入れない。
女性画を丹念に見た。
うーんと複雑な気持ち!
私が結婚して子供も産まれ夫婦して懸命に働いた。
30歳半ばだった妻もお客様の所へ出向くことがあった。
ある時、取引先の偉い人から
「あんた来なくても良い、武久夢二の描く女性が来たら
仕事出すよ」!?
最初 何を言っているのか分からなかった。
何の冗談だろうと訝しがった。
その後、その部下の方が「実はあんたの奥さんのこと言っているんだよ」
まあ!それは冗談半分だったが、私達夫婦はお世話になった。
その後、癌によりあっけなく世を去ってしまった。
終生忘れえぬ恩人だ。
いつか私達夫婦もあの世の夢に旅立つ。
来世でも宜しくお願いします。
宵待ち草
http://www.youtube.com/watch?v=1sfZDWse0Lg