9月23日(日)
小田急線本厚木駅前から
宮ケ瀬行きバス発車は10時40分。
駅前に着いたのは9時。
あんちゃんは、10時頃に来るとの連絡
途中車内で、早く到着するラインメールを送る。
「早すぎる」
本厚木駅に下りたのは、いつのことだろう。
記憶の限りでは高校生の頃。
駅前は、小さな商店が散在する
正しく田舎駅だった記憶。
今の姿は都区内の駅前と変わらない賑わい。
前夜から飲食物を摂取していないので
駅前ロータリー横の立ち食い蕎麦で天麩羅蕎麦を食べ
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ATMにて少額引き出す。
駅前をぶらぶら。
9時40分 あんちゃんからライン。
「改札に着いた」
宮ケ瀬行バスは9時40分がある。
発車ギリギリで駆け込む。
車内はぎゅうぎゅう。
川遊びする子供連れ団体。ハイキングカップル。
登山姿の外国人青年。
バスの中で兄貴と会話
兄は言った。
50年前 宮ケ瀬行道路は舗装されず
石ころだらけの沢沿いを、うんうん唸りながら
登り60分かかって学校に着いた。
雪が降ると、教師は交通手段が絶たれ止もう得ず休校になった。
今は、舗装された道路をマイカーが続々走り
若者がヘルメット被り、強靭な足腰を伸縮させ自転車で登る。
バスは自転車と接触危険を避けるため
ゆっくりと自転車の後に従う。
50分程 バス停 土山峠に着く。
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下りたのは、私達二人と欧米系外国人青年。
青年が地図を見てルートを探しているようだ。
私達に訊ねる。
物見峠を越えて辺室山を経て大山」に登る。
行程は8時間。
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ハードで危険個所もある。
注意を促すが
「大丈夫」と言った。
30代前半と思われる
筋骨逞しい青年は、短パン姿で
急登の樹林に踏み込み見えなくなった。
以前 高松山登山でも、ドイツ人男性が
一人登って来るのに出会った。
日本は昔から信仰登山であったが
欧米ではトレッキングとして自然豊かな山岳を
歩き楽しむ。
私達二人も時間があるので
物見峠まで登ることにした。
取りつきは急勾配。
前日来の豪雨で土は雨をたっぷりと溜め
靴底が滑る。
痩せ尾根を慎重に歩む。
兄貴より遅れ気味。
悪路と言うより荒れ道だ。
落葉が腐葉土となり、厚い絨毯のような弾みがあり
更に落葉が覆い、豪雨で地面は緩み
登山道はかすかな痕跡があるのみ。
両側は切たち、滑落すると死亡までいかないとしても
かなりの負傷になる。
1キロ程登って断念する。
長い登山歴のある二人だが
73歳と71歳にはでは、体力気力は追いついていかない。
足元のスリップを細心の確認ステップで下山。
再びバス停に戻り、舗装道路を宮ケ瀬湖に向けて歩く。
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峠を乗り切ったところで、宮ケ瀬湖が見えだす。
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兄が言った。
「水嵩が低い」
暫く歩いたところであんちゃんが立ち止まり。
湖面を指さす。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0f/2d/1da8393a7c432aa369147daa4dc807d4_s.jpg)
ここに50年前、神奈川県唯一の村。
村立中学交があった。
その後宮ケ瀬渓谷にダム建設となり
中学校小学校は湖底に沈んだ。
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兄は50年前、最初の赴任地が
当地の中学であった。
生徒数60人
専門は国語であった、教員が足りず
英語と体育も教えていた。
遠くなった想い出を引き寄せるように
湖面を見詰めていた。
湖面は波もなく、碧であるが水底深く黒が深まり
怨霊が宿る棲家のようだ。
魚などが回遊しないのか、鳥が舞うこともなく
不気味に静寂。
教え子達も還暦になり、亡くなっているのも多いらしい。
兄はその後都立高校の国語教師となり
転じて大学受験予備校講師として古文を担った。
「あんちゃん何故に退職したんだ」問いかけた
「学校卒業してまだ若く、教師としての志と野心があった」
「寒村で田舎教師として終わりたくなかった」
教育者として波乱の生き方であった。
様々な生徒を教えて、今想うのは
一流大学に合格させる教育ではなく
もっと地域に密着した教師として
多様多感な生徒の個性を育てる教育をしたかった。
兄は言った。
「国語、英語、体育の連続に続く時は
野外で科目勉強を離れて
生徒を引率して野山で遊んだ」
湖面と周囲の山々を見詰めながら
悲し気に呟いた。
湖面沿いの道を歩き
新しく建設された新校舎を見た。
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ダム建設にあたり、住民への補償として
高額なお金の支払いがあり
立派な住宅が立ち並んだ。
しかし、保証金では、様々の争いも生じた。
私も卒業して乳業メーカーに入社。
新入社員代表として、答辞を述べた。
しかし、牛乳屋になれず
三か月退社。
少年は将来に夢を抱き
青年になり志を胸に秘めて社会という
娑婆に出てゆく。
しかし、挫折 挫折を繰り返し
打ち砕かれ幻想を知る。
老いて、自らの内実を知る。
平凡で地味な暮らしこそ
自分の能力限界を悟る。
吊り橋を通り茶店が並ぶ通りに着く。
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教え子の関係していた旅館で食事することに。
特大生ビールと地酒
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地産の野菜料理で喉の乾きと胃袋を満たす。
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バスに乗り本厚木駅に17時半着。
駅前の日高屋で生ビールとおつまみで仕上げ。
18時10分 私は小田急新新宿行乗車。
兄は反対方向に乗り鶴巻温泉下車する。
車内7は混雑していて、新宿まで座れそうもないので
海老名駅で相鉄線に乗り換える。
横浜駅ウ行急行に乗る。
途中 実家のある三ツ境駅を通過。
実家にいた頃は、丹沢には近かった・
横浜駅から横須賀総武快速線に乗り
船橋駅下車。
21時半 自宅着。
本日、想い出のハイキングであった。
中国の諺
幼き時、物事知らず
老いては白髪老人、体弱く
若い頃 青春は一瞬の光芒か
若い頃 人間が体苛め
老いては 体が人間苛める。
残るは 残影のみ!
テネシーワルツ パティ・ペイジ 聴き比べ